コーヒー教室最終回

コーヒー講座も6回目。最終の講座となった。
今日は「焙煎」(ばいせん)、自分で体験できるとは思わなかった。

用意された豆は、ブラジル、モカ、そしてブルーマウンテン。
生豆を40グラム計り、ごまを煎る容器に入れる。

コンロに火をつけ、中火にして写真のように少し離してコーヒー豆を煎る。

焙煎とはどういうことだろう。
ウィキペディアによると、
焙煎(ばいせん)または乾煎り(からいり、dry roasting、単にロースト(roast)とも[1])とは、加熱プロセスの一つで、熱媒体として油や水を使わずに食材を加熱乾燥させる。他の乾式加熱の方法とは異なり、ナッツのような食材に使用される。むらなく確実に加熱されるよう、食材は攪拌して焙煎する。・・・焙煎することで、食品中のタンパク質の化学的性質が変化して風味が変わる。・・・焙煎した食品には、ピーナッツバター(焙煎したピーナッツから作られる[3])、(摘採後ただちに、もしくは発酵させたのちに焙煎した茶葉から作られる[4])、コーヒーチョコレート(焙煎したコーヒー豆、焙煎したカカオ豆[5]からそれぞれ作られる)などがある。
・・・コーヒー豆は専ら焙煎して用いられる。焙煎の程度によって、「浅煎り(あさいり)/シナモン」、「中煎り(ちゅういり)/ハイ」、「中深煎り/シティ」、「深煎り(ふかいり)/フレンチ」[6]などという。」とあった。

講師の園田さんによると、「2〜3分ほどでパチパチと音がしてきます。豆が割れてきています。焦がさないように、前後左右、上下に容器を動かし、まんべんなくコーヒー豆が色づくように動かしましょう。約10分程度です。
コーヒー豆の水分がなくなり、8割ぐらいの重さになります。」
ということだった。

焙煎したコーヒー豆の重さを測ってみると33グラム。確かに8割ほどの重さになっている。

3つのグループで焙煎を行ったが、グループによって粉の色が違う。 焙煎するときの炎からの高さ、動かし方、それらによって色合いが変わってくることにびっくり。
10分という時間を、最後の2分は火を消して予熱で焙煎した、というグループもあって、それぞれが工夫していたことがよくわかった。

でき上がったコーヒーを小さなカップに入れて、それぞれの飲み比べ。

3つのグループの味が違うことに驚く。
同じ豆、同じ道具、同じ水なのに味が違ってくるのがまた面白い。
焙煎によってこんなに味の変化があるとは予想以上だった。

ブラジルのコーヒー豆のあとにモカ、ブルーマウンテンと同じように焙煎し、コーヒーを淹れ、味を楽しむことができた。
焙煎すると、コーヒー豆の大きさ、形、見栄えが違うことがよく分かる。
コーヒー豆産出国の考え方、経済状況によってその違いがあることもわかった。
私が発見したことは、ブルーマウンテンはやっぱり美味しかった。後味がよくそこに甘みを感じた。ブラジルやモカにない甘さがあった。

6回講座に休まず出席したので、「終了証書」をいただいた。
なんと「全日本コーヒー商工組合連合会・全日本コーヒー検定委員会」から「J.C.Q.A認定コーヒーインストラクター3級」の認定証もいただくことができた。講座に申し込んだときは、6回は長いかなあ、と思っていたが変化のある講座で、勉強にもなり、楽しくもあった。
コーヒーを飲む楽しみがまたふえた。そんなことを確信することができた講座だった。

 

あびこ観音でおみくじ

2月3日、例年のようにあびこ観音にでかける。 まあー、なんと参拝者の多いこと!

コロナが一応終焉したということなので、お参りに来た人が増えたのだろう。
(コロナ、インフルエンザは相変わらず猛威を振るっているのに・・・)

お賽銭を入れてお参りする人、御札やお守りを求める人、そして私のようにおみくじを引く人でいっぱいだ。

でましたね。今年はふたりとも「凶」。
あびこ観音はまえまえから私達のなかでは「凶の出る観音様」として有名だ。
去年も凶だった。今年も凶。
やっぱりあびこ観音は「凶のでるところ」だ。

「やまいわずらいごと多く・・・」
「あやうき事あまたありて・・・」
うーん、これは最凶だな。

おみくじが入っている棚をみると、「凶」の文字がいくつか目に入った。
こんな日ぐらいは凶のおみくじはなしにしたらいいのに、と毎年思う。
まあ、しっかりしなさい、ということだろう。
門を出たところに托鉢のおぼうさんが。
外国人だったのでびっくり。凶のおみくじだったので、良いことをしなさいという意味なのだろう。お布施を入れて手を合わせる。

観音さんのまわりはお店がいっぱい出ていた。 コロナで出せなかったお店が、今年は隙間なくならんでいる。
いつもの「芭蕉せんべい」のおみせがあるかな?と探す。
お店はあったが人が変わっていた。やっぱり5年のコロナのせいかなあ、時間は思ったよりも動いている。

こんな時は厄落としの「厄除饅頭」を。 いつものように長い列だった。
「今年は5個か10個でお願いします・・・」と店の声。
これまでは1個でも2個でも買えたのに。
去年までいた名物のようなおばあさんの姿も見えない。これも時間のせいかな。
お守りも値上がりしていた。物価高は観音様にも影響を与えている。

久しぶりのにぎわった観音さんだったけど、なにか寂しい思いが。

そんな時に連絡が入った。
左は12月の下旬に韓国に行ったとき、ソウルタワーにあったおみくじを引いた時にでてきたおみくじの紙。
ハングルでびっしり書いてある。
私の知り合いにハングルに堪能な人がいたので「簡単でいいから内容を教えてほしい」と頼んでいたのだ。

「大吉です。
・・・龍が玉を手に入れたので、今年は必ず嬉しいことがあります。・・・目標としていたことを達成することができます・・・」という内容ということだった。
これはおもしろい。今年はいったいどういう年になるのだろう。ワクワクしてきた。

 

 

 

坂東玉三郎と小朝

松竹座で坂東玉三郎のさんの「はるのひととき」の公演があった。

坂東玉三郎さんの歌舞伎での姿を見たことは何度かあるが、今回のような舞台での姿は初めてだった。

 

プログラムによると、

1,越路吹雪物語
   ・坂東玉三郎
   ・春風亭小朝

2,落語 芝浜
   ・春風亭小朝

3,地唄 雪
   ・坂東玉三郎

最初の「越路吹雪物語」は、春風亭小朝さんの語りと、玉三郎さんの越路吹雪さんの歌のコラボレーション。小朝さんは以前に人情噺「越路吹雪物語」を作っていたそうだ。小朝さんの越路吹雪さんのエピソードを語る合間に、玉三郎さんが『愛の讃歌』『ラビアンローズ』『愛の幕切』などを歌う。
こんな構成での坂東玉三郎さんの姿は初めて。その立ち姿は美しと言うしかなかった。
あとでネットで調べると、玉三郎さんの身長は173センチ。歌舞伎役者、女形にはとても背が高い。歌舞伎の舞台ではそのことが全く分からなかった。歌の立ち姿はその身長を活かしてすばらしかった。

春風亭小朝さんの芝浜は以前にも聞いたことがあるし、他の演者さんによる芝浜を聞いたことがある。
芝浜の内容はよく知られている夢と現実の対比がおもしろい演目。ネットにもその演出方法についていろんな分析が載っているのがその人気を物語っているようだ。
芝浜の内容についてはよく知られているのでここでは省くことにする。

左の写真はプログラムの裏表紙。
さっそうと洋装の立ち姿。
この姿と全く違う姿が三番目の演目「地唄 雪」での玉三郎さんの姿だった。

さて「地唄」とは?私は全く知識がないのでネットで調べてみた。
「地唄とは、江戸時代に上方を中心に三味線音楽の中で最初に生まれた芸術音楽で、上方において『地元(上方)の三味線音楽』という意味で地唄(地歌)と呼ばれるようになったと言われています。弾き歌いによって、家庭や社交場の座敷で楽しまれた室内音楽で、多くの三味線音楽の祖であり、義太夫節など各派浄瑠璃や長唄も、もともと地唄から派生したとみなされています・・・・」
(www.jiuta-otoasobi.com/地歌とは?/ )

玉三郎さん演じる「地歌 雪」とはどういうものか。これも私には全く分からなかったのでネットで調べてみた。ウィキペディアによると、
「・・・地歌「ゆき」に、後世舞を振り付けしたもの。男に捨てられ出家した芸妓が、雪の降る夜の一人寝に、浮世を思い出し涙する、という内容の艶物(つやもの)。大阪新地の芸妓ソセキが男に捨てられたのを慰めるためにつくったとも、ソセキが出家したという事件に取材したともいわれる。・・・
(歌詞は)花も雪も払えば清き袂(たもと)かな
     ほんに昔のむかしのことよ
     わが待つ人も我を待ちけん・・・・・」

白の着物に、白地の絹張りの傘、広い松竹座の舞台だが玉三郎さんだけに焦点が当たる。人間国宝の舞とはこういうものか・・・感心して目を離すことができなかった。
約15分ほどの舞に、劇場内すべての人がすいつけられたようだった。
緞帳が降りるが、これはカーテンコールしかない。満場の拍手が沸き起こる。
ミュージカルだったらスタンディングだな、と思うがここは松竹座。
緞帳が上がり、そこには正座して頭を下げて礼をしている玉三郎さんの姿。
「きれいなあ」という声が聞こえてくる。
「妖精みたい・・・」、となり座っていた人がつぶやいていた。
私の知らない世界に少しだけふれた気がした舞台だった。