シャーロック・ホームズ 10

The Red-Headed League - Part One 2

応募にでかけた Wilson 、そこでの様子をホームズに説明する。

  ”There were many red-headed men, and didn’t think I would even get inside.
 But Spaulding helped me get into the office.
 Inside, there was a small man with hair redder than mine.
This man was choosing the new members.
When he saw me, he smiled.
Then , he looked closely at my hair and said,
“Congratulations!  You got the job.
When can you start?

*congratulations! ; おめでとうございます!

I was very surprised and told him that I had to work at my own shop.
But Spaulding said,  ” You’ve taught me many things, so I can take care of the shop while you work here.”
  “Hm.”
  “The short man, whose name was Duncan Ross, told me that I would work from 10 a.m. to 2 p.m. and that I couldn’t leave the building during those hours.

*質屋の仕事が忙しいのは夕方。それまでの時間はそれほどお客は来ない。Spaulding もその間の仕事をやると言っている、そうすればその時間帯にこの赤毛組合の仕事ができるとWilson は考えた。

My job would  be  to  copy an encyclopedia.
It sound easy, and it’s always good to earn more money, so I decided to take the job.

*encyclopedia; 百科事典

I started working the next day and continued working for the next two months.
Then, one morning, I found this note on the door to the office.”

  Wilson gave us a piece of paper.  
It said,

  “The Red-Headed League has closed down.
    October 9, 1890.”

*close down; 閉じる、閉鎖する。

*原作には、

   THE RED-HEADED LEAGUE
   IS
   DISSOLVED
   October 9,1890

と書かれている。
*dissolve; 解散する                      

*なんとも不可解な張り紙、事件は進展していく。ホームズの推理は?

上の写真はオランダで開かれている「赤毛の日」の写真。
国際的なお祭りで、2017年には80ヶ国4万人の人が集まったそうだ。

https://cenecio.hatenablog.com/entry/2017/09/06/190534

この記事のホームページを読むと、「イギリスには赤毛の人に対して、昔から根強い偏見があったようです。そしてイギリスほどではないが、アメリカやカナダでも偏見は残り、そのことは「赤毛のアン」を読むとわかります」とある。
松本侑子先生といったカナダの「赤毛のアンツアー」を思い出す。社会的背景を知っていると本を読むにも深みが増してくる。

 

 

 

 

シャーロック・ホームズ 9

The Red-Headed League - Part One 1

今月は「赤毛組合」「赤毛連盟」「赤髪組合」「赤髪連盟」などと翻訳されている、シャーロック・ホームズの作品の中でも有名なもの。
「シャーロック・ホームズの冒険」
The Adventures of Sherlock Homes 
(1892年)のなかに収められている。

「初歩からのシャーロック・ホームズ」(北原尚彦著・中公新書ラクレ)によって内容を紹介すると、
「ホームズは燃えるような赤毛の持ち主、質屋のジェイペズ・ウィルスンから依頼を受ける。ウィルスンは店員のスポールディングに勧められ、赤毛の人間だけが入れる「赤毛組合」の入会試験を受け、見事合格した。赤毛組合の事務所に通っては簡単な作業をして報酬をもらっていたが、ある日行ってみると「赤毛組合は解散した」という張り紙がしてあったのだ。関係者も全く連絡が取れず、不審に思ってホームズに相談したのだ。
 ホームズは早速調査を開始する。そしておかしな事件が、大犯罪につながっていたことが明らかにされるのだった・・・。」

One autumn day, I visited my friend, Sherlock Holmes.
He was talking to a man in his fifties with red hair.
Holmes said,
 “Watson! Come in and listen to Mr.Jabez Wilson tell us his strange story.”
 “All right,”  I said and took a seat.  The Mr.Wilson started to talk.
 “It all started with this newspaper advertisement.”
  And he showed us the ad.

*advertisement; 広告、宣伝
*ad : advertisement の省略形

 It said, “The Red-Headed Leagee is now looking for new members.
 You will get paid four pounds a week for a simple job.
 We are looking for healthy men older than 21 with red hair.
 If you are interested, please come to our office on Fleet Street at 11 a.m. on Monday.”

*pound; ボンド(イギリスの貨幣単位)
*red-headed; 赤毛の、赤い頭髪の
*league; 同盟、連盟、(同室の)グループ

 Holmes smiled and said,
 “So , Mr.Wilson, tell us what happened.”
 “Well, I own a small shop in Saxe Coburg Square.
 A man named Vincent Spaulding works as my assistant.
I’m not making that much money.
But Spaulding said he wanted to learn the skills to be a shop owner and said he could work for a low salary.”

*Wilson氏は質屋を経営している。ここではそこまでは書かれていない。
質屋の場所をSaxe Coburg Square と書いてあるが、原文は
at Coburg Square,near the City
となっていて、Saxe が抜けている。実はこのあと、Wilson が事件に巻き込まれたようなので自分の店に帰るときの様子をホームズに
I went home to Saxe-Coburg Square,
と言っている。私はイギリスの住居表示については全く知らないので、どのように表現するのかわからないが、住所を略して表現する方法があるのかもしれない。
イギリス人にとってはどちらも同じように感じているのだろう、と思う。

 ところで質屋の経営を学ぶためにと、普通より低いサラリー(salary; 給料)で働くSpaulding。なにやら怪しい。
 ここでは説明がないが、質屋の仕事がいそがしいのは夕方。これもあとで関係があることがわかる。

 “Interesting…”
 Wilson continued,
 “About two months ago, Spaulding showed me the advertisement.
He said that the Red – Headed League was created by a very rich man with red hair.
When the man died, he left a message.
It said, “I want to help red-headed men, so I am leaving money for them.”
 Spaulding told me he was jealous of me because I had a chance to earn money doing a simple job.
 It sounded good, so I went to their office on that Monday.  Spaulding came with me.”
  “Okay.   What happened next?”

*jealous; ねたんで、嫉妬して

「オーケー、次は何が起こったのかね?」ホームズはたずねる。
いよいよこの話が動き出す。

ところで、イギリス人男性の赤毛とはどんなものだろう。
ネットで左のようなヘンリー王子と歌手のエド・シーランの写真があった。イギリスには赤毛に対する偏見があるようだが、詳しいことはわからない。そういった背景から「赤毛の人を助ける赤毛組合」ができたのかもしれないし、この小説が誕生したのかもしれない。

 

 

 

大阪城の歴史を歩く1

秀吉が建設した初期の大坂城下町跡をあるく

「よみうり天満橋文化センター」の主催で、「大阪城の歴史を歩く」という講座があった。
大阪にいながら大坂の歴史をきちんと学習していない私にとって大変魅力的なテーマだったので参加することにした。

秀吉が大阪城を作り、周りに広げていった城下町。ビルが建ち並んでいる現在からはとても想像できない。ガイドの松尾さんは大阪城天守閣の館長であったり、この周辺の発掘調査にも関わった人だからとても具体的なお話を聞くことができた。

上の図は江戸時代の天満橋付近。大川にかかっている橋、右から天満橋、中央に天神橋、左側に難波橋・中之島があるのがわかる。

現在の写真と比べてみると、私達の出発地点の京阪シティモール(旧松坂屋)は川底だったことがわかる。上の写真からわかるように大川がこの付近で大きく蛇行し、川の流れは上町台地を大きくえぐるように流れていた。

京阪モールから南へ移動し、上町台地側に移動したところから大川方面を望むと、急斜面が実感できる。
左の写真の中央奥に大川が流れている。
上町台地の端に来ているわけだ。
天満橋・天神橋付近は平安時代から大川河口の港町で、渡辺津(わたなべのつ)として知られていた。また京からの船が着き、熊野詣に向かう熊野古道の起点でもあったそうだ。

当日の資料「秀吉が建設した城下町」(松尾信裕)によると、
「天正11年(1583),秀吉は大坂に城を築くと同時に城下町も建設。城に近い場所に武家地を置き、その周辺に町人地を置く。
武家地の範囲は北が京街道、東が猫間川、南が内安堂寺通り、西が谷町筋。武家地は大名に広大な屋敷地を宛てがうために、広大な方格地割が作られている。今でも公的施設がある一体。今でもおよそ250m四方の地割がのこる。」

ここは府立労働センター(エル・おおさか)の東玄関側。
秀吉が大阪城を築いた頃の武家屋敷の跡。
左の石は当時の道の端。右側の正方形の石はここに屋敷の入口の門があったことを示している。桃山時代からこの道は道路として使われていたことがわかる。

エル・おおさかの中に入ると、このビルを建てる時に発掘調査をしているがそこで見つかったものの一部が展示されている。 皿や茶碗などの食器や日常品が並べられている。右の木簡には「たい四百さい入」とか「大ひらめ百十八」など書かれていて、武家屋敷ができる前は魚市場や商家があり、水上交通の拠点として繁栄していたことを物語っている。
このビルが建てられた1987年ごろは自社ビルや公的施設のビルが多く建てられ、その時に発掘調査がよく行われたそうだ。そうしてその時に発見されたものをビル内で展示することがある種のステータス、ブームとしてあったそうだが、現在は費用もかさむためそのようなことはなくなっていったいう。

場所は違うが上の写真は「扶桑道修町ビル」。そのビルの玄関ホールにも同じような展示ケースがある。この付近は大坂冬の陣、夏の陣(1614年15年)で焼け野原になったが、その当時のものが発掘されている。色もデザインも華やかのもので、当時の生活が豊かだったことが想像される。

高麗橋、淀屋橋方面の地割は「奥行き20間の短冊形地割」。その屋敷の典型は次の図のようになっている。

三棟だが一番奥は蔵があり、中庭がある。その具体的な姿がこれ。

ここは緒方洪庵の適塾跡。
適塾は見学に来たことがあるが、この立て方が典型的な町家の建て方とは知らなかった。
正面に入口を持ってきて、商売ができるようになっている。
大阪城周辺の町家はこの緒方洪庵の適塾のような町家がズラッと並んでいたのだろう。

ビルとビルの隙間。右の写真には小さなお店がその隙間にはまっているが、ここは大麻市の管理地。そのお店のシャッター前にマンホールの蓋が並んでいるが、ここに下水管が走っているということ。上の写真の右も左もビルの裏側画を背にしているように見える。これは秀吉の町づくりでつくられた背割下水(太閤下水)が今も生きているということだ。この隙間に下水管が走っている。この周辺はすべてそのように作られている。
駆け足で私のフィールドワークを紹介する感じになってしまったが、充実したフィールドワークだった。豊臣秀吉が作った城下町は今も生きているということだろうか。