月の満ち欠けと時間

最近読んだ本で面白かった本。 どちらも「月の満ち欠けと時間」についての説明があった。

「入門平安文学の読み方」保科恵(ほしな めぐみ)著 新典社選書

「重箱の隅から読む名場面」馬上駿兵(まがみ しゅんへい)著 新典社新書

著者は同一人物。馬上さんはペンネームらしい。

私達は太陽暦を使っているので、月の満ち欠けと時間について余り考えない。
しかし、平安時代の人たちは月の満ち欠けでおおよその時間がわかっていたらしい。
らしい、と思っていたぐらいで詳しく考えたことがなかった。
あらためて考えるきっかけとなったのが「入門平安時代の読み方」だった。
少し引用してみよう。

「『竹取物語』に、こういう場面があります。

 かかるほどに、宵うち過ぎて、子の刻ばかりに、家のあたり、昼の明かさにも過ぎて、光りたり。望月の明かさを十合わせたるばかりにて、在る人の毛の穴さへ見ゆるほどなり。

この場面は、8月15日に月の都の人々がかぐや姫を迎えに来るところです。「子の刻」というのは0時ですから、ちょうど月が南天した時分です。つまり、日付と時刻から、月の都の人々が天高く昇った満月からやってきたことが判ります。作品の本文には直接そういうふうには書かれていませんけれども、月に親しんでいた当時の読者であれば、そのことが当然のように判ったのです。誰もが同じように読めたわけですから、月の状態が言葉として明記されていなくても、そう書かれていると言って良いのです。現代のわれわれが読む場合でも、そのことを明確にしなければなりません。」

 なるほど、文に書かれていなくても、月の描写によって日と時間がわかる、そのことが平安時代の人々にはあたり前のことだったのだ。

月の満ち欠けがカレンダーになっていたから、基本的には日付と月齢は一致する。
満月は15日、新月は1日、月の初めは新月から始まるというのが基本。
そして月齢が同じなら、同じ時刻に月は昇り、同じ時刻に沈む。もちろん厳密には季節によって多少の違いがあるが、何時間も違うということにはならない。
それを表にしたのが上の図。

たとえば満月はだいたい夕方6時頃に昇ってくる。月の出だ。
そして翌日の朝6時頃に沈む、月の入りだ。
「竹取物語」のように、夜中の12時頃に南中する。天の真上に月が見える、ということだ。
今月は10月20日が満月。
大阪市立科学館の「こよみハンドブック」によると、
月の出は17時19分。月の入りは翌日の5時24分。
3,40分程度の違いはあるが、おおよそ18時頃に月がのぼり、朝の6時頃に月は沈むと覚えておけば、おおまかな情景が想像できる。

この本では、更級日記や源氏物語の例を上げて説明もあるし、芥川龍之介や谷崎潤一郎の作品にも、月とその時の時刻が正確に反映されいるものがあると紹介されている。

「重箱の隅から読む名場面」には、1980年代に書かれ向田邦子作「思い出トランプ」が、月の形と時間についての例として紹介されている。

その場面を引用しよう。

「英子が別れた夫の秀一と一緒に昼の月をみたのは、結婚指輪を誂えに出掛けた帰りである。
数寄屋橋のそばにあるデパートを出たところで秀一は煙草を買い、英子は、
『あ、月が出ている』
と空を見上げた。

ーその時に見えた月の様子は、こんなふうに描かれています。ー
ビルの上にうす青い空があり、白い透き通った半月形の月が浮かんでいた。
『あの月、大根みたいじゃない? 切り損なった薄切りの大根」

ーこの「昼の月」を見たあとで、英子は『切り損なった大根』の思い出話をします。・・・・ー

 秀一にこの話をしたのは、有楽町の喫茶店である。 」

「重箱の隅から読む名場面」の著者は「ここまでのところから、いったいどんなことがわかるでしょうか?」と問いかける。

青空に見える半月形の月、これがヒントだということはわかる。

新宿のビルの間からみえる青空、そこに見える半月形の月。
著者は7月ごろにみえる上弦の月だと考える。
ふたりで少し早めの昼食をし(二人揃ってではないかも知れないが)、デパートで結婚指輪を誂え、喫茶店に入ったのだろうと推理する。
そうすると7月の上弦の月、午後2時から3時ごろだったのではないか、
と上の図を見て考えられるということだ。
くわしい説明はこの本を手にとって読んでほしい。

月に親しんでいた太陰暦の暦を知っていたら、ここまで推理できるという例。そしてこの小説の作者・向田邦子さんもそのことを知っていて、この作品を書いたのだろうと想像できる。

「重箱の隅から読む名場面」の本の「おわりに」に、一番最後に宮沢賢治の「月夜のけだもの」が紹介されている。
「十日の月が煉瓦塀にかくれるまで、もう一時間しかありませんでした。
獅子は葉巻をくわえマッチをすって黒い山へ沈む十日の月をじっと眺めました。
そこでみんなは目がさめました。十日の月は本当に今山にはいる所です。」
これを読むと、どんな風景が浮かんでくるだろうか。
「黒い山へ沈む十日の月」「十日の月は本当に今山に入る所です。」月が山にしずむのなら、そろそろ夜明けか・・・・なんとなくそんな気がする。
しかし十日の月が沈むのは、上の図を見るとだいたい午前2時ごろなのだ。
そうか真夜中の話なのだ、とわかったら、この「月夜のけだもの」を読む時の印象がかわってくるだろう、と作者は書いている。

太陰暦(正確には太陽太陰暦)の知識を持っていれば、そして科学館の「こよみハンドブック」をもっていれば、平安時代の文学から現代の文学まで、幅広くそしてより深く読み取ることができるのだ。なるほど、そんな意識で小説を読んでみよう、と今は思う。

 

 

 

 

伊能忠敬の地図

電子基準点の写真を撮ったあと、伊能忠敬はどのようにして地図を作成したのか知りたくなった。

映画「天地明察」で、歩測の場面があって、面白かったことを思い出した。
映画「天地明察」で渋川春海が北極出地の観測で緯度を調べたのは、1659年のこと。
伊能忠敬が第一次測量に出発したのは1800年6月11日。約150年ほどの年月が経っているか、歩測は重要な測量方法の一つだったのだろう。

今思うと、北極星の高度を測って緯度を計算するということができたというのは、地球が丸いこと。円を一周すれば360度だということを知っていたことになる。
江戸時代には地球は丸いことを知っていたのだろうか。機会を見つけて調べてみたい気がする。

伊能図と呼ばれる地図そのものについて見たかったので、左の本を借りた。

そこには地図を作成するための様子が、絵をたくさんつかって紹介されていた。

伊能図が完成されるまでに伊能忠敬は第1次から第10次まで調査に行っている。

第一次・・1800年 東北・北海道南部
第二次・・・1801年 関東・北地方東海岸の測量
第三次・・・1802年 東北地方日本海沿岸、
第四次・・・1803年 東海・北陸の測量 東日本の地図を完成。
第五次・・・1805年 近畿内・中国地方
第六次・・・1808年 四国地方測量
第七次・・・1809年 九州第一次測量
第八次・・・1811年 九州第二次測量
第九次・・・1815年 伊豆七島、忠敬は高齢のため不参加
第十次・・・1818年 江戸市中
17年にわたる偉業だったことがこの表からわかる。

距離を測り、地図を作っていくには結構な人数が必要だった。
有名な徒歩による歩測は、第一次のみで、第二次以降は「真竿」「間縄」「鉄鎖」などで実際の距離を測っていたそうだ。

夜は天体観測による測量。
象限儀や子午線儀によって、恒星の硬度が測定された。

 

象限儀というのは、ウィキペディアによると、
四分儀(しぶんぎ、quadrant)あるいは象限儀(しょうげんぎ)とは、円の4分の1の扇形をした目盛りのついた定規に照準類がついた道具。
いくつかの使用法がある。天体観測の道具として用いる場合は、主に天体の地平線からの高度を測定するために用いられた。また太陽や明るい星の子午線高度を利用して、観測者の地理的緯度を割り出すためにも使える。また観測者の緯度がすでに判っている場合は、時刻を得ることができる[1]。たとえば天体観測の高度計、測量道具、航海道具、時計として使われた。」

伊能忠敬の持っていった象限儀は中型のもので、半径115センチメートルの四分円というものだったから、図のように結構大きなものだと思う。

上の写真は「浦島測量之図」より、夜間の測量風景。ネットより引用した。
ここには子午線儀をつかって、恒星の南中を観測しているところが描かれている。

子午線儀に張った糸で作る二つの三角形の面の真上を星が通過する瞬間、3本の糸が重なる面の上を星が通過する瞬間を観測している。

このようにして1127箇所で星の観測をしている。
2冊の本によると、「北極星ではなく、こぐま座、カシオペア座、しし座など誰でも見られる普通の恒星」を観測しているという。それは「北極星は赤緯1.5度、北極の周りを直径3度の円運動をしていた」ためと「伊能忠敬の日本地図」(渡辺一郎著)には書かれていた。一晩に多いときには20個以上の星を観測しているとも書かれている。
このようにして緯度の測定に力を注いだことがよく分かる。

緯度の測定は星を観測でかなりの精度を確保できたらしい。
経度の測定には日食や月食を江戸と大阪の同時観測をして計算したかったらしいが、天候の関係で思った成果はでなかったらしい。
その結果、伊能図は現在の地図と比べて、南北は正確だが東西では歪みがあるそうだ。

17年の歳月をかけた伊能図は、伊能忠敬の死後に完成した。
江戸幕府に献上された正本は明治維新を経て皇居に保管された。しかし明治6年(1873年)5月の皇居火災で消失した。
東京帝国大学附属図書館にあった副本は、大正12年(1923年)9月の関東大震災で消失した。
私達が見るのは、原本の伊能図ではなくその「写し」なのは大変残念だ。
その写しがアメリカで207枚発見されたり、いろんな写しが今も残っているそうだ。詳しい経過は「伊能忠敬の日本地図」(渡辺一郎著)に書かれている。
「伊能図」の閲覧は、国土地理院の「古地図コレクション」、伊能忠敬研究会のホームページ、国立国会図書館の「デジタルコレクション」で見ることができる、アナログでは「伊能図大全 全7巻」が出版されていると「伊能図探検」(河出書房新社)に紹介されていた。
調べれば調べるほど、江戸の天文観測はおもしろい。

 

 

 

宇宙に行ったらこうだった

図書館で左の本を見つけた。 小学生・中学生むけの本だと思うが、読みやすくて私も借りて読むことにした。

宇宙飛行士の山崎直子さんが書いた本で、宇宙飛行士だからこそ書ける内容がたくさんある。
子どもたちの質問に答えるという形になった編集なので、へ−っ、なるほどと言いながら読んでしまう。

9月16日に書いたブログ
「宇宙から見える星々」の追加記事になるかも知れないが、私が読んで面白かったことを書いておこうと思う。

まず1つめは、「宇宙から星はどのように見えますか」。

国際宇宙ステーションから見た星空、という名前で写真が紹介されている。
ご覧のように、たくさんの星々がうつっている。

解説を引用する。

「宇宙では地球で見るよりもたくさんの星を見ることができます。ただし、遥か彼方まで行かない限り、国際宇宙ステーションや月くらいの距離では、星座の形は地球と変わりません。宇宙と地球との一番の違いは光り方です。
地球から星を見ると、光が揺らいで、チカチカとまたたいて見えますよね。このチカチカは、『シンチレーション』と呼ばれ、空気を通して星を見るために起こる現象で、宇宙ではこのチカチカはありません。
空気の無い宇宙で星を見ると、光がまっすぐに澄んで見えるのです。まさにプラネタリウムのようです。・・・略・・・・。」

前回紹介したように「プラネタリウムで見た星」のように見えるということが書かれている。

次に興味深く読んだのは「宇宙空間の温度」。

国際宇宙ステーションは高度400キロメートルあたりを飛んでいる。
その付近の温度は何度くらいなのだろう?
高校の地学の勉強で、地球は1キロメートル上にあがるたびに6℃下がると習ったことを覚えている。富士山だったら約4000メートルだから、地上より24℃低いと計算できる。
また飛行機が飛んでいるのは高度1万メートル、約10キロメートルだから地上より60℃低い。地上の温度を約20℃とすると、マイナス40℃になる。そういえばそんな案内や、飛行機の座席にあるテレビで見たことがある。
そうすると高度400キロメートルだったらとんでもない寒さになる。
それこそ絶対零度の世界だろう、というのが私の予想だった。

解説を見てみよう。

「・・・・その上が熱圏で、高度80〜800キロメートルです。熱圏と呼ばれるだけあって、高度が100キロメートルを超えたあたりから急激に温度が上がります。
人工衛星や国際宇宙ステーションが飛行している高度400キロメートルあたりで
1000℃くらいにまでなるので、想像もつかない世界です。
宇宙飛行士は、そんなに暑い場所で働いているの? と、信じられないかもしれませんが、熱を伝える空気が少ないので、暑さは感じないのです。・・・略・・・・。」

少し説明を加えよう。
熱圏にある気体分子が、太陽からの波長の短い電磁波を吸収するために、気体分子の持つエネルギーが上昇する。
温度というのは、物体を構成する原子や分子などの粒子が持っている運動エネルギーのことだから、持っている運動エネルギーが大ききなると「温度があがっている」状態になっていると私達はとらえる。
気温は大気の温度のことだから、国際宇宙ステーションや宇宙服の吸収する気体分子のエネルギーが大きいので、「気温が高い」状態になっているが、その大気が大変希薄である。気体分子の数が少ない ー  大気が薄い状態だ。
そのため体に伝わる熱量が大変小さいので熱く感じない  ー  温度計がそんな高温を示さない、ということになる。
さらに国際宇宙ステーションではエアコンがあるので、温度は快適に保たれている。

ということで、熱圏にある空気分子の持つエネルギーを地上の場合に換算すると
1000℃に相当するが、実際の温度計がその温度を指すわけではない、ということだ。

図にある高度100キロメートルのカーマン・ラインというのは、ウィキペディアによると、
「カーマン・ライン( Kármán line)は、海抜高度100キロメートル(62.1マイル)に引かれた仮想のラインである。国際宇宙連盟 (FAI) によって定められ、このラインを超えた先が宇宙空間、この高度以下は地球の大気圏と定義される。」

このカーマン・ラインより低い高度で人工衛星が飛ぶと、領空侵犯になるそうだ。

山崎さんの本によると、これまでの宇宙飛行士は約600人。
そして女性はその約1割。
JAXAは2020年10月23日に13年ぶりに日本人宇宙飛行士募集の方針が発表した。コロナの影響があるが、近々その募集要項が発表される可能性がある。
次の女性宇宙飛行士が誕生するかも知れない。
(山崎直子さん・向井千秋さん以外に、宇宙飛行士の訓練を受けている女性は入る。たとえばジャーナリストの秋山さんのサブクルーだった菊池涼子さんだ。二人は当時のソ連の「星の街」で約1年間の訓練を受けている。このことはいつかブログに書いてみたいと思っている。)