はやぶさ2の挑戦

阿倍野にある大谷中学校・高等学校で、サイエンス・フェスタがあった。
私はプログラムの中の「はやぶさ2の挑戦、宇宙探査への挑戦」という講演を聞きに行った。JAXA宇宙科学研究所の津田雄一教授が講師としてこられていたので、大変興味があった。

津田教授のお話は大変わかりやすかった。 サイエンス・フェスタが若い世代向けの取り組みなので、小中学生や進路を考えている高校生に焦点を当てられた講演だったと思う。

小さな興味を育てていったら、夢のようなことができた。

津田教授は小さな頃から工作好き、飛行機好きだったそうだ。
模型工作やラジオの組み立てなど、理科好きな少年だったのだろう。
小学生の時に、家族でアメリカのケネディ宇宙センターへ行って、大きなロケットなどに触れたことが将来に繋がったのではと私は聞いていて思った。

大学で小さな人工衛星を創ったこと、アメリカのロケットを創って打ち上げているグループに頼んで打ち上げてもらったこと、その一つ一つが人とのつながりや宇宙工学で繋がった人たちとの縁が「はやぶさ2」の成功に繋がっているそうだ。
津田教授は「縁、出会いが大切」ということを強調されていた。
講演中のスライドには、「はやぶさ2」の機体を制作したスタッフ一堂の写真には外国人の人の姿も写っていた。宇宙開発に多くの人の力がいるということだ。タッチダウン成功の瞬間のJAXA管制室の喜びにあふれるスタッフの写真は「人の輪・和」の大切さを象徴しているかのようなものだった。

「やってみたことが夢になる。好奇心と縁を大切にしよう。」という津田教授の言葉は、小中学生や高校生にとってとても心強いものだと思った。

「はやぶさ2」は設計耐用年数を超えて、2031年の1998KY26着陸に向けて飛び続けている。「はやぶさ2」の挑戦は続く。そんな「はやぶさ2」の姿に励まされる私だ。

講演の後いくつかの質問があった。「初号機とはやぶさ2の違いはなんですか?」という中学生らしい人からの質問に、津田教授は「いい質問ですね!」と嬉しそうに答えられていた。終了のアナウンスのあとには何人もの小中学生が津田教授に握手とサインをお願いしている姿があった。この子たちが明日の日本を創っていくんだ。

サイエンス・フェスタの会場は教室が使われていて、いろんな実験が体験できた。
私は菱形12面体の紙工作にチャレンジ。
また上町台地の模型や、立体視鏡の展示などを見学して勉強になった。
中学生や高校生、大谷中学校・高等学校以外の生徒さんなども参加していて、活気が溢れていた。
暑い日だったが、午後2時を過ぎても親子での参加の姿が多く見られた。
こんな取り組みがあったとは知らなかった。
来年に備えてアンテナを張っておこう。

 

 

 

はやぶさ2 タッチダウン②

人物を入れて写真に取ると、はやぶさ2の大きさがよくわかる。

下部を拡大したところ。サンプラーホーンやターゲットマーカーの場所がわかる。

はやぶさ初号機には3個積まれていたが、はやぶさ2には5個のターゲットマーカーが積まれていたそうだ。
このターゲットマーカーを開発したのが、お話をされた小笠原さん。小笠原さんの話によると、ターゲットマーカーはお手玉がヒントになったそうだ(この話はわりと有名)。素材をお手玉のようにやわらかなもので試してみると真空中でも素材が反発して跳ね返ってくることがわかったそうだ。どう解決すればいいか苦労したが、チームの中から柔らかいのがだめなら固くすれば、という声が出てそれが解決に繋がったという。人工衛星の開発には多くの人の知恵がつまっていることがよくわかる話だった。このターゲットマーカーについては、JAXAのホームページに解説がある。

https://www.jaxa.jp/press/2018/10/20181025_hayabusa2_j.html

ターゲットマーカーは未使用なものがまだ一つ残っているのだろうか。
次の目標の小惑星で、そのターゲットマーカーが活躍してほしいものだ。

 

後半は関西学院大学の3人の大学生が加わってトークセッション。
男性二人は大学院生で将来は研究活動を目指しているそうだ。
女性は4回生で来春からの就職が決まっているという。
三人ともさわやかで、しっかり考えている人たちだなあという印象を受けた。
最近の大学生は・・と否定的に言ってしまうことが多いが、久しぶりに良い大学生を見た、という感想を持った。

はやぶさは100回以上の失敗を重ね、それを乗り越えて満身創痍になってカプセルを地球に届けた。自分自身は炎になって。その失敗があったからこそ「はやぶさ2」はほぼ完璧に近い成果を上げ、さらに飛び続けている。失敗は次への糧となるという見本みたいな取り組み。その時、ハードだけではなくソフト・人材の引き継ぎが直接的になされたからこのような成果を上げたという話があった。強調されたのは「新しいことは教科書には書いていない、書かれていない」ということ。三人の大学生・院生は大きくうなづき、「失敗を恐れないように取り組んでいきたい」ということを三者三様に話していた。
私が印象深く聞いたのは進行役の山崎さんの話。

東日本大震災で原子力発電所が破損したとき、取材にまわったが「日本で原子力発電所のすべてを知っている人はいないのではないだろうか」という感想を持ったそうだ。1号機はアメリカからの輸入だったそうだ。隔壁の厚さはなぜこの厚さになったのか、この装置はなぜこの形にしたのか、などという根源的な部分の理解が日本の技術者には欠けていたのではないか、もちろん実験炉から創り上げたアメリカはその答えを持っているがそれは企業秘密として公開されていないそうだ。しかし今では日本の原子力発電所の技術は世界的なもので、アメリカも日本の部品を買うまでなっているそうだ。だが日本が最初から創り上げたのではないので、なぜここにこれが? なぜこの形に?という部分が不明のままではないか。大学生のみなさんには根本から考えていくことを大事にしてほしい、そういう研究者や技術者になってほしいということを話されていた。
山崎さんのお話の内容を私自身がすべて確かめたわけではないが、広い知見からの意見なので大いに参考にできると思う。
確かにはやぶさ初号機は初号機ゆえの、誰も経験していない世界へ飛び出し、多くの困難にぶつかった、しかしそこから学び続けた研究者や技術者が「はやぶさ2」を創り上げたという素晴らしい見本がある。それがこの「はやぶさ2 タッチダウン」の企画の主旨かもしれない。
(上の写真はリュウグウの模型)

「はやぶさ2」と地球を結んだパラボラアンテナと太陽電池パネル。
宇宙空間を飛ぶ「はやぶさ2」の太陽電池は現在も働き続けている。「はやぶさ2」の旅はまだまだ続く。私達に希望を与え、若い人材を育てながら。

 

 

 

 

はやぶさ2 タッチダウン①

はやぶさ2実物大模型

 

 

ここは神戸海洋博物館。

関西学院大学の主催らしい。案内のビラには「理系4学部開設記念企画」と書いてあり、多様な取り組みを展開していた。私は神戸海洋博物館でのトークイベントに参加した。

お話をされたのは元日本電気航空宇宙システム株式会社の小笠原雅弘さん。70機以上の衛星製造実績があるということだ。
関西学院大学工学部物質工学課程の田中裕久教授。希少元素を使わない電気自動車などの研究をされているそうだ。
司会進行役はNHKラジオ第一「NHKジャーナル」解説キャスターの山崎淑行さんだった。

お話は多岐にわたっておもしろかった。
はやぶさ2でいえば、はやぶさ2は現在どこに向かっているのか。私の一番知りたかったことだ。
JAXAのホームページを引用すると、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「はやぶさ2」は2020年12月に地球帰還後、カプセルを分離して、また新たな深宇宙の旅へと飛び立ちました。現在は、半分近く残ったイオンエンジンの燃料(キセノン)を活用し、拡張ミッションを開始しています。次の目標は1998 KY26という小惑星で、到着は2031年。その間、2026年に小惑星2001 CC21へのフライバイや、2027年、2028年には2回の地球スイングバイを予定しています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
小笠原さんの説明によるとこの1998KY26という小惑星は、直径30メートル程度で、約11分で高速自転をしているそうだ。
今から8年後の2031年7月に到着予定だそうだ。

会場に「はやぶさ」と「はやぶさ2」の比較パネルがあった。こうしてみると、「はやぶさ」と「はやぶさ2」の大きさはほとんど同じで、重さが100kgほど重い機体と言える。

この写真は「はやぶさ」が地球にカプセルを投下し燃え尽きたあとJAXAでの報告会があったときに撮影したもの。「はやぶさ」初号機の実物大模型が展示された。
私も川口プロジェクトマネージャーのお話を聞きたくてJAXAの会場に行ったが、もう13年もの年月が経っているのか、と感慨が深い。