はやぶさ2 タッチダウン②

人物を入れて写真に取ると、はやぶさ2の大きさがよくわかる。

下部を拡大したところ。サンプラーホーンやターゲットマーカーの場所がわかる。

はやぶさ初号機には3個積まれていたが、はやぶさ2には5個のターゲットマーカーが積まれていたそうだ。
このターゲットマーカーを開発したのが、お話をされた小笠原さん。小笠原さんの話によると、ターゲットマーカーはお手玉がヒントになったそうだ(この話はわりと有名)。素材をお手玉のようにやわらかなもので試してみると真空中でも素材が反発して跳ね返ってくることがわかったそうだ。どう解決すればいいか苦労したが、チームの中から柔らかいのがだめなら固くすれば、という声が出てそれが解決に繋がったという。人工衛星の開発には多くの人の知恵がつまっていることがよくわかる話だった。このターゲットマーカーについては、JAXAのホームページに解説がある。

https://www.jaxa.jp/press/2018/10/20181025_hayabusa2_j.html

ターゲットマーカーは未使用なものがまだ一つ残っているのだろうか。
次の目標の小惑星で、そのターゲットマーカーが活躍してほしいものだ。

 

後半は関西学院大学の3人の大学生が加わってトークセッション。
男性二人は大学院生で将来は研究活動を目指しているそうだ。
女性は4回生で来春からの就職が決まっているという。
三人ともさわやかで、しっかり考えている人たちだなあという印象を受けた。
最近の大学生は・・と否定的に言ってしまうことが多いが、久しぶりに良い大学生を見た、という感想を持った。

はやぶさは100回以上の失敗を重ね、それを乗り越えて満身創痍になってカプセルを地球に届けた。自分自身は炎になって。その失敗があったからこそ「はやぶさ2」はほぼ完璧に近い成果を上げ、さらに飛び続けている。失敗は次への糧となるという見本みたいな取り組み。その時、ハードだけではなくソフト・人材の引き継ぎが直接的になされたからこのような成果を上げたという話があった。強調されたのは「新しいことは教科書には書いていない、書かれていない」ということ。三人の大学生・院生は大きくうなづき、「失敗を恐れないように取り組んでいきたい」ということを三者三様に話していた。
私が印象深く聞いたのは進行役の山崎さんの話。

東日本大震災で原子力発電所が破損したとき、取材にまわったが「日本で原子力発電所のすべてを知っている人はいないのではないだろうか」という感想を持ったそうだ。1号機はアメリカからの輸入だったそうだ。隔壁の厚さはなぜこの厚さになったのか、この装置はなぜこの形にしたのか、などという根源的な部分の理解が日本の技術者には欠けていたのではないか、もちろん実験炉から創り上げたアメリカはその答えを持っているがそれは企業秘密として公開されていないそうだ。しかし今では日本の原子力発電所の技術は世界的なもので、アメリカも日本の部品を買うまでなっているそうだ。だが日本が最初から創り上げたのではないので、なぜここにこれが? なぜこの形に?という部分が不明のままではないか。大学生のみなさんには根本から考えていくことを大事にしてほしい、そういう研究者や技術者になってほしいということを話されていた。
山崎さんのお話の内容を私自身がすべて確かめたわけではないが、広い知見からの意見なので大いに参考にできると思う。
確かにはやぶさ初号機は初号機ゆえの、誰も経験していない世界へ飛び出し、多くの困難にぶつかった、しかしそこから学び続けた研究者や技術者が「はやぶさ2」を創り上げたという素晴らしい見本がある。それがこの「はやぶさ2 タッチダウン」の企画の主旨かもしれない。
(上の写真はリュウグウの模型)

「はやぶさ2」と地球を結んだパラボラアンテナと太陽電池パネル。
宇宙空間を飛ぶ「はやぶさ2」の太陽電池は現在も働き続けている。「はやぶさ2」の旅はまだまだ続く。私達に希望を与え、若い人材を育てながら。