奥の細道を英語で10(中尊寺)

Next, I visited Chuson-ji Temple and saw two famous halls.

First was the Kyodo with 16000 rolls of Buddhist prayers and statures of the three Fujiwara leaders.
Next was the Hikarido.
It holds the bodies of the three leaders and three Buddhist statues.
Inside, the hall was decorated with gold, silver and beautiful stones.
Such decorations would naturally fall off or be damaged by rain and wind.
But someone smart built a new building to covver the Hikarido itself.
I was very impressed by this quiet and beatiful hall.
It was 500 years old, but kept in surprisingly good condition.
It felt as if the rain didn’t fall on Hikarido because it wanted to protect it.
This haiku came to mind.

May rains fall, but not
On the shining Golden Hall
So it still remains

*Buddhist prayers; 経
*It felt as if the rain didn’t fall on Hikarido; まるで光堂には雨が降らないかのように感じられる。

兼(かね)て耳驚(おろどか)したる二堂開帳す。
経堂(きょうどう)は三将(さんしょう)の像をのこし、光堂(ひかりどう)は三代の棺(ひつぎ)を納め、三尊の像の仏を安置す。
七宝(しちほう)散(ちり)うせて、珠の扉風にやぶれ、金(こがね)の柱積雪に朽(くち)て、既(すでに)頽廃(たいはい)空虚の叢(くさむら)と成(なる)べきを、四面新(あらた)に囲(かこみ)て、甍(いらか)を覆(おおい)て風雨を凌(しのぐ)。
暫時(しばらく)千歳(せんざい)の記念(かたみ)とはなれり。
        五月雨(さみだれ)の
           降(ふり)のこしてや光堂

*三尊の仏; 阿弥陀三尊像のこと。
*七宝; 仏教で言う七種類の宝物。代表的なものとしては,金,銀,瑠璃,玻璃 (はり。水晶) ,しゃこ (貝) ,珊瑚,瑪瑙 (めのう) 。
*経堂;一切経1万6千巻などを納めた蔵。英文の16000 rolls of Buddhist prayers
はここから来ている。

橋本治さんの訳を引用する。
「かねてから、話に聞いていて、そんなものがあるのかと驚かされていた平泉中尊寺の二堂を見た。そのひとつの経堂には、藤原三代清衡、基衡、秀衡三将の像が残されている。いっぽう光堂には三代の棺が納めてあり、阿弥陀三尊の像安置されている。
かつて装飾として光堂内をかざった七宝は散りうせてしまい、珠玉がちりばめてあった扉は長い年月のうちに風雨で傷められ、金色に輝いていた柱も霜や雪の力でくさりがきていた。
もう、とうにただ虚しい廃墟とそれをかこむ草原になってしまっていても、少しもおかしくないところを、堂を四方から囲う建物を新しく建て、屋根に瓦をのせて風雨を防ぐ手当だけはしてある。そのおかげで、今のところは、なんとか後の世に長く残る記念の形は整えられていた。
        五月雨の振りのこしてや光堂                」

*残念ながら経堂には三将の像はないそうだ。あるのは、文殊菩薩・優填王(うでんのう)・善財童子の三体が祀ってあるそうだ。
*光堂を囲んでいるのは、覆堂(さやどう)と呼ばれているもの。芭蕉は光堂を守るために最近作られたもので風雨から守ったと考えていたようだが、じつは光堂建立直後から作られていたそうだ。ただ再三に渡って作り替えていて、芭蕉が見たものは南北朝期に造営されたものらしい。現在のものは1960年代に更新されたものであり、光堂の修理に伴い移転されているそうだ。

長谷川櫂著「『奥の細道』をよむ」の解説を引用する。

「五月雨の降のこしてや/光堂」
句中の切れのある一物仕立て。
降りしきる五月雨もこの光堂だけは濡らさない。鞘堂でおおわれ、時の猛威からかろうじて守られている。
 芭蕉は壺の碑では「ここに至りて疑いなき千歳の記念、今眼前に古人の心を閲(えつ)す」といい、光堂を「暫時千歳の記念とはなれり」という。
 この「千歳の記念」とは、全てを廃墟にしてしまう猛々しい時の流れに耐えて、かろうじて残っているもののことである。」

芭蕉たちはこのあと、尿前の関(しとまえのせき)、尾花沢(おばなざわ)をへて立石寺に5月27日頃に到着。そのあと日本海に出て、6月には最上川にやってくる。次回は芭蕉の有名な句がふたつ登場する。

 

 

 

 

奥の細道を英語で9(平泉2)

I went to see the old battlefield in Takadachi where MInamotono Yoshitsune killed himself.
It’ on a hilltop and you can see the Kitakami River which starts in the mountains far away.
I thought about Yoshitsune.
He and his men fought bravely here and died.
How short a man’s life is!
Plants are different.
They come up every year, keeping the endless circle of life.
I took off my hat and sat down on the ground.
I quietly said a famous Chinese poem as tears rolled down on my cheeks.
I wrote this haiku.

Summer grass grwoing
Where soldiers fought long ago
Only a dream now

*battlefield; 戦場
*hilltop; 丘、小山の頂き

先(まず)高舘(たかだち)にのぼれば、北上川南部より流るる大河也。
衣川(ころもがわ)は和泉が城(いづみがじょう)をめぐりて、高館の下にて大河に落入(おちいる)。
泰衡等が旧跡は、衣が関を隔(へだて)て、南部口をさし堅め、夷(えぞ)をふせぐとみえたり。
偖(さて)も義臣すぐつて此城(このしろ)にこもり、功名一時(いちじ)の叢(くらむら)となる。
「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と、笠打敷(うちしき)て、時のうつるまで泪を落し侍りぬ。

       夏草や 
         兵(つわもの)どもが夢の跡

       卯の花に
         兼房みゆる白毛(しらが)かな
                        曽良

*高舘; 義経の館の名前。
*南部口をさし堅め、夷をふせぐとみえたり。; 南部方面から平泉に侵入してくる蝦夷から防衛しているという意味。
*国破れて山河あり、城春にして草青みたり; 杜甫の「国破れて山河あり、城春にして草木深し」を引用している。

橋本治さんの訳を引用する。
「何よりも先にと、源義経の遺跡である高館にのぼると、目の下に、遠く南部領から流れ下る大河、北上川が見えた。衣川は、秀衡の三男和泉三郎の居城だったが、和泉が城をめぐって、この高舘の下で北上川に合流している。秀衡の次男泰衡たちの旧跡は、ここから見ると衣が関の向こうにあって、北からの蝦夷の侵入を防ぐ南部口をかためた役割を果たしている。いうまでもなく、ちう襲撃がかけられても、それをはね返すことが目的の北の砦だったのだ。
 考えてみると、義経は忠義の臣下を選り抜いてこの城に立てこもり、後世に伝えられる数々の武勇談が語る戦いを繰り広げたのだが、それらすべては、ほんのひと時の夢となりはて、その跡は草が生え茂るただの場所になってしまっている。
「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と詠んだのは中国の詩人杜甫である。その詩を口ずさみながら、笠をその名残後に置いたまま、時間が流れ去るのもかまわず、泪をながしつつ、そこに座り続けた。

           夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡

           卯の花に兼房見ゆる白毛かな        曽良   」

長谷川櫂著「『奥の細道』をよむ」には
「夏草や/兵どもが夢の跡/」高館跡に茂る夏草を見て、夢と消えてしまった義経主従と藤原三代をしのぶ。「夏草や」(現実)と「兵どもが夢の跡」(心の世界)と取り合わせる古池型の句。
「卯の花に兼房みゆる白毛かな」 高館あたりの卯の花には鬼神さながらの奮戦の果、燃え盛る炎に飛び込んで討ち死にした兼房の白髪の面影がちらちらする。こちらは一物仕立て。」とある。
兼房は義経の最後を見届け、敵とともに火炎に飛び込んで戦死したと言われている。

最初の写真は「ビジュアル古典文学 おくのほそ道」から引用したもの。
栄枯盛衰の跡が感じられる写真だと思う。現在でも通用する「奥の細道」の世界。それが文学足らしめているのかも知れない。

 

 

 

奥の細道を英語で8(平泉1)

We went to Hiraizumi, one of the places I have always wanted to see.
The Fujiwara family controlled the area for three generations.
It was safe and wealthy for about 100 years.
Was it a long time?
It  wasn’t if you compare it to our country’s long history. Their castle was well known all across Japan.
It was huge.
You had to walk four kilometers to get from the gate to the main building. But the castle was gone and there were only open fields.
Mount Kinkei was still there.
It was a man-made hill that looed like Mount Fuji.
*man-made; 人工の、人造の

三代の栄耀(えよう)一睡(いっすい)の中にして、大門の跡は一里こなたに有(あり)。秀衡(ひでひら)が跡は田野(でんや)に成(なり)て、金鶏山(きんけいざん)のみ形を残す。

*三代の栄耀一睡の中にして; 奥州藤原三代、清衡、基衡、秀衡を指す。一大勢力を築き上げたが、四代目の泰衡の代になって、頼朝に滅ばされた。
*秀衡が跡; 秀衡の存命当時には伽羅の御所(きゃらのごしょ)と呼ばれていた。

橋本治さんの訳を見てみよう。
「平泉に栄えた藤原三代と呼ばれる栄華も、後世の今から考えれば、それこそ中国の故事にあるわずか一眠りの短さで燃え尽きてしまったものだった。遠い北国から日本全国に鳴り響くほど知られた、華やかな日々の思い出につながる「平泉の館」、その大門はなんと一里手前にある。そんな大規模なものだった。
秀衡の居館は、今はただの田野になってしまっていて、秀衡が築かせたと言われる金鶏山だけが往時の形を残している。」

*中国の故事にある・・というのは、英訳では 
Was it a long time?
It  wasn’t if you compare it to our country’s long history.
の部分に当たると思われるが、「盧生の黄粱一炊の夢(ろせいのこうりょいっすいのゆめ)」で知られている故事のこと。その内容は、「中国の盧生という男が枕を借りて一眠りする間に、自分の一生を夢に見てしまう。目覚めればそれはほんのわずか、飯を炊くぐらいの時間であったという話。」
日本では「一炊」を「一睡」として流布していたそうだ。芭蕉もその言葉を使っている。
藤原三代100年の栄華も、今の時代から見ればそれは「盧生の黄粱一炊の夢」であったということだろう。

 

上の写真はインターネットからの引用。
秀衡が富士山に似せて築いた山。山頂には黄金づくりの鶏が埋められているという伝説がある。