ザクロのジャムづくり

知り合いが農園をやっているので、収穫に参加させてもらった。

そこにザクロの木があり、大きな実をつけていたので、いくつかもらってきた。 ザクロはめったに食べることがない。今回はたくさんもらったので、ジャムにしてみようと思った。

ザクロの頭の部分を切り、実の胴体に切れ目をいれる。これはザクロの実を取り出すための準備。水の中に入れて、切れ目を利用して、硬い外側の皮をはずし、実をとりだす。

ザクロの身の回りの皮は、手でとりのぞく。水面に浮いてくるのでそれは捨てる。
浮いてくる赤い実もあるが、それは熟していないので軽いのだろうと考えて、つついても沈まなかったら皮と一緒に処分することにした。

ザクロの実をザルに取り出し、重さを測る。 ザクロの実の半分ぐらいの砂糖をかけて、一晩おいておく。
上の右の写真が一晩おいておいたもの。ザクロの実のエキスが溶け出し、砂糖も全部ととけている。

鍋に入れて、弱火で30分ほどにつめる。
焦がさないように、かきまぜる。

ミキサーを用意する。
お玉2杯ぐらいずつミキサーに入れて、撹拌する。
ボタンを4,5回おすくらい。
長く押すと実がつぶれてしまう。
これは実についている薄皮が剥がれやすくするための作業と思う。

ザクロの原産地については諸説あるようで、トルコ、イランなどの西南アジア説、南ヨーロッパ説、北アフリカ説などがあるそうだ。

日本へは、923年(延長元年)に中国から渡来したと言われているが、朝鮮半島を経由して伝わったという説もあるそうだ。

ザルに入れて果汁と種に分ける。
ザルに残った種をお玉などで押して、種についている果肉を押し出すようにする。

上の写真左は絞った種と果汁の様子。
種に水を加えてもう一度軽く煮詰め、ザルで果肉を絞る。絞った果汁を先に作った果汁に加えて煮詰める。

レシピにはレモン汁とあったが、家にあったポッカレモンで代用。
おおさじ2杯ぐらい入れた。すこしとろみが増す。

煮沸したビンに入れて保存。
朝ごはんに自作のフランスパンに自作のザクロジャムをつける。
ベリーのような味。甘すぎることもなくさっぱり系の食べやすいジャムとなった。
ザクロのジャムは店頭でもあまり見かけないので、これからも機会があればつくりたいと思った。

 

 

 

 

 

 

今宮戎神社 2020

毎年恒例の今宮戎神社、えべっさん。 2020年は1月11日の「のこりえびす」に行った。 新聞には10日の本えびすは大変な混雑だと書いてあった。
11日は「のこりえびす」だし、お昼頃なら空いているだろうと思っていったが、予想以上に混雑だった。

福笹を求める人、飾りをつけてもらう人で大賑わいだった。
写真には撮れなかったが、正面の門の横、左側には「恵美小学校」の提灯が下がっていた。

また『恵美小学校PTA』のあめの店も例年通りに出店していた。
統廃合で学校はなくなったが、地元の人のこどもへのかける思いが伝わってくる。

今年のお店を見ていると、唐揚げのお店が多いのは例年通り。
そのほかにベビーカステラなどのカステラ類のお店が多い。行列を作ってまで買い求めているベビーカステラのお店もいくつかあった。
あてもの、くじ、射的のお店も目についた。
少しずつ変化があるのがわかる。

この人達は歴代の「福娘さん」たち。
カメラを向ける人も多い。
「やっぱりきれいなあ」という声が聞こえてくる。
ところで「福娘』はいつからはじまったのだろう。
インターネットで調べてみるとと次のような記事が見つかった。

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今宮戎神社の福娘は1953年に始まりました。

現在「ミナミ」と呼ばれている、道頓堀川沿い、難波周辺などの地域は、江戸時代から戦前にかけて、一大歓楽街(遊郭・花街)として栄えていました。

全盛期には、なんと3000人以上の芸妓(げいこ)や遊女を有していたということです。

しかし、戦後は料亭が次々と閉店し、芸妓の数も減少しました。

芸妓たちが籠で担がれて商店街を練り歩く「宝恵駕(ほえかご)行列」は十日戎のメインイベントでしたが、芸妓の減少と共に規模が縮小し始めたため、今宮戎神社では、神社が独自に選んだ「福娘」を、行列に加えることにしました。

これが、今宮戎神社の福むすめの始まりです。

現在は公募で選ばれ、ほぼ全員が大阪府内や近郊地域の大学生だということです。

https://xn—-466a25kpraw8rjykhknfg9a.jinja-tera-gosyuin-meguri.com/%E4%BB%8A%E5%AE%AE%E6%88%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE/480/.html

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1953年というと昭和28年、戦後に始まったものとわかる。
戦前は記事にあるように、芸姑さんたちが活躍していたのだろう。

今年面白かったのは、スーパーボールすくい。

私がこれまで見たのは、金魚すくいの代わりにスーパーボールなどをすくう、というもの。
つまり金魚をすくう網だから紙でできている。1回すくったらすぐに破れる。
「あーあ、すぐに破れるなあ」
「これで500円やったらぼったくりやなあ」
という親の声が密かに聞こえてくるというものだ。

ところがここで見たのは、なんとホントの網。金網がはってある!
もうすくい放題。スーパーボールを入れる入れ物に山のように積み上げている子もいる。
しばらくすると子どものほうがすくうのに飽きてくる、という感じ。
どんなけすくっても、何かもらえる。ここではテントの天井から吊ってある小さなバッグや入れ物が人気のようだ。
幼稚園や小学校の低学年に人気があるようで、小さな子どもづれのお母さんたちがひっきりなしにやってくる。
こんなお店は見たことがない。
すくう楽しさ、お土産がもらえる楽しさ、店員さんも親からの文句もない、三方良しとはこの事かもしれない。

いつも楽しみにしている「堺包丁の口上」、「ばしょうせんべいのおじさん」のお店はいつもある場所になかった。
違うお店がそこにはあった。「ばしょうせんべい」のおじさんのお店は昨年もなかったが、我孫子神社には出店していた。その時「もう忙しくてしんどいねん」というような事を言っていたから、今年も今宮戎はやめたのかもしれない。
しかし「堺包丁の口上」が聞こえてこなかったのは寂しかった。

フーテンの寅さんこと車寅次郎さんのようなテキ屋さんは数少なくなってきているのだろう。ここにも時代の変化が感じられる。

おみくじは「末吉」だった。

 

 

 

パズルをつくる 5

スライディングパズル

これはスライディングパズル、あるいはスライドパズルと言われているもの。
上の資料は、「秋山仁先生の作る!解く! IQパズル大百科」(学習研究社)から引用した。

これが製品となって売られているのが、

将棋の駒であったり、「箱入り娘」と題したパズルである。

発泡スチロールの板を使って、上の図のように部品を作り、パズルの形にしたのが左。
使ったのが薄い発泡スチロールの板だったので、2枚ないし3枚重ねて持ちやすい大きさにした。
この発泡スチロールの板は100均で買うことができた。
張り合わせるの使ったのりは、事務用のスティックタイプののりで十分張り合わせることができた。

これは結構難しいパズルだった。

インターネットで調べてみると、ウィキペディアにその歴史が紹介されていた。

英語では「Klotski」(ポーランド語で木のブロックを意味する「klocki」より)と呼ばれる。ルイス・W・ハーディ(Lewis W. Hardy)は「Pennant Puzzle」の名で1909年に商標を登録し、1907年にはすでに特許も出願している。イギリスでは同様のパズルが1932年に特許出願されており、フランスにも「赤ロバ(L’Âne rouge)」と呼ばれる同様のパズルがある。 日本で流行し始めたのは昭和10年(1935年)代のことである。 中国では「華容道」と呼ばれ、1940年代後半以降に広く知られるようになった。各ブロックの名前が『三国志』に由来するパズルとなっており、「娘」にあたるブロックは曹操となっている。

なかなか歴史のあるゲームであることがわかる。
その解法が本に紹介されていたので、以下に載せておく。

これでAが外に取り出せた。
本の回答の図のままの写真ではない。
また一つ一つの動きを写真に撮っているのではない。数手動いているが、変化がわかるように写真に撮ったつもりだ。

AからKまでのピースの置き方によって、難易度がかわりそうだ。
この本はシリーズになっていて、平面や立体のパズルが紹介されている。
また紙や発泡スチロールなどの身近なもので再現できるのも面白い本だ。