ハイジとドレミの歌 18

フリータイムで蚤の市

なかなか立派なホテル。一番下の三枚目の写真は朝食レストラン。

ハムとチーズもあるけれど、野菜とヨーグルトをしっかり食べよう。

朝食の後はフリータイム。私達はガイドさんの案内で「蚤の市」に向かう。
上の写真にあるウィーンを感じさせる建物は、オペラ座。今日はよく晴れている。

目的の場所に到着。目に入ったのは色とりどりのフルーツがいっぱい。スーパーマーケットのような雰囲気の店がずらっと並んでいる。

スーパーマーケットのような店の並びをすぎると、テントの店が並んでいる。

ここが「蚤の市」。何でもそろうといわれているところ。
ぐるっとみてまわる。なにか面白そうなものを買ってみようかと思ったが、値段交渉ができないこと、並んでいる品物の値打ちがよくわからないので何も買わなかった。
ツアーの人の中で、ここで買った人がいたのでびっくりした。

蚤の市見学を終了して、街の中心部にもどって、ザッハーホテルを探す。
道がわからなくなったので、服飾店に入って場所を聞く。
年配のお店の人に英語で尋ねるがわかりにくい。地図を出すが今度は私達がドイツ語の地名が読めない。〇〇という店が目印、ということなのでお礼を言って出る。
さてそのお店がまたわからない。ぐるぐるまわってやっと発見した。あとから考えるとごく近いところにいたんだ。

これが有名な「ザッハートルテ」。オーストリアのホテル・ザッハで提供されているお菓子(トルテ)。 1832年、料理人フランツ・ザッハーが考案したデザート。フランツの子どもがホテル・ザッハーを開業し、そのレストランとカフェで提供されたといわれている。
ツアー会社のケーライントラベルからミールクーポンをもらっていたのでそれを利用する。メニューを見てコーヒーで珍しそうなものを注文するが、このクーポンではここまでといわれた。でも本場のウィンナ・コーヒーと本物のザッハトルテは最高だ。ホテルの外のカフェで、周りを見ながらザッハトルテとウィンナ・コーヒーは格別だった。

私が行きたかったのはここ「SPANISCHE HOFREITSCHULE」。スペイン乗馬学校だ。
オーストリアが最盛期の頃、領土にスペイン領があった。そこからこの名前が来ていると思う。

ここではルネッサンス時代からの乗馬芸術が引き継がれていると言う。430年以上の伝統がのこる世界で唯一の場所だそうだ。チケットを買おうかと思ったが、写真のように大混雑。詳しいプログラムもわからないので、明日のフリータイムに来ることにした。
建物の中にあるショップで記念になるものを探してみた。

写真のように肩にかけるカバンを買った。この大きさならノートパソコンも入る。
カバンの写真のように、白い馬が演技をすることで有名。
スペイン乗馬学校のホームページがある。

https://www.srs.at/

この付近は白い馬が馬車を引いている。
午後はハプスブルク家の夏の離宮「シェーンブルン宮殿」の見学だ。
さあ、ホテルに戻ろう。

 

 

 

ハイジとドレミの歌 17

仔牛のカツレツ

ザルツブルグとウィーンの距離はおよそ300キロメートル。

急に雲が黒くなり、雨が今にも降り出しそうになる。 バスが早いか、雲が早いか。競争のようにしてウィーン向かう。

ウィーンの街は雨が降っていなかった。そろそろ午後8時になるのだがまだまだ明るい。 緯度が高いとこんなふうにになる。白夜というのは大げさかもしれないが・・・。

ウィーンで一番古いレストランとして有名な「グリーヒェンバイスル」。1447年創業といわれている。

落ち着いた雰囲気の室内

やはりビールはおいしい。

前菜に野菜があってよかった。

ヨーロッパのパンはおいしいという評判があるが、たしかにおいしかった。

なにか準備をしている・・・

これが名物のカツレツ。 全部を食べきることはできなかった。マスといいカツレツといい、もう少し若いときに来ていたら完食していたのに。

ベートーヴェンやモーツアルトもこのレストランに来ていて、壁にサインをしたと言うことでも有名なレストラン。 その部屋を案内してもらって説明を聞くが、その文字が読み取れない・・・

日本人のサインもあった。假屋崎省吾という名前が読めた。

世界各地、各時代の有名人が来ているようだ。 大地真央主演のサウンド・オブ・ミュージックのポスターが貼ってあったり、「ミセス」の本が展示されていた。

デザートを食べる頃に、アコーディオン演奏によるアトラクションがあった。
ツアーの人で歌の上手な人がそれに合わして歌うなど、一気に音楽の都ウィーンが身近になった。

食事の後、連泊するGRAD WIEN ホテルに向かう。

 

 

ハイジとドレミの歌 16

塩の街 ザルツブルグ

後ろの建物はザンクト・ヴォルフガングの「白馬亭」というホテル。オペレッタで有名なホテルらしいが、わたしは残念ながら知らない・・・。

 

観光用の馬車なのだろうか。白馬ではないが、馬が石畳の通りを通っている。

「ここ、ここよ」と妻が突然言う。 妻が仕事勤めを始めたばかりの頃、給料のほとんどを使って、スイス・ハンガリー・オーストリア旅行を友達とした、と以前から聞いていた。ここで撮った写真をアルバムで見たことがあることを私は思い出した。
妻は丸い窓に座って、当時のボーズをとり、私は笑いながらシャッターを押した。

人間の記憶は風景を見ることで、突然にその当時のことを思い起こすことがある。
私はこの丸いドームのような窓のある風景が、そのままに残っていることにも驚いた。京都や奈良、大阪、神戸に、あるいは東京にそんな風景が残っていることは少ないだろう。観光地として有名になるということは、以前訪れた街に再び訪れたときに、すっと過去の世界とつながってくれる場所があるということではないだろうか。
妻はそういう意味ではすごい体験をしたと思う。

ここは塩の専門店ザルツコントア。

 

いろんな塩が売っていて楽しいお店。

観光客にも地元の人にも便利な店だ。

岩塩ランプもいろんな大きさ、種類があって見ているだけでも楽しい。

この地、ザルツカンマーグートは「塩の御料地」という意味だそうだ。ハプスブルク家がこの地方にある岩塩を所有していたことによるという。

さて私はザルツブルグが岩塩にゆかりのある地域ということは以前から知っていた。

スタンダールの恋愛論

学生のときに読んだ本に、「恋愛の結晶作用」という言葉があったことを覚えている。スタンダールの「恋愛論」にある「ザルツブルグの塩坑」の話が紹介されていた。その時から「ザルツブルグの塩」という言葉が頭にインプットされていた。
日本に帰ってきてから、原本にあたってみようと思い、スタンダールの「恋愛論」借りてきた。
思ったより分厚い本で、ちょっと読み切れそうにもない。私の記憶にある部分を探してみた。

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P14

第二章 恋の発生について
・・・・・(略)・・・・
五、第一の結晶作用がはじまる。

 人は確かに、自分を愛していると自信が持てるとき、その女を、千の美点で飾るのを喜ぶ。自分の幸福の詳細をたどって飽くことを知らない。さらに、この天から降ってきたような財産、何だかわからないが、しかしそれが自分のものであるあることは確実なすばらしい財産を、誇張して考えるようになる。
 恋する男の頭を24時間働かせるままにしておけば、諸君は次のことが起こるのをしるだろう。

 ザルツブルグの塩杭では、冬、葉を落とした木の枝を廃坑の奥深く投げこむ。2,3ヶ月して取り出してみると、それは輝かしい結晶でおおわれている。山雀(やまがら)の足ほどもないいちばん細い枝すら、まばゆく揺れてきらめく無数のダイヤモンドで飾られている。もとの小枝はもう認められない。

 私が結晶作用と呼ぶのは、我々の出会うあらゆることを機縁に、愛する対象が新しい美点を持っていることを発見する精神の作用である。

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この本は青年期に読む本だと思った。

現在は塩の生産は行っていないそうだ。ツアーとして塩坑の見学があるらしいが、その予定はなかった。
ザンクト・ヴォルフガングの街にはハプスブルク家が支配していた当時の雰囲気が残っているのだろう。なんとなく華やかで、リッチな香りがしていそうな街だった。

私達はバスに乗って音楽の都ウィーンに向かう。ウィーンで夕食。楽しみだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハイジとドレミの歌 15

湖水地方 ザルツカンマーグート

バスを降りて湖畔のレストランに向かって歩く、小ぶりの雨が降り続いている。

近くでアウディの車のショーがあるらしく、スポーツカーがレストランの前に止まっていた。

湖岸のレストランはとても開放的で、出てきたメイン料理は「マス料理」だった。 モーツアルトの「マス」と関係があるのかなあと独り言をいう。
大きなマスで食べきれない。
昼食の後、散歩しながらお土産物を買う。

 

観光船に乗って、ヴォルフガング湖の見学。パンフレットには、 「美しい湖水地方として世界的に知られるザルツカンマーグート。アルプスの山々と複数の湖からなり、その自然美とカラフルな家々や真っ白な教会が緑と湖に映える景色は、世界遺産に登録されています」と書かれている。

晴れ渡った青空ではないが、かえって風情のある湖と街々を見ることができた。

ザンクト・ヴォルフガングの街の見学のために下船する。 さあ船から見えた町並みを歩いてみよう。

 

 

 

台風21号(9月4日)と停電

停電のため、信号が消える!

セブンイレブンも店内は真っ暗。品物(おもに食料品)がなくなったら、閉めますと言っていた。

近くの自動車関係の工場のトタン板がはがれ、電線にぶら下がっている。
停電の原因はあれじゃないか、と近所ではもっぱらのうわさ。
関西電力に電話してもつながらない、と近所の人は言っていた。

家の近くの朝日新聞の配達所のカーポートの屋根は無残にも飛び散っている。

角の家の植木が真っ二つに折れていた。春には花が咲き、赤い実をつけるお気に入りの木だったのに。

すぐに回復するだろうと思った停電は24時間続いた。
テレビがだめなので、ラジオとつける。NHK第1放送やラジオ大阪につなぐが、停電関係のニュースはほとんどない。
インターネットで関西電力のホームページを探すが、サーバーがダウンしているということで、新しい情報が入ってこない。
近くの小学校の避難所に行く。ここは体育館の電気がついていた。
「停電のニュースはないですか」
「関西電力のシステムがダウンしているらしく、回復については全くわかりません。
区役所の電気もついていません。私のまんしょんも・・・」
と、係の人は言っていた。
知りたい情報が手に入らない、ということはこういうことなのだな、と実感する。

ベランダに被害があった家もあった。

夕方になって雨が止むとき、虹が見えた。 台風は通り過ぎたようだが、停電は続く。 眠っている間に、電気がついたらいいのに。 しかし、翌朝も停電が続いていた。

5日、用事があるので森ノ宮に行く。ここは難波宮跡公園。 樹木が倒れている。

 

白い木肌を見せて、ボキッと折れている。

 

難波宮跡公園の地図と説明板は基礎の台から倒れていた。
家を出るときはまだ停電だったが、携帯に「電気ついたよ」と連絡があったのは午後2時過ぎだった。まるまる24時間を超える停電だった。そのあと、尼崎の知り合いに様子を聞いてみるとまだ停電が続いていると言っていた。

結局、尼崎に電気が回復したのは7日のお昼ごろだったそうだ。
大変だったろうなあ。北海道の地震による停電の報道があるが、身をもって停電の大変さが実感できる出来事だった。

それにしても今年は天変地異が多い。