ダニー ボーイ

山下直子さんのカルチャー講座もいよいよ最終回。 日本とアイルランドをつなぐ音楽が話題だった。
「ダニー ボーイ」は「ロンドンデリーの歌」としても知られている歌。
ではロンドンデリーとはどこにあるのだろう。

北アイルランドの北部にある。私が行ったツアーではこの地を訪れていない。
山下直子さんのお話によると、もともとこの地は「デリー」呼ばれていたそうだ。
アイルランド語で「かしの木の森」という意味ということだ。
前回の講座でアイルランド独立の歴史を学んだが、1171年にイギリスによるアイルランド征服がおこった。イングランドやスコットランドのプロテスタントたちが多く移民してきた。そして1613年にジェームズ1世の時代、都市としての承認があり「ロンドンデリー」と名付けられたという。その時プロテスタントを守るための城壁が作られ城塞都市となり、カトリック教徒は荒れ地に追いやられるという歴史的背景があった。
古くからアイルランドで生活をしていた人たちにとっては、都市の名前が変わることは許せなかったのだろう。

上の写真は山下直子さんの講座で紹介されたもの。
北アイルランドの交通標識。ロンドンデリーと書かれている表示の、ロンドンがペンキで消されている。今も許せない気持ちがあるのかと思って調べてみた。

1972年1月30日、ロンドンデリーでデモ行進中の市民27人が、イギリス陸軍の落下傘連隊に銃撃されるという事件が起きた。
14人が死亡。
14人のうち17歳が6人、19歳が1人、20代が3人という若い学生と市民だった。
軍が非武装の市民を銃撃したこの事件は全世界に衝撃を与えた。北アイルランド紛争の真っ只中で起きた事件だった。
左の写真はウィキペディアからの引用。亡くなった14人を描いた壁画。ロンドンデリー市内にはこのような壁画がいくつもあるらしい。こういった歴史的な背景があれば、ロンドンデリーという名から「ロンドン」を消し去りたいという気持ちはわかる。

 

ダニー ボーイ」と「ロンドンデリーの歌」

「ダニー ボーイ』と「ロンドンデリーの歌」、どちらも同じメロディー。
私達にとってはどちらが親しみがあるのだろう。
その歴史を山下直子さんが説明してくれた。
はっきりと分かっているのは、「ダニー ボーイ」の歌詞はフレッド・B・ウェザリーの作詞だということだ。作られたのは1910年と言われている。しかしこの詩は別の曲のためのものだったらしい。そして余り評判にもならなかったらしい。
そんなとき、アメリカ移住していた弟の妻から、「アメリカで流行っている古いアイルランドの曲の楽譜」が送られてきた。1912年のことだった。
そのメロディーが気に入ったウェザリーは、このメロディーに合うように自分の詩をすこし変えて「ダニーボーイ」として発表したのが1913年だと言われている。

その古いアイルランドのメロディーというのが「ロンドンデリーの歌」なのだ。

ではその古いメロディーの起源はどこにあるのだろうか。山下直子さんのお話によると、盲目のハープ奏者ローリー・ドール・オカハンの伝説というのがあるという。17世紀というから1600年前後の頃の話。ローリー・ドール・オカハンは深酒をして川で足を滑らせて谷間に落ちてしまい、その時ハープを落としてしまう。気がつくと妖精が美しい旋律を奏でているではないか。それが「オカハンの嘆き」として伝わったのがこのメロディー、という伝説だそうだ。そうなると、この曲の作曲者はアイルランドの妖精ということになってしまうが、それほど地域に密着した懐かしいメロディーということなのだろう。

メロディーはジェーン・ロス(1810〜1879)によって採譜され、ダブリンの研究者に送られることによって歌集に載せられたそうだ。その時には無名の歌として紹介されている。歌詞はその時々に作られていったという。いまでは100種類あまりの歌詞が作られて伝わっているそうだ。

そのメロディーがアイルランド人の移民によってアメリカに伝わった。
そして上に書いた山下直子さんの説明になる。
イギリスの詩人フレデリック・B・ウェザリーの弟夫婦はアメリカに移民としてわたっていた。アメリカにいた義妹がこのメロディーに興味を持ち、採譜して書き留め、イギリスのフレデリックに送ったということらしい。
このメロディーはアイルランドのロンドンデリーから出発し、アメリカに渡り、それがイギリスにいたフレデリック・ウェザリーのもとに届き、そしてダニー ボーイの曲となったということだ。

上の写真はユーチューブから引用した映画「ブルックリン」の船の出港の場面。多くのアイルランド人は映画のように船に乗って米国に渡った。この映画は1980年台が舞台だが、移民は人の移動だけでなく、アイルランドの文化をアメリカにもっていった。その例がこのダニーボーイのメロディなのだろう。

ところで「ロンドンデリーの歌」という言い方は日本ではあたりまえだが、アイルランドの人たちにとってはどうなのだろう。ウィキペディアやネットで見ると、「ロンドン」ということばをさけて、”Air from Country Derry ” や “Derry Air “ と呼ばれることが多いとも書かれていた。それはそうだろうと私は思う。
ネットの多くに「ロンドンデリーの歌は北アイルランドの事実上の国歌としての扱いをされ」とか「ロンドンデリーの歌は国歌の代わりに演奏される」という表現が多くあった。これはこの曲のメロディーが演奏されるということで、北アイルランドの国歌が「ロンドンデリーの歌」という曲名という意味ではないと私は思う。
「ロンドンデリーの歌」や「ダニー ボーイ」については、私がネットで見ていると驚くほど精密で詳しい研究がたくさんあることがわかった。その一つを紹介しておく。

https://themuse.exblog.jp/12805881/

「庭の千草」についての山下直子さんの講義で学んだことは次回に書いてみたい。

 

 

 

 

アイルランド独立戦争

カルチャー講座も第5回目となった。 今回のテーマは「第1次世界大戦とアイルランド独立」。
「アイルランド独立」については恥ずかしながら知識がなかったので、とても良い勉強の機会となった。独立戦争について私なりに理解できたことをまとめておこう。

アイルランドの独立については、知ればしるほど大変なことに気づく。現在のアイルランドにまだまだ、様々な影響を与えている。
「アイルランドはケルトの国、妖精の国」などという甘いイメージに染まっていた私にショックを与えてくれた映画が左の映画。講義の中で紹介のあった、映画「マイケル・コリンズ」だ。(写真はYahoo の映画紹介から引用)。
この映画で、アイルランド独立戦争時代のことがわかった(ような気がする)。アイルランド独立に向けての血のにじむような(実際多くの人が犠牲になった)努力と情熱と、戦いがあったことがよくわかる映画だった。

アイルランド独立への道
1171年 イギリスによるアイルランド征服               1649年 クロムウェルの侵略                     1690年 ボイン川の戦い(イギリス側の勝利、イギリスの圧力強化)   1798年 ウルフトーンの乱 3万人の死者といわれている。       1801年 連合法によりイギリスに併合される。             1829年 ダニエル・オコンネルによる「カトリック解放法」                         

ダブリン市内にある「ダニエル・オコンネルの像」。私が見たときには、オコンネルの頭に白い鳩がとまっていた。
アイルランドのカトリック教徒は、公職から締め出されていて、国会議員や大臣、裁判官などの国の重要な地位につくことは許されていなかった。これと戦ったのがダニエル・オコンネルであった。カトリック教徒解放法によって、ほとんどの公職がカトリック教徒にも認められるようになった。しかし民族問題としてのアイルランド問題が解決したわけではなかった。

1914年 第一次世界大戦起こる
1916年 イースター蜂起                       
1919年〜1921年 アイルランド独立戦争              
1921年 英愛条約 (北部6州を切り離して独立)           
1922年〜23年 アイルランド内戦                  
1968年〜98年 北アイルランド紛争

アイルランド独立への機運が高まっていくのだが、1914年に第一次世界大戦がはじまる。アイルランドの独立のために、という考えで多くのアイルランド人がイギリス軍に参入していった。その数は30万人といわれ、戦士したアイルランド人は約5万人になったと山下直子さんの講義での説明があった。
丁度そのときにイースター蜂起、アイルランド独立戦争が起きた。

上の写真は、イースター蜂起のときに作られた「アイルランド共和国宣言」。この写真はトリニティ・カレッジの図書館に展示されていたもの。イースター蜂起100周年を記念してアイルランド政府は多くの国の言語で翻訳したそうだ。アイルランド大使館のHPに日本語訳があることを山下直子さんから紹介があった。

 https://www.dfa.ie/irish-embassy/japan/news-and-events/2016/the-1916-proclamation-in-japanese/

イースター蜂起、アイルランド独立戦争を経て、1921年にイギリス・アイルランド条約が結ばれる。しかし全島独立ではなく、北アイルランド6州を除くものだったので、そのあと「全島独立を目指すために批准反対側」と「条約をこれからの戦いの一里塚としての批准を目指す側」との内戦が起きる。
この内戦のなかで「マイケル・コリンズ」は暗殺されてしまう。内戦では独立戦争時よりも多くの死者が出たという。内戦は比較的早く収まったといわれているが、後遺症は長く、深く、アイルランドの人たちに残っていると想像される。

第一次世界大戦へイギリス兵として出兵したアイルランド人は、アイルランド独立のあとに故郷に帰ってくる。アイルランド独立のために、と戦いに出たのに、敵国イギリスに協力したとレッテルを貼られ、忘れられた英雄となった。
また、南極探検で有名なスコット隊を協力したトム・クリーンは、勲章をもらったことを家族にも話さなかったという。それはイギリス海軍に協力したことを知られなかったからだという。知られるといわゆる愛国主義者から家族を含めて攻撃されることが予想されたからそうだ。
上の戦没者慰霊庭園は1939年に完成し、第一次世界大戦でなくなった約5万人の慰霊のために作られたのに、公開されたのは1988年だという。あいだに第二次世界大戦があったことも関係があったのかもしれないが、公開までに約50年の歳月がかかっている。それもイギリスに味方をした人を英雄視するのはいかがなものかな、というタブー意識によるものだろうと山下直子さんは說明された。

アイルランド独立を目指していながら、どうして内部分裂とテロと破壊になっていくのかと不思議に思うが、世界の歴史には同じようことが多く起こっている。日本でも明治維新、戊辰戦争などで多くの若者が命を失っている。会津出身の年配の知り合いは、お酒を飲むたびに会津藩の無念さを口に出していた。

長く続いた北アイルランド紛争は話し合いでの紛争解決となった。
現在、新型コロナウイルスの中での総選挙で、内戦の敵味方だったフィネーゲル党とフィナフォーレ党の連立内閣となった。
マスコミは「内戦政治の終焉」と報道され、任期の半分を交代して首相をつとめるそうだ。執務室にマイケル・コリンズの写真と、デ・ヴァレラの写真が並んで飾られるのかとマスコミの話題となっている、というのは山下直子さんの解説。

連立内閣の出現、北アイルランドでのカトリック教徒とプロテスタント教徒の人口の逆転、イギリスのEU離脱によるアイルランド島内の国境や貿易の課題など、アイルランドの統一が少し近づいたのでは、という観測も生まれているそうだ。

歴史と伝統のある国、圧政と抑圧に戦ってきた国、そして豊かな自然とおいしい食べ物と文学者を多く輩出してきた国、さらに妖精の国アイルランド。
日本のほぼ反対側にある国のことがますます知りたくなってきた。

*参考にした資料「アイルランド史」(山川出版)、「図説アイルランドの歴史」(河出書房新社)

 

 

三角点を探る旅49

玉置神社の一等三角点

玉置神社、知る人ぞ知る、最強のパワースポットとして有名な神社。
世界遺産の熊野古道にある。
大峰山の修験道にゆかりのある地。

山頂は1000メートルを越えるところ。 神社はその山頂近くにある。

玉置神社の存在は30年ほど前から知っていた。
行こうと思ってもなかなか行けないところとして。
それは山が深いとか、道が険しいから、という意味ではない。
神社に呼ばれないと行けないという意味。
行こうと思って家を出たが、何か邪魔するものがあって、例えば天候や車の故障などがおきて3回も行くことができなかった、という話をよく聞いていた。
私も行きたいと思っていたがなぜか行けない。
今回、私の知り合いからの誘いがあったが、その日にはすでに予定が入っていた。
やっぱりなあ、まだ行けないなのかなあ。写真でもとってきて、とたのんだ。

そして、
なんと、山頂に三角点があったとメールが送られてきた。

えーっ、玉置山に三角点が! 全く私の知らなかったことだ。
玉置神社と三角点がむすびつくとは。
上の写真の石が積まれた右側の奥に三角点が見える。

角度を変えて写した写真。
一等三角点だ。

国土地理院のホームページを見ると、
標高1076メートル80センチ
明治28年8月10日に設置されている。

いやー、残念だった。
一等三角点がこの山にあるなんて、まったく想像もしなかった。
標高が1000メートルを越えているから、一等三角点なのだろう。
金剛山で一等三角点の写真を撮ったけれど、それから目にしていない。
あー、行っていたら、と思うが、「山頂までの道は心臓が口から飛び出すほどしんどかった」と帰ってきてからの感想を聞いて、やっぱり私は呼ばれていないなあ、いや無理はしてはいけないということかもしれないと自分で納得。

玉置神社の鳥居が神域とこの世の中との境界線と言われているそうだ。霧が出ていたのでなんとなくそんな雰囲気、という写真が送られてきた。

財布か定期入れに入れておくようにと、玉置神社のお守りを貰った。
「悪魔退散」のお守りだそうだ。
ありがたく頂戴した。
いつか玉置神社と一等三角点に行ってみたいと思う。