大恐竜展 in スカイオ

難波のスカイオで「大恐竜展」がひらかれている。
巨大なロボットの恐竜が首を動かし、大きな声を出して吠えている。
これはこれまでの恐竜展になかっただしもの。さすが技術の進歩。
そして羽毛恐竜が多く展示されているのは、最新の発見と研究の成果だろう。

そもそも恐竜とは?

恐竜って何? と聞かれると困ってしまう。
私の頭には、ゴジラやラドンがうかぶ。ガメラは亀の巨大化したものみたいだが、恐竜とよんでいいの?

私の疑問に答えるような説明パネルが入り口ちかくにあった。

1.原始的な爬虫類(トカゲなど)
  四肢を大きく張り出した姿勢で、這って歩く。
2.恐竜に近縁な爬虫類(翼竜など)
  四肢を体のやや下に伸ばした姿勢で、直立に近い姿勢で歩く。
3.恐竜
  四肢は体からまっすぐ下に伸び、直立して歩く。

なるほど!、直立して歩くのが恐竜なのだ。
ゴジラは恐竜だが、ガメラは直立していないから恐竜ではないことがわかる。
ラドンは空を飛んでいるから恐竜ではないようだ。
2にある恐竜に近い爬虫類(翼竜)とあるから、これだな。

では恐竜と翼竜は違う種類なのか?

恐竜の分類

https://www.dino-tail.com/study/sho01/sho0101.html

インターネットより調べてみると上記のサイトに上図のような説明があった。

首長竜や翼竜は恐竜の定義には入っていないことがわかる。

恐竜は大きく分けて2つに分かれる。「竜盤類(りゅうばんるい)」と
「鳥盤類(ちょうばんるい)」である。

☆「竜盤類」は「獣脚類(じゅうきゃくるい)」と「竜脚形類(りゅうきゃくけいるい)」にわけられる
☆「鳥盤類」は「装盾類(そうじゅうるい)」と「周飾頭類(しゅうしょくとうるい)」と「鳥脚類(ちょうきゃくるい)」の3つにわかれる。

と説明があるのだが、ちよっとまって、なんだこの漢字ばっかりの覚えにくい名前は。なんでこんな難しい読みにくい名前がつくのだろう。
ここで私の思考力はストップ。名前の由来を調べてみよう。

竜盤類 Saurischia 、鳥盤類 Ornithischia
Saurischia → saur トカゲ  ischia 腰

「骨盤がトカゲにちかい生物」、という意味から来ていることがわかった。
「トカゲ」という意味をもつ恐竜が、日本語訳にするなかで「竜」という言葉を選ぶことから竜盤類(盤というのはもちろん骨盤のこと)という日本語名が誕生したようだ(あとでもう少し詳しく書く予定)。

Ornithischia → orni 鳥 ischia 腰

「骨盤が鳥に近い生物」という意味からOrnithischia という言葉が出来上がったそうだ。この恐竜の骨盤が鳥に似ているということでこういった分類名ができあがったようだ。そうして日本名を作る時に「鳥の骨盤に似ている分類」という意味から「鳥盤類」という言葉ができたと私は思う。

恐竜の分類に、骨盤の形態が重要な位置を占めていることがわかる。

次に「竜盤類」の「獣脚類」と「竜脚形類」について調べてみよう。

獣脚類 Theropoda → thero  獣  pod 脚

獣の脚 だから「獣脚類」という日本名がつけられたのか。これはよくわかる。

上の写真は「コエロフィシス」。「竜盤類」の「獣脚類」に分類される恐竜。これは「大恐竜展」の展示場で写した写真で、羽毛恐竜だったそうだ。
肉食恐竜が所属するグループ。もちろん肉食でない恐竜もこの中にはいる。
あの有名なティラノサウルスも獣脚類。
つぎに

竜脚形類 Sauropodomorpha   saur  トカゲ,podo  脚、morpho  形

これも語源を忠実に日本語に置き換えたような言葉だ。
首の長い植物食恐竜という特徴があるそうだ。下の写真は「大恐竜展」に展示されていた「ディプロドクス」、竜脚類の恐竜である。

「竜盤類」の説明だけで多くのスペースを取ってしまった。 「鳥盤類」の恐竜については次回に書く予定。

 

 

 

平成最後の桂米左独演会

1年ぶりの桂米左さんの独演会。
場所は天満宮そばの繁昌亭。
1時間ほど前についたので、天神さんにお参りする。

わたしたちがお参りを済ませて、境内を歩いて、休憩所で缶コーヒーなどを飲んでいる間、お参りの人影は絶えることはなかった。 会社帰り、学校帰り、通りすがりの人達がお参りをしていた。天満宮はしっかりと周辺の人達の生活に位置づいている。

入り口でもらったパンフレットにある「ごあいさつ」を見ると、こんなことが書かれていた。

「・・・平成もあと一週間で終わり、令和という時代に入ります。新しい時代になりましても、落語は同じこと、右を見ても左を見てもアホなことを喋っております。
多分、令和の次の御代になっても変わらないと思います。落語ってそんなもんです。
 そんな落語を好きになりこの世界に入り35年になりました。35年と言いましても何ら変わりません。一つの通過点でございます。
 その通過点をご覧いただくのが今日の独演会。
・・・(略)・・・
 本日のご来場誠にありがとうございます。平成最後の独演会。どうぞごゆっくりお楽しみください。」

桂米左さんの独演会は今回で4回目かと思う。 この日も大入り満員だった。ファンの人が多いのだろう。年配の人、そして男性の姿が目につくのが桂米左さんの独演会の特徴かもしれない。

本日の番組として紹介がされていたが、開口一番は、桂二豆(にまめ)さん。ニ豆さんは桂米左さんの内弟子で修行中らしい。
演目は「子ほめ」で、ただのお酒を飲むために、うまれたばかりの子どもをほめに行くが失敗する話。
「そんな赤ん坊に年を尋ねるもんがあるかい、今朝生まれたとこや」と言うので、「今朝とはお若う見える、どうみてもあさってくらいや」
というのがさげ。
桂米左さんは「修行中は師匠のいうとうりにやっていますが、これがどこかで崩れてくるんですね。それはいつかなあ・・・」と自分の席の時に話していた。型を覚えて身につけ、次はその殻を破って自分の持ち味を出すまでの苦労を言っているのだなたと思った。

助演は東京からやってきた春風亭柳朝さん。
私はこの人は初めてだった。桂米左さんとは仲の良い関係だそうだ。
桂米左さんが「ちょっとおかしな表現がありましたねえ。いつからあんなふうに変になったんでしょう」と自分の落語に入る前にしゃべっていると、春風亭柳朝さんが出てきて正座してあやまり、わらいをさそう。
東京風の落語は聞いたことがなかったので、興味を持った。いつか機会を作って、東京の寄席に行ってみたいものだ。

あくびの稽古、愛宕山、つぼ算

桂米左さんの演目は「あくびの稽古」、「愛宕山」「つぼ算」の三席。 「あくびの稽古」はあくび指南で知っている演目。 「愛宕山」は京都の愛宕山に出かけた旦那、芸者、太鼓持ちの話。太鼓持ち二人が主人公で、おしゃべり、身振り手振りの見て聞いて楽しむ落語。 以前に桂米朝さんの「愛宕山」を聞いたことがある。桂米左さんの語り口調は桂米朝さんによく似ている。桂米朝一門というのはこんなふうに芸が伝わっていっているのだなあと思う。
独演会では一つは師匠の演目を入れることが約束になっているそうだが、「愛宕山」がそうなのだろう。

さて枕草紙を英語で、ということがあったので、落語を英語で紹介しているものはないかと探してみた。以前に落語の説明を英語でしているものをプログで紹介したことがあったが、今回は落語の演目そのものを落語でしているものを探したわけだ。

図書館で「英語で笑う落語」という本を見つけた。

その本には50の古典落語がのせられていて、英訳がついていた。
もちろん落語家が語っているのを文章におこしたものではなく、あらすじがわかるようなものだが、こういう本があるとは知らなかった。
「まえがき」には、「・・・本書の50題は・・・普段寄席などで演じられている噺を思いっきり短くし、ストーリーの展開が早くなるようにまとめてみました。英米人になじみのある西洋ジョーク並の長さにしたわけです。・・・・」とある。

 

なんとそこには「子ほめ」と「あくび指南」がのせられていた。

子ほめ Praising the baby

この落語は、桂二豆さんの演じたものとはオチが違っている。 二豆さんは関西風のオチで、この本は関東風のオチになっている。上方落語では、 赤ん坊の年の若さを強調するために「どうみても明後日くらいや」と言っているが、関東風では「どうみてもただだ」なっている。そこの英語での表現は、

Oh, It looks young for one.  It looks like nothing !  Zero!

あくび指南 Yawning instruction

「・・・あまりのくだらない稽古に、たまりかねたハッつあんがいいます。 『なんてくだらねえ稽古をしてやがるんだ。いい年をして、一つことを何度もやって。稽古しているてめえわいいだろうが、そいつを待っている、オレの身にもなってみろ。退屈で、たいくつで、・・・ああ、ならねえ』と言いながらおおあくび。それを見ていた師匠がおもわず一言。 「あっ、お連れの方は器用だ。見ていて覚えた。j

 Confronted by such tedious training,  Hattsuan said , “What a stupid waste of time!
People of that age repeating the same thing over and over again!  It’s OK for you who are getting instruction, but I’m just fed up hanging around waiting …….. Put yourself in my  shoes.”
And Hattsuan followed these words with a huge yawn.
 Seeing the yawn, the head instructor said to Kuma-san with delight,  “Ah, your friend’s yawning technique is excellent. Imagine, he’s learned all that just by observing us.”

なるほどねえ。でも英語を聞いている英米人のお客さんたちは面白く聞こえているのかなあ。あらすじを聞かされても、目の前で落語家さんの喋っている様子がないと、あまりおもしろくたいだろうなあと思うが、、、さてどうなんだろう。

桂米左さんの独演会からちょっと外れてしまったかな? 

 

 

枕草子を英語で④

「枕草子」小説風にしたものがいくつかあった。
私が読んだなかで、田辺聖子さんの「むかし・あけぼの」がおもしろかった。
清少納言がまだ宮中にあがる前から始まり、中宮定子がなくなったあとの清少納言まで物語が語られている。
枕草子で描かれている中宮定子をみごとに小説の中に活かしたもので、上下2冊、内容もたっぷりのものだった。田辺さんは清少納言になりきっている。
この「むかし・あけぼの」で、貴族階級のものの考え方、庶民を見る目、身分制度(差別)が、私にはよくわかった。

さて、Enjoy Simple English 4月号の「枕草子」の最終週は、以下の3つの段。

Things that make you sad

世の中に、なほいと心憂きものは、人ににくまれむことこそあるべけれ。誰てふもの狂ひか、我、人にさ思はれむ、とは思はむ。されど、自然に、宮仕へ所にも、親、はらからの中にても、思はるる、思はれぬがあるぞ、いとわびしきや。 よき人の御ことは、さらなり、下衆(げす)などのほどにも、親などのかなしうする子は、目立て、耳立てられて、いたはしうこそおぼゆれ。見るかひあるは、ことわり、いかが思はざらむ、とおぼゆ。 ことなることなきは、また、これをかなしと思ふらむは、親なればぞかしと、あはれなり。親にも、君にも、すべてうちかたらふ人にも、人に思はれむばかり、めでたきことはあらじ。
     (角川ソフィア文庫 252段、日栄社 251段)

I think many people don’t want to be hated.

「世の中で、やはり一番イヤなのは、人に憎まれることだろう」(角川ソフィア文庫)
「この世の中でやはりつらい情けないと思うことは、人に憎まれるということが一番だろう」(日栄社)

Love can come from parents, someone you work for, or someone you are close with. 
It does not matter where the love comes from.

「親にでも主人にでも、だれかちょっとした話し相手にでも、愛されるほどすばらしいことはあるまい」(角川ソフィア文庫)
「親にもご主人にも、すべてお付き合いをしている人にも、とにかく人に愛されるということ以上に素晴らしいことはあるまい」(日栄社)

1000年以上の人の心や気持ち、感じ方が現在のわたしたちと変わらないのだなあと感じてしまうところ。だから「枕草子」は読みつがれてきたのかもしれない。

Men are mysterious

男こそ、なほいとありがたくあやしき心地したるものはあれ。いと清げなる人を捨てて、憎げなる人を持たるもあやしかし。公所に入り立ちする男、家の子などは、あるが中に、よからむをこそは、選りて思ひたまはめ。およぶまじからむきはをだに、めでたしと思はむを、死ぬばかりも思ひかかれかし。人のむすめ、まだ見ぬ人などをも、よしと聞くをこそは、いかでとも思ふなれ。かつ女の目にもわろしと思ふを思ふは、いかなることにかあらむ。
かたちいとよく、心もをかしき人の、手もよう書き、歌もあはれによみて、恨みおこせなどするを、返りごとはさかしらにうちするものから、寄りつかず、らうたげにうち嘆きてゐたるを、見捨てて行きなどするは、あさましう、公腹立ちて、見証の心地も心憂く見ゆべけれど、身の上にては、つゆ心苦しさを思ひ知らぬよ。(日栄社 252段)

Men think in the most mysterious ways. They break up with beautiful women and marry ugly ones. It is a mystery to me.

「男というものほど、世にも珍しくつかみどころのない了見を持ったものはいない。
絶世の美女を問題にもせず、不器量な女を妻として仲良く暮らしているなんてのは理解に苦しむ」(日栄社 イラスト古典全訳枕草紙訳)

ここは男性不信? なにか清少納言の個人的な体験がこれを書かしているのかなあ、と思えるところ。平安時代の女性の普遍的な価値観なのか、清少納言だけの受け取りなのか、浅学な私にはわからないところ。

When hearing someone talking badly about others

人の上言ふを腹立つ人こそ、いとわりなけれ。いかでか言はではあらむ。我が身をば差し置きて、さばかりもどかしく言はまほしきものやはある。
されど、けしからぬやうにもあり、また、おのづから聞きつけて、恨みもぞする、あいなし。
また、思ひ放つまじきあたりは、いとほしなど思ひ解けば、念じて言はぬをや。さだになくは、うちいで、笑ひもしつべし。
(日栄社254段、角川ソフィア文庫255段)

I really don’t understand  why people get angry when they hear someone talking badly about others. You can’t stop.
 
「人の悪口を言うのを怒る人は、わけがわからない。どうして言わずにいられようか。」(角川ソフィア文庫)
「他人の噂をするのを聞いて腹を立てる人があるが、全くえたいがしれない。どうして噂話をしないでいられよう」(日栄社)
 
I know it’s a bad things to do.  Most often, the people you talk about hear about it and start to hate you,  So, I guess it’s not worth talking about others.
 
「でも、あまり感心できないことだろうし、その上、当人が自然聞きつけて恨んだりするから、困ったもの」(角川ソフィア文庫)
「しかし噂話というものは、褒められたことではないし、また当人が自然と耳にして恨むかも知れないのがまずい」(日栄社)
 
人の噂話や悪口をとりあげているところ。単なる道徳的な話に終わるのではないところが、清少納言らしいところかも知れない。
しかし、私は読みながらハラハラしたのは事実。こんなこと書いていいのかなあ。
でも平安時代と今の感覚をくらべて、意識がほとんど変わっていなところがよく分かる。こういったところが現代でも枕草紙のファンが多い理由だろう。
 
今回英語で枕草紙を読むということをやってみたけれど、原文と英文と現代語訳の3つを比べながら読んでみると、案外よく分かることに気がついた。
これはなかなかいい勉強法かも知れない。
中学や高校で、枕草紙の勉強をかじった程度なので、古文そのものの理解力はつかないかもしれないが、その内容にふれることができたと思う。
NHKのEnjoy Simple English は、面白い英語の本だと思った。今年は毎月買ってみよう。