アイルランドとジャガイモ

 映画「ブルックリン」。20世紀フォックスのホームページから。
山下直子さんの講義で、1950年代のアイルランドから移民した女性が主人公という映画が紹介された。この時代はアイルランドの六人に一人が移民していたと言われる時代だ。
早速ツタヤでレンタルした。はじめにエリス島での移民局の場面があった。
前回私のブログで、本の挿絵で紹介したところとほぼ同じだったのでびっくりした。移民局の許可を得て、ドアを出てアメリカの土を踏むエイリッシュ・レイシー。ドアから眩しいほどの光が溢れ出す。
1950年代のアイルランドの女性の生き方を知る、素晴らしい映画だと思った。

アイルランドとジャガイモ

ベルファストのホテルのそばのコンビニに行くと、ジャガイモのお菓子がいっぱい並んでいた。
日本でポテトチップスと呼んでいるものだが、アイルランドではクリスプスという。
なかでもTAYTO(テイトー)というクリスプスは1954年の発売というから60年以上の歴史がある。
たしかに美味しい。しかし日本では見たことがないお菓子だ。

ジャガイモはよく知られているように、原産地は南アメリカのチリ。コロンブスがアメリカ大陸を「発見」してから、スペイン人たちが南アメリカに上陸し、ジャガイモのことを知ったのが1570年ごろ。ヨーロッパに伝わったが食用としての栽培はなかなか広がらなかった。しかしアイルランドでは1700年代前半にはジャガイモを植えて食用にしていたそうだ。大麦や小麦などの穀物は税金としてほとんど取られてしまったが、ジャガイモは税金で取られることはなく、収穫したものは自分たちで消費することができた。ここからアイルランド人とジャガイモの長い付き合いが始まる。
山下直子さんのお話によると、現在のアイルランドでは8種類ぐらいのジャガイモが売られているそうだ(全世界では4000種というからおどろく)。特にルースターという赤いじゃがいもはホクホク系で人気があるそうだ。

上の写真は松本侑子先生の「赤毛のアンの幸せになる言葉(主婦と生活社)」から。
アイルランドでもこのような風景がみられるのだろう。
ジャガイモは花が咲く。
当たり前のようだが「えっ?」という人も多い。なぜなら「じゃがいもの種をまきました」という言葉を聞かないからだ。かわりに「種芋を植えた」という。そう、小学校の理科で、ジャガイモ地下茎で増え、さつまいもは根っこで増えると習ったことを覚えている。
ジャガイモ畑には種をまくのではなく、種芋を植えているのだ。

「赤毛のアン」のマシューとマリラはスコットランド系の移民で、ケルト的な文化を背景に持っている。そのことは「赤毛のアン」を翻訳されている松本侑子先生がよくおっしゃっている。
ここではジャガイモのことに焦点を当てると、赤毛のアンシリーズ第3巻「アンの愛情」にはこんな場面がある。

「・・・お手間じゃなきゃ、手を貸して、ジャムを配膳室にしまっとくれ。今夜中に、急いで芋を片づけちまうんでね。お嬢さんがたは、こんな仕事はしたことはあるまいね。手が荒れるんで、嫌なんだろ」
「畑を貸しに出すまでは、私もよく種芋を切りました」アンはほほえんだ。
「私なんか、今でもしてるわ」ダイアナが笑った。「先週は3日も」それから茶目っ気たっぷりにつけたした。「そのあとは、毎晩、両手にレモンジュースをぬって、子山羊革のてぶくろをはめるのよ」
(文春文庫「アンの愛情」モンコメリ作、松本侑子訳 P134〜P135)

「赤毛のアン」というと、お茶会や劇や朗読などで楽しんでいる女の子たちのはなし、と思っていたら大間違い。農村で働く女性の姿が上のようにしっかりと描かれている。アイルランドの女性たちも、アンやダイアナのように種芋を何日もかけて切っているのだろう。

上の写真は私の家の近くにある畑で撮った写真。ジャガイモの花だ。この写真はピンクの花だが白い花も咲いていた。
大阪でもジャガイモの花は咲く。しかし松本侑子先生の写したプリンスエドワード島のように一面に咲く、ということはない。

左の本は私がジャガイモとの花と実について興味を持つきっかけとなった本。
私のブログでも以前紹介した。
この本のねらいは小学生たちに「花と実によって植物は広がっていった」という基本に気づかせるために書かれている。
ジャガイモも花が咲き、実がなり、種ができる。その種からジャガイモを育てることができる、という事実に着目している。
山下直子さんのお話に「ジャガイモは全世界で8000種ある」というのも、ジャガイモの種から育てて、品種改良をしてきたから、8000もの多種多様なジャガイモができたという歴史があるからだと思う。
新しい品種を作るには種がいる。いったん新しい品種ができると、あとは種芋で増やすことができる。種芋だからクローンのようなもので、同じ性質を受け継いでいる。だから病気になると、全体にひろがってしまう。それがアイルランドのジャガイモ飢饉の原因の一つだろうと言われている。
山下直子さんのお話では、今はアイルランドでは8種類のじゃがいもをお店で見ることができるそうだ。多様な品種があれば、一つが病気になってもあとは大丈夫というわけだ。これもジャガイモ大飢饉で学んだことの一つだと思う。
 ヨーロッパでジャガイモが広がるのに時間がかかったように、日本もそうだった。「ジャイもの花と実」の本にも説明がある。日本にジャガイモが入ってきたのは、豊臣秀吉が死んだ年、1589年のことだと言われている。しかし日本でもジャガイモを食べ物と考えなかったようで、1783年の大飢饉のときに栽培がひろがってきたそうだ。しかし本当に日本で広く栽培されるようになったのは明治時代になってからだそうだ。アメリカやヨーロッパから新しいじゃがいもの品種が入ってきて、その作り方が知られるようになってはじめてたくさん作られるようになったという。たとえば北海道の男爵いもは、川田龍吉男爵によって広がったと、山下直子さんのお話にあった。男爵いもは「アイリッシュ・コプラー」いう品種だそうで、ここでもアイルランドとのつながりがあった。

アイルランドでいただいた食事はどれもおいしかった。
肉も、魚も、野菜も、デザートも。
左はランチでいただいた煮込み料理。シチューといっていいのだろう。
ジャガイモのスープや、マッシュポテトのサラダなど、ジャガイモ料理もふんだんにあった。
山下直子さんのお話では、アイルランドでは料理に合わせてジャガイモの種類も変えるそうだ。日本人がお米はコシヒカリやササニシキなど、お米そのものの味を楽しむように、アイルランドの人はジャガイモの味の違いがわかるのだろう。
時間を見つけて、アイルランドの料理を作ってみたいものだ。

 

 

 

牛とジャガイモと移民

山下直子さんのアイルランドカルチャー講座。
今回のテーマは「牛とジャガイモと移民」

アイルランドの国土の50パーンとが牧草地で、人口が490万人いる中で、牛が700万頭、羊が400万頭、馬が10万頭いるというのだから、酪農の国ということがよくわかる。

この写真はダブリンの南にあるウィックロー山脈のそばを通っているときに撮したもの。いろんな色の牛がのんびりと寝転んでいる。

山下直子さんのお話によると、こんなにたくさんいる牛の90%は国外に肉として輸出されているそうだ。
しかしアイルランドの人は昔から肉食だったそうだ。肉の消費量として、世界平均は6.5キログラム。日本もそれぐらい。しかしアイルランドの消費量は19キログラムというから日本のおよそ3倍の肉を食べていることになる。

夕食に出たお肉の塊。骨付きだ。見た瞬間周りの日本人は「おーっ、大きい」という感じの声を出した。 私も「これは全部食べ切れないかも・・・」と思う。

これがその結果。おいしいのだが、、、食べきれない・・・・・。

私達ツアーの団体は二階のレストランでの夕食。窓から中庭を見ると、アイルランドの人たちが楽しそうにテーブルを囲んで食事を待っている。ゆっくりと時間をかけて食べるのだろうなあ。

広い牧草地でのんびりと草をはんでいる牛たち。
アイルランドの牛は「グラスフッド牛(草を食べている牛のこと)として知られている。この牛がアイルランドにやってきたのは6000年前のことだそうだ。ケルト人がやってきたのは2500年前といわれるから、ケルトの人たちがやってくる前からアイルランドにいたわけだ。
日本に牛や馬が、中国大陸から朝鮮半島を経て入ってきたのは、弥生時代のことだと言われている。しかしそれもはっきりとした証拠がないそうだ。魏志倭人伝には「(倭国には)牛馬虎豹羊・・・はいない」、と書かれているそうだがこれも真偽を巡っては諸説あるそうだ。ただ弥生時代の地層から牛や馬の骨が発見されているから、いたことは確かだろう。それが自然にいたのか、家畜としていたのか、まだまだわからないそうだ。
 アイルランドでは紀元前から馬による競技が行われていたそうだから、牛や馬は日本にくらべるとずっと昔からいた事になる。わたしが全く知らなかったことだ。

山下直子さんの講義では「牛」のあとに「じゃがいも」の歴史があったが、ジャガイモのことは次回のプログに回して、「移民」のことを書いておこうと思う。

ジャガイモ飢饉以前からアイルランドからはたくさんの人が移民としてアイルランドを出ている。移民先はイギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどで、その数は1000万人になるという。
アメリカの歴代大統領で、ケネディはアイルランド系とよく知られているが、それ以外にレーガン、クリントン、オバマなど約半数はアイルランドに関係があるそうだ。

上の写真はアニー・ムーアという女の子。二人の弟をつれて船でアメリカに移民したという。そしてニューヨークのエリス島に移民局が開局され、移民でやってきた最初の人物が彼女だといわれている。

上の写真は私が2017年に松本侑子先生企画の「若草物語とあしながおじさんの旅」で、ニューヨークに行ったときのもの。自由の女神像の見学はなかったが、サキスフォンを吹いている男性がいたので写真をとった。そのときにエリス島が後ろにあった。左に自由の女神像が見える。右のお城のような屋根が見える島がエリス島。ここに移民局があり、今はそれが博物館として残っている。

上の地図のような位置関係で写真を撮った。

エリス島の移民局は、アメリカの海外からの移民受け入れの入り口となった。

私はエリス島の見学をしていないので、中の様子はわからない。家のある本を調べていると上のような挿絵を発見した。 登録室の様子だそうだ。健康診断を受け、「運賃はどうやって支払ったのか? 親戚のところにいけるか? 無政府主義者か?」などの質問を受け、許可を待ったと書かれていた。
1850年から1948年の約100年間で、多い順に移民の数をしめすと、(1)ドイツ 606万4653人、(2)ユダヤ人 500万人、(3)イタリア 475万2835人、(4)アイルランド 459万7429人、(5)ロシア 330万人、(6)ポーランド290万5859人、(7)チェコ 100万人、(8)ノルウェー 80万人、(9)ハンガリー 66万2068人、(10)フランス 62万4561人になっているそうだ。(「Hopes, Love and Dreams in NewYork」NHK出版 より) 
アイルランドは4番めに多い。この中にアニー・ムーアの家族がいたのだろう。移民が許可されても、アメリカでの生活は楽でなかったことは想像される。
アニー・ムーアもその中のひとりだったそうだ。

しかし現在では全世界に散らばったアイルランド人のネットワークは8000万人になるという。アイリッシュネットワークだ。音楽、ダンス、アイルランド語が広がっている。アイルランドの中での自国文化の再評価が始まっていると山下直子さんはいう。移民が負の歴史に終わるのではなく、財産とする、という価値観の転換が起こっているのだろう。ただ私としては、リバーダンスの公演が大阪であっあのだが、新型コロナウィルスのため行くことができなかった。それがとても残念だ。

 

 

 

 

 

 

月齢早見盤4

これはインターネットて紹介されていた「月齢早見盤」。 山上企画というところが載せている。ここには詳しい解説がのっていて、作り方も紹介されていて、その仕組が丁寧に解説されている。
メトン周期のことものっていて、月齢早見盤の考え方を勉強することができる。

詳しいことは下記のホームページを是非参照してほしい。

http://yamagamiplanning.sakura.ne.jp/guide/texts/moonboard

鬼鬼西(おに おに にし)とは?

月齢の求め方にはいろいろとあるようだ。
ウィキペディアの月齢には、次のような式が紹介されている。

グレゴリオ暦からの月齢計算

グレゴリオ暦の日付から月齢を求める略算法として、堀源一郎氏が『天文月報』1968年7月号で発表した簡易月齢計算法がよく知られている

  • 西暦年数から11を引き、その値を19で割った余りを求め、11を掛ける。この値をaとする。
  • 月数から、以下の表に従って値を求める。この値をbとする。
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
0 2 0 2 4 5 6 7 8 9 10
  • 覚え方は、6月までは「おにおににし」と語呂合わせで覚え、7月以降は(月数-2)で求める。a+bに日数を加える。求めた値を30で割った余りが、その日のおおよその月齢である。但し、最大2程度の誤差がある。

ウィキペディアで紹介されている、堀源一郎さんの論文は

http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1968/pdf/19680704.pdf

にPDFファイルで見ることができる。

ウィキペディアにある表は、堀源一郎さんの原本では次のようになっている。

堀源一郎さんがこの論文を発表されたのは1968年。1968年は上のウィキペディアにある計算式のaを求めてみると、
1968 – 11 = 1957
1957 / 19 = 103 
となり、余りはゼロになる。したがって a = 0
そのため堀源一郎さんの提示する式は f(月) と日の数とで計算でき、たいへんスマートである。

この0,2,0,2.2,・・・と続く数字はどのような考え方から出てきたのかを見てみよう。

月齢とは?

もう一度基本に帰って、月齢とは何だっのかを復習しておこう。
これもウィキペディアによると、

暦法における月齢(げつれい)とは、直前の朔の瞬間からの経過時間を日を単位として表したものである。

では、ある年の1月1日をスタートにして考えることにしよう。2020年は「うるう年」なので、平年で考えることにする。

そしてこれまで考えてきたように、朔望月の日数は変化するので、平均を取り 29.5 日で一巡するとして計算することにする。実際の月の経過による日数と、29.5 日を一ヶ月として計算したものを表にすると次のようになる。

表の解説をすると、
現在の暦が月の朔望月と同じなら、毎月同じ日には同じ月齢になることはわかる。
しかし現在の暦は月によってその日数は違うので、月齢と日にちは一致しない。
また 29.5 日という、平均値を利用しているので「誤差がある」ということも忘れないでおこう。

2021年1月1日の月齢は、「こよみハンドブック」によると 17.4 である。

2月1日は、上の表によると 1.5 の差があるので
17.4 + 1.5 = 18.9 
となり、「こよみハンドブック」を見ると 18.9 である。

5月1日を見てみよう。上の表によると5月1日は2の差がある。
17.4 + 2 = 19.4 
「こよみハンドブック」によると 19.0 である。

12月1日を見てみよう。上の表によると12月1日は 9.5 の差がある。
17.4 + 9.5 = 26.9 
「こよみハンドブック」によると、26.2 である。

12月31日は
17.4 + 9.5 + 31 = 57.9
57.9 – 30 = 27.9
「こよみハンドブック」によると、 26.8 であり、約1の誤差である。

これは誤差が1から2ある簡便な式であることを忘れないでおこう。

現在の暦と平均の月の動きとの差を考えてきたので、その数を覚えるための一工夫をしている。
「1.5 を2,3.5 を4、5.5 を6、7.5 を8、9.5 を10と見なす。
ゼロを『お』と読み、『2』は『に』とよんで、『お、に、お、に、に、し』と続け7月の5からは順に、5,6、7、8、9、10」としたのが、この「おに おに
にし5678910」という覚え方」なのである。
この覚え方で12月31日を計算すると、(ハンドブックでは26.8 )

17.4 + 10 + 31 = 58.4
58.4 – 30 = 28.4
となり、誤差は2の範囲内におさまっている。

このようにして、調べたい年の1月1日の月齢がわかっていれば、任意の月日の月齢が、概算だけれども誤差2以内で計算することができる、というのが堀源一郎さんの論文の言わんとしていることだと私は思う。