パズルをつくる 6

ひっくり返る立方体

この「パズルをつくる」の著者、芦ケ原さんは「これはパズルではない。できあがったものをいじって遊ぶだけのものだ。それがまた楽しい」と書いている。さらに
「ルービック以来、立方体のパズルがぞくぞくと生まれた。そのどれもが気がめいるほどむずかしいものばかりなのに、このパズルだけは気楽につきあえてうれしい。
しや、これはそもそもぱずるとはいえそうもないしろものなのだ。
しかし、パズルとは、元来考えものという狭い意味の他に「人をまどわす」という広い意味があるのだから、いじっていて意外なところでくるりと回転するこの物体は、やはり人をパズっているのである。」と続けている。

さて作り方は本によると、「図のように立方体を並べ、太線でしめした八箇所をガムテープで両側から連結して立方体状にする。その形で表面にある色を塗る。次々と形を変えて、立方体ができたらその表面に別の色を塗る」というもの。

この本では「木の立方体を8個入手する。一辺最低5センチはほしい。入手できなけれは角材から切り出すしかない」と書いているが、画用紙でもできる。

画用紙で立方体を作る。「パズルをつくる」の本のように、セロテープで張り合わせていくと、写真のようなパズルができる。
画用紙でなくても、牛乳パックを利用すると大きな立方体を作ることもできる。
手元にある材料で工夫することもまた楽しい。

まず4個で試してみると、小学生の子どもでも喜んでくれた。
自分の好きな絵を書いてみたり、写真を貼ってみたりして楽しむことができる。
写真の上にある立方体8個が本にあるスタイルだ。

これは私の知り合いが作ってくれたもの。
立方体8個で出来てるが、中を開けるようにして開いてみると、何と星型が出てくるというすぐれものだ。
これは木では作れない(私はという意味で)。紙を使ってこんな複雑で楽しいパズルを作ることができるのがおもしろい。
いろいろと発展させてつくるのが、こういった工作の楽しみなのだろう。

 

 

 

あの日のオルガン

アイルランド紀行 番外編 

飛行機の中で見た映画。
時間がなかったので最後まで見れていない。日本に帰ってきてから原作を読むことにした。

私は学童疎開があったことは知っている。小学生の子ども達が戦争の被害、とりわけ空襲から逃れるために、親戚や知り合いへの縁故疎開、そして学校あげて農村に疎開したという事実。
学童だから小学生以上、と単純に考えていて、それ以外の子どもたちのことは考えつかなかった。
この本には、保育所がすっくりと疎開した事実が納められている。
そうか、学校に上がらない子どもたちは戦争中どうしていたのだろうか、幼稚園や保育所は開いていたのだろうか、閉鎖されていたのだろうか、と考えると知らないことばかりだった。

この映画は今年(2019年)の2月頃に上映されたらしい。私はそのことすら知らなかった。
そしてまだレンタルビデオにはなっていない。
この本、「あの日のオルガン」は36年前の本で、その時は「君たちは忘れない』という書名で出版されている。初版は1982年11月に草土文化から出版されている。映画化に伴って「あの日のオルガン」と書名を変えて、加筆・修正され、新装版となって出版された。(2018年7月30日 第1刷発行と奥付がある)。

上の写真はこの本からの引用。
1945年(昭和20年)2月発行の「アサヒグラフ」1104号の記事。

「ここは大日本愛育会の『疎開保育所』です。妙楽寺というお寺に、可愛い幼児たち40人が保母、保健婦、栄養士たち8人と一緒に元気に疎開生活をしています。・・・」という説明がついている。

当時の状況を本から引用すると、
「幼稚園が公立私立を問わず閉鎖されたのは1944年(昭和19年)4月のことである。・・・・4月に幼稚園が閉鎖され、8月に小学校生徒(3年生から6年生)までの集団疎開が実施されたというのに、保育所は閉鎖どころか、「戦時託児所」と名を変えて増加した。閉鎖された幼稚園を借り、子どもたちの去った小学校の教室を使い、お寺や教会のホールを借りて、増加し続けた。・・・・・・・・・
1945年3月10日、被災者100万人といわれる東京大空襲によって、すべての保育施設が廃止・休止に追い込まれるまで、この恐るべき状態に終止符が打たれることはなかった。・・・・・・・・・
東京都が政府の『幼老者、妊婦等の疎開実施要項』の閣議決定により、満4歳から就学直前までの子どもたちを対象に『疎開保育所設置要項』を定め、長野・群馬・埼玉・山梨の各県6ヶ所に、疎開保育所を開所したのは1945年6月末。敗戦の実に二ヶ月前なのである。」

こういった状況の中で、東京都の保育所集団疎開に先立つこと七ヶ月、1944年11月に幼児疎開を決行したのが、戸越保育所と愛育隣保館であった。
それがこの「あの日のオルガン」の本と映画の背景である。

戦争からの疎開は日本だけではない。
「ナルニア国物語」の第1巻は疎開からはじまっている。ロンドンの空襲から逃れるために4人の子どもたちが疎開したことから物語は進んでいく。これは日本でいう縁故疎開なのだろう。なんの気なしに読んでいたところだが、「ナルニア国物語」の背景には戦争・子どもたちの疎開があったことにあらためて気づいた。

アイルランドからの帰りの飛行機でこの映画を発見したことは、何かの縁なのかもしれない。

当時の保育士さんたちは戦後それぞれの道に戻って活動をしている。
本を読んでいて不思議に思ったのは多くの保育士さんがあの「疎開保育所」のことについて、
「おぼえてないわねえ」「もう忘れた。だめ、ほーんと、ぜんぜんおぼえていない」
と言うのである。
保育されていた幼児たちもそうである。
なぜ? あんなに大変だったことを覚えていないなんて・・・?

最後まで読んでわかったことがある。戦争が終わってからの生活のほうがずっと大変だったのだ。疎開していた生活よりもずっと厳しい現実がまっていたのだ。
子どもたちもそうである。まして4歳ぐらいの記憶はほとんどの人は薄れてしまっているのが現実だろう。疎開当時の厳しい生活をうわまわる大変な時代を生きてこなければなかったのであろう。

戦争、疎開、平和、「ナルニア国物語」を読んで考えさせられることは多いし、発見も多い。この「あの日のオルガン」はDVDでレンタルになれば、見たい映画である。

レンタルビデオが発売された。

ネットで「あの日のオルガン」がレンタルされることがわかった。 4月3日とあった。春休み中なので人も多いだろうと思い、少し間をおいてから借りに行くことにした。

緊急時代宣言が出される前に借りることができてよかった。

私は映画館で見ていないし、飛行機でも途中までしか見ていない。初めて見るような気持ちだった。
またDVDなので、本編だけでなくメーキングや予告編もついていたので、制作背景がよくわかった。
メイキングの最初に、トーキーのような古い映画を思わせる画面が映される。

「太平洋戦争末期、
 20代を中心とした若手保母たちが、
 子どものいのちを守るため、
 53人の園児を連れ、
 まだ誰もやったことのなかった
 集団疎開を敢行した。」

そのあと、当時の園児たちと保母さんの白黒写真。
そしてその集団写真がカラーにかわっていく。メーキングの始まりだ。

映画の内容は、ほぼ原作の本で語られているとおり。
疎開した土地での協力体制は不十分でしかない。それは学童疎開の時の同じだと思う。食料の不足、衛生面での不安、そして子どもたちの関係も地元の子どもたちからの偏見といじめ。
映画の中で、かえで先生(戸田恵梨香さん)はなげく。「子どもたちの文化的な生活はどうなるの」
子どもたちの文化的な生活を守るどころではなかった、大人もただ生きるために必死な疎開生活が描かれる。

映画の最後にテロップがながれる。
「1945年3月10日の東京大空襲で
 亡くなった10万人の中には
 多くの未就学児が含まれていた

 保母たちは53人の幼い命を救った」

「疎開保育園に参加した保母と
 かつての子どもたちの交流は
 今も続いている。」

 実際に疎開保育園を経験した保母さんの写真も出る。
 「おつかれさまでした」と思わず言ってしまいそう。

映画は暗い時代での物語だが、みっちゃん先生(大原櫻子さん)のオルガンがそんな時代を生き抜いた子どもたちと保母さんをはげます。

今、新型コロナでくらいムードに覆われている日本。
ユーチューブでは「民衆の歌」の大合唱の動画がながされている。
日本のいろんなところで、いろんな人がつながろうとしている。
インターネットが果たす役割だ。
「あの日のオルガン」の時代と少し進歩したところかもしれない。
「民衆の歌」は映画・ミュージカル「レ・ミゼラブル」で歌われている歌。
新型コロナに負けるな、医療従事者のみなさんありがとう、さまざまなメッセージがこめられている動画だ。大原櫻子さんもその中で歌っている。

https://www.youtube.com/watch?v=0Eax4cw6QFA

歌や音楽、オーケストラやミュージカル、演劇や歌舞伎などの芸術は人の心を温め豊かにする。日本には補助金カットで苦しんでいる芸術関係が多い。こんなときにこそドイツのように芸術・文化にお金を注がなくてはならないと思う。

 この「あの日のオルガン」はおすすめできる映画だ。
本編とともにメーキングもぜひ見てほしいビデオだと思う。
そしてユーチューブの「民衆の歌」も、ぜひ見てほしいと思う。

 

 

 

蝶の足は何本?

緊急事態宣言がまだ出されていない時の奈良、大仏殿。
3月の下旬。桜もやっと咲き始め、満開になるのはもう少しかなあ、という時。
平日なのもあわせて、観光客はとても少ない。
外国からの観光客はほとんど見ない。

大仏さんの右にある飾りに注目。
花瓶に花と虫の姿が見える。

姿形は蝶のような虫。

一見したところ蝶のように見える。
しかしこれは学問的に言うと蝶ではない。
なぜかというと「足が8本」あるからだ。
足が8本ある虫は現在では「クモ綱」に分類される。
蝶は「昆虫綱」に分類され、足は6本。いわゆる昆虫の仲間である。
では大仏殿にあるこの虫は何なんだろう。
まわりにはこれについての説明を書いたものは見当たらなかった。

この蝶のような飾りを見て、「蝶?、でも足が8本もある」とつぶやいている親子連れの小学生もいた。よく勉強していると感心、感心。

ブログを見ると、「8本足の蝶」についていろんな意見がある。
神格化してみたり、異型の生き物であったり様々な意味づけがあるようだ。

私の思うところは「この飾りを作った人は蝶の形の飾りを作ろうと思った」と思う。
ただ「蝶について正しい姿を知らなかった」と思う。
頭の中にある蝶のイメージで作ったというのが私の意見。

なぜかというと、明治維新までの日本人には「昆虫」という概念がなかったからだ。
「虫」という概念で、蝶もトンボもクモもムカデもとらえていた。
「蝶は昆虫の仲間」という考え方が広まったのは、明治維新以後のものであると私は思う。
生物の分類学の基礎を作ったリンネは1700年代の人。江戸時代の人だ。
大仏殿は二度の焼失でそのたびに再建されている。現在の大仏殿は江戸時代ものだ。

大仏の横の花瓶と蝶のような飾り物もこの時期に作られたのではないだろうか。
そうすると江戸時代の日本人の感覚、「蝶も虫一般」だから足による分類があることは知らなかったと思う。
「足が6本でも8本でもそんなに違いがない」と多くの日本人が考えていたから、この8本足の蝶のような虫を見ても違和感がなかったのでなないだろうか。

遠足や修学旅行で訪れる小中学生はこの「不思議な生き物」の飾りを見てどんな事を言っているのだろうか?と気になるし、質問をぶつけられた先生は何と答えているのだろう?
大仏殿でこの「蝶のような不思議な虫」を見て、日本人の虫にたいする見方をいろいろと意見を出し合うのも面白いとも思う。

この日は学校の遠足も修学旅行生もいない静かな大仏殿だった。

柱くぐりも人が少ないので、何度も楽しんでいる人もいた。 これがいつ頃からあったのか、諸説あるそうだ。再建前にもこのような柱があった、という文献もあるそうだ。 そうすると、再建する時にわざわざこの柱を作ったのかもしれない。

とにかく、こんなに静かな大仏殿は初めてだった。

お昼は「釜飯」で有名な「志津香」でいただく。
行列ができていたが、それほど待つことはなかった。

興福寺の五重塔、国宝館の「阿修羅像」を見て帰ることにした。

3月末の奈良の様子は静かだったが、5月の連休中の奈良はどうなのだろうか。
緊急事態宣言がはやく解けてほしいが、それには私達一人ひとりの行動にかかっているのだろうと思う。