金沢で外乗

金沢の内灘と千里浜での外乗

金沢の海辺を走るという外乗の案内があったので申し込んだ。

ここには内灘という海岸と、千里浜という海岸があり、そこを馬で走るという外乗だ。海辺を走るというのは魅力的なもので、いつか行ってみたいと思っていた。

サンダーバードに乗って金沢へ。

ここは金沢駅の構内。「あんやと」とか「あんと」というのは、金沢周辺での言葉で「ありがとうございます」という意味だとバスの運転手さんがおしえてくれた。
大阪弁の「おおきに」みたいなものだろう。

バスに乗って小一時間。海辺にある「クレイン金沢」にやってきた。

目の前に広がっているのが日本海。内灘だ。この日は暖かかったが、冬になると車がやってこれないほどの雪が積もるそうだ。

ここは障害のレッスン以外は屋内で行われている。

いいお天気だったが、馬にとってのコンディションはもうひとつのようだった。 私の乗った馬では、駆け足が数歩でただけ。 指導員さんも「今日は駆け足が出たらもうけもの、というぐらいです」と言っていたい。
というのは、週末のため家族連れなどが浜辺であそんでいて子どもたちの甲高い声があったり、浜辺の掃除のためかクレーン車のようなトラックが走っているからだ。
また海浜清掃で集められた色とりどりのゴミの山があちこちにちらばっている。 海や浜の上空ではタコのようのものが飛んでいる。「馬にとっては日常の空間でなくなっているので不安なようです」、と指導員さんは言っていた。

ホテルは金沢市内。階上のレストランから兼六園・金沢城公園が見える。

二日目はバスに乗って直接に千里浜に移動。馬も車に載せられて海岸に来た。

この浜は車が走ることができるので有名なところ。 そこを馬が走っているのは、車の運転手にとってもびっくりのようだ。

アクシデントがおきたので、1回目の走行で中止となり、2回目、3回目の走行はなくなった。

この馬はミニホースのトトロちゃん。みんなの人気者だ。お手ができるミニホースだけれど、体重は100Kgを超えているという!

外乗は、天候や馬の調子、施設の安全性、スタッフの対応など、考えることが多い。

さて来年に再びチャレンジしたいが、それまでにもっと練習しておこうとも思った。

右の写真は一日目の夕食のため金沢市内を歩いていた時にとったもの。月とハナミズキ。
金沢市内の街路樹は、ハナミズキが多かった。
ハナミズキが日本に広まったのは、日本がアメリカ(ワシントンDC)に桜(ソメイヨシノ)を贈ったお礼として送られてものがハナミズキだったからだといわれている。
ハナミズキはアメリカ原産のものだが、今は日本の各地に広がり、桜とともに春の花として知られている。金沢でハナミズキを見るとは予想もしていなかった。

 

 

 

 

金沢城公園の三等三角点

三角点を探る旅 37


兼六園のそばにある金沢城公園に三塔三角点があることがわかった。

兼六園見学を一人外れてこの3等三角点探しにでかけた。

兼六園の入口に面するように金沢城公園への橋がある。

金沢城には天守閣は残っていない。写真にあるのは五十間長屋。大阪城を見慣れている私には、全く違った印象のお城だ。
私が目指すのは辰巳櫓跡(たつみやぐらあと)。

地図と見比べるとどうも道から少し離れた木々の中にあるようだ。

あった、あった。三角点が見える。

三等と右から左へ書かれている。縦に三角と読み取れる。 三塔三角点だ。 地図を見る限り、金沢城にはここしか三角点がない。

他の三面を見るが、何が書かれているのかわからなかった。古いものなのだろう。
人の通る道から奥まったところに静かに鎮座している。
お城の多くは三角点や標準点がある。歴史的なもので移転することもないし、台地や山の頂上付近にあるので、三角点の置く場所としては最適なところだ。
この三角点は、海抜59.3 m のところに設置されている。

園内のあちこちに写真のようなマップが設置されているが、三角点を表示したものはない。大阪城もそうだった。私の記憶では、和歌山城には立て札があったことを覚えている。

おもしろいものがあった。第2次世界大戦中、陸軍が石垣を潰して作った弾薬庫。
米軍に見つからないように、と作ったそうだ。

ここはいろんな積み方をした石垣があるので有名なようだ。
石垣をめぐりのコースがあることが案内板にしるされていた。

近くにある兼六園に似合うようなきれいに整備された金沢城公園だった。
兼六園近くのアイスクリームショップで、金沢で人気の「金箔・銀箔のソフトクリーム」を買う。1個1000円なり。
バスの運転手さんに「いろんな国の人がいますね。」というと、
「日本人は一人もいないでしょう」と冗談を返してきた。
それぐらい外国からの観光客が多かった。
外国には三角点があるのかな、ふと疑問が湧いてきた。

 

 

分数の計算②

分数の歴史

分数の歴史はどこまで遡れるのだろう。 改めて考えてみると、私にはわからないので調べてみた。

参考になったのが上の二冊。 「岩波科学の本9 数は生きている」と「ちくま学芸文庫 初等数学史」である。
そこにアーメスのパピルスの説明があった。

「数は生きている」からの引用が上の写真。

「初等数学史」からの引用が上の写真。分数の具体例が書いてある。

上の写真はウィキペディアからの引用。 実物はこんな感じなのだろう。
33cm✕5mぐらいの巻物状だったらしい。

この「アーメスのパピルス」というのは1858年にテーベで発見されたもので、イギリス人の学者のリンドが手に入れて研究したため、「リンド・パピルス」ともよばれている。紀元前1700年ごろに書かれた数学書だそうだ。
紀元前1700年といえば日本ではまだコメも伝わっていない縄文時代だ。
今から約4000年!!前から分数は使われていたことがわかる。

エジプト人は単位分数の和が連続量を表す最終的な表し方であると考えていたらしい。今の分数の計算方法とは違っている。詳しいことは「数は生きている」を見てほしい。

もちろんエジプト人すべてがこの分数を使っていたということではない。ごく一部の専門家が知っていて、使っていたと思われる。

 

分数の文化圏と小数の文化圏

左の本「水道方式入門 小数・分数編」によると、「中国・古代バビロニアでは、小数が主として使われていました。
・・・中国においては、古代から一貫して小数のほうが流通していたのです。中国の文化圏に属する日本でも、したがって、小数が主に使用されてきました。・・・ところが、一方、古代ギリシアのようなところでは、小数は使われず、もっぱ分数のみが使用されていました。それを引き継いだ、古代ローマやヨーロッパが、分数を主に使っていたのはそのためでした。ヨーロッパが今日のような10進小数の便利さを主張したのは、やっと16世紀のシモン・ステヴィンであったのです。ヨーロッパでは、小数のことを10進分数(decimal fraction)というので、小数という独自の用語すらないことをおもいだしてください。」

へーっ、そうなんか。と目からウロコのような感じ。では分数はどのようにして使われていたのだろう。分数の基本となる互除法について次のような説明がある。

「互除法は、古代ギリシアで、実際に用いられた測定法だったのです。小さな都市国家に分かれ、貴族民主主義の発達していたギリシアの社会では、市場で2つの商品の量を比較する場合、法定単位で測るというようなことはありませんでした。
 Aという商人がa という長さの布を、Bという商人がb という長さの布を持ってきたりすると、片一方がもう一方のいくつ分持っているかを測り、それで余りが出れば、その余りで他方の布の長さを測り、それで余りが出れば、その余りで他方の布の長さを測り、・・・というように、対等に測り合って、代金の比率を求めたのでした。」

分数文化圏として、ギリシア、ローマ、ヨーロッパがあり、小数文化圏として中国・日本があることがわかった。私たち日本人は、文化として小数になじんでいるため、分数の考え方や使い方になかなかなじめないことが、歴史的によく分かる。

 

 1/3 を 三分の一と分母から読むのは日本だけ?

日本に分数が伝わったのは中国の「九章算術」という本によってらしい。
この本は奈良時代に伝わってきたようだ。ここには分数の問題もあったそうだ。
養老令には「三分之一」という言葉があったり、その他の法律にも「三分之二」「四分之三」などの言葉が記されているそうだ。
奈良時代・平安時代から分数の読み方として「分母を先に言う」という言い方が定着していたようだ。

岩波新書の「日本語(下)」に分数のことが書いてあった。

「・・・このように順序を乱して書く例は、実は日本語にもある。例の分数である。三分の二を2/3と書く。小学生のころ、うっかり分子を先に書いて分母をあとで書くと、先生に叱られたもので、これは、日本でこの分数を読むときに、「三分の二」というように、分母を先に分子をあとに言うせいである。英語では two thirds と言うから、分子を先に書いて、分母を後にしても差し支えない。
 これを思うと、日本もこういったものを、「二の三分」とでも言っておけば、そんな無理なことをしなくてもよかったんだと思う。・・・・」

明治維新になって、今の分数の書き方が日本の学校に入ってきた。そのときには、分数をどう読むか議論があったかもしれない。
たぶん長年の伝統から、分母を先に言って、下に書き、分子を上に書く、という方式になったのだろう。

インターネットでざっと調べてみると、英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、ロシア語は、two thirds のように分子を先に言い、後から分母を言う読み方をしている。分数の文化圏なのだろう。
ミャンマー語は日本と同じように、分母、分子の順に読んでいるようだ。
日本語のように分母を先に読んでいる言語は多数派でないような気がするが、これ以上のことはわからない。

日本が小数文化圏であるため、分数に馴染んでいないこと、そして中国式読み方と西洋式表記法のぶつかりあいが、ますます分数の学習を難しくさせているのかもしれない。

 

 

桂米左独演会 2018

久々の雨模様。
ここは繁昌亭。久々の桂米左さんの独演会。

雨が降っているのに、傘をさした人が次々に繁昌亭に入っていく。 満席のようだ。

米左さんの独演会に来るのは3回目。
米左さんは大阪市出身の落語家。ウィキペディアによると大阪市立豊崎中学校、都島工業高校出身だとか。
生粋の大阪人、浪速っ子だ。高校を卒業して桂米朝さんに入門したそうだ。

入り口でもらったパンフレットに米左さんの「ごあいさつ」がある。

「・・・独演会は三席するというのが米朝一門の形です。師匠米朝が長年この形でやっておりましたので弟子も独演会は三席というのを踏襲しております。
 ですが昔は独演会というと本当に独演で、助演も入れず一人で五席、六席とやっていたそうです。・・・けどはっきりと言います。一晩で五席、六席・・・ようしません、また迷惑かと思います。
 自身が三席で助演に空気を変えてもらうというのが一番いい形ではないかなと思います。
 今日は「天王寺詣り」「質屋蔵」「軒付け」の三席でお付き合いを願います。助演で空気を変えてもらうのが、米左が最も信頼している後輩、大名跡襲名後進境著しい桂文三さん、露払いは米團治門下の慶次朗さん。この夏には名前の通り慶事があるそうです。本日のご来場感謝でございます。最後までごゆっくりお楽しみください。」

「開口一番」の桂慶次朗さんの師匠は桂米團治さんで、桂米朝さんの息子。かつての小米朝さん。2008年に五代目桂米團治を襲名している。

 慶次朗さんの噺は「桃太郎」。
子どもを寝かしつけるためにお父さんが桃太郎の話しをしてやる。
子どもは話が終わっても目を大きく開いていて,一向に眠る気配がない。そして「おとうさん、桃太郎という話は世界中で一番良く出来た話なんだ」と言う。お父さんがえっ?という顔をすると、
「そもそも昔むかしあるところにという出だしは、日本どこでも通じるようになっていて、これは普遍的なんだ・・・」と、とうとうと桃太郎の道徳的な意義を説明するという話。

この話は私が子どもの時にラジオで聞いたことを覚えている。話を聞いて「へーっ、そんな意味があるのか・・・」と、子ども心に感心したことを思い出す。

天王寺詣り

この噺は笑福亭一門のお家芸の一つだそうで、米左さんも「うちの一門の噺ではありませんが……」というようなことを言っていた。
 大阪生まれの人、四天王寺さんを知っている人、四天王寺にお参りしたことがある人には「うん、うん。そう、そう」と頷きながら聞いてしまう話だ。
四天王寺の名所旧跡のガイドのような話がいっぱいで、知っている人にはたまらないと思うが、時代もかわり、「のぞきからくり」も今はない。私も遠い昔に一度だけ見たようなおぼろげな記憶があるだけ。

私はこの噺のサゲ・おちがよくわからなかった。
妻に聞いてみると、さっとネットで調べてくれた。その内容を私の理解でまとめてみる。
・ 噺の展開は、死んだ犬の供養のためについた「引導鐘(いんどうがね)」の場面。そのときに「ああ、無下性(無礙性、むげっしょう)にはどつけんもんでんなあ」と言って終わる。

・ 無下性(無礙性)というのは、仏教用語で「手加減しない、思い切り」という意味らしい。私はこういう言葉があることは知らなかった。
この噺の前半に、犬が近所の子どもに棒で叩かれて死んでしまうところがある。ここで『無礙性にはどつけんもんでんなあ』という説明がある。ここにつながることがわかった。

 私にはへぇー?というサゲだが、多くの人が笑っていた。無礙性という言葉を知っている人なんだなあと思う。
 落語はある意味タイムマシンの役割がある。昔の大阪の生活や言葉を教えてくれる。でも私にも何か説明がないとわからない噺があるのだなあと、思った次第。

お楽しみ

桂文三(かつらぶんざ)さんの「お楽しみ」は「動物園」として知られている噺。

ところで「桂文三」という名跡があることは知らなかった。調べてみると90年絶えていた由緒あるものらしい。五代目桂文三さんは五代目桂文枝さんのお弟子さんで、「桂つく枝」だった人。2009年に「桂文三」を襲名しているそうだ。
「ごあいさつ」に「最も信頼している後輩」とあるから、よほど仲が良いのだろう。

この「動物園」は、移動動物園で虎の皮をかぶってのアルバイトをする怠け者の噺。これもラジオで聞いて笑ったことを思い出す。ラジオは耳から聞いてその場面を想像するのだが、舞台で噺家さんが身振り手振りでその状況を説明するのを見るのも、また楽しかった。この噺はどこまでアドリブが許されるのだろう?と思うほど、自由奔放な芸だった。
最後の場面。サゲのところで「心配せんでもええ、園長の長谷川や」というところの長谷川は、文三さんの師匠の五代目桂文枝さんの本名から来ている。これも師匠あっての話だなあと、あとから笑ってしまう。

質屋蔵 軒付け

どちらも米左さんの話芸の真骨頂発揮の演目だった。はぎれのよい、滑舌の良さが噺の展開を面白くし、ぐいぐいの噺に引き込んでくれた。

「質屋蔵」では、「繻子の帯」が質屋への怨念につながっているところまでの展開が面白かった。六円の帯代のために苦労するおかみさん、そして苦労の挙句に病に倒れる。おかみさんの実家に舞い戻った妹が、病に倒れたおかみさんの看病をしてくれる。その妹へ形見にしたかった繻子の帯は質屋に入れたまま、そして「思えば恨めしいあの質屋」。ああここで質屋への怨念につながるのかと大きく頷いてしまう。
熊五郎のわびを入れる話、蔵の見張りでドタバタした出来事、そして帯と羽織の相撲と展開がおもしろい。最後に菅原道真の登場。太宰府へ流されたことと、質流れにかけたさげでおわる。

「軒付け」は江戸時代に大阪ではやったという浄瑠璃をテーマにしたもの。
軒付けというのは、浄瑠璃の練習を兼ねて家の前で語ることだそうだ。上手に語れば相応のもてなしがあるが、下手なら追い返される。
 ここで米左さんの邦楽囃子望月流名取の声がさえる。浄瑠璃の節回しが会場に広がるわけだ。大阪の伝統芸能の、いや日本の伝統芸能の文楽の世界が垣間見える。落語がさまざまな芸能を吸収していることがよくわかる。
 初めて聞く演目なのでどんな落ちがあるのかなあと思っていた。
おばあさんが「じょうずだね」というと、「適当なことを言うな」と怒る軒付けの仲間。おばあさんが言う。「食べている味噌の味がかわらない」と返事で終了。
 なるほど、下手な浄瑠璃は「味噌がくさる」という、前段のフリがここできいてくるわけだ。

独演会の翌日、図書館で左のような本を見つけた。

この本によると日本全国にいる落語家の数は約820人あまり。
江戸時代には落語家は200人を超えるぐらいだというから、800人というのはびっくりの数だ。

東京に約550人、関西に約270人と言われている。
女性の落語家も増えてきているそうだ。

落語の稽古は口伝で、台本のようなものはない。師匠や兄弟子から教わるが、ネタによっては別門の師匠のところに行き、習うこともあるそうだ。今回の独演会の「天王寺詣り」などがそうなのだろう。
お願いに行けば時間を作って教えてくれるそうだ。しかも無料で。それは自分たちもそうやって落語を教わってきたからだと言う。
20分、30分の噺、人情噺となると1時間にも及ぶ話もある。そういった噺を徹底的に暗記をし、振りを付け、話芸を磨くのにどれほどの時間をかけたのだろうと思う。慶次朗さん、文三さん、米左さん、客席を笑いに包み込む話芸の裏には、果てしない努力があるに違いない、とあらためて思った。

 

 

 

 

分数の計算①

分数ものさし

ネットで「分数ものさし」という記事を見つけた。

なんでも小学生の子が夏休みの宿題として考えたものが製品化されたいうので、興味がわいた。

さっそく書店を幾つか回って発見した。練習のドリルとものさしがついたものがあったので買うことにした。
それが左の写真。
ドリルの上においてあるのが、その「分数ものさし」。15cmのプラスティクのものさしに、分数表示のめもりが書かれている。

この本の裏表紙に分数ものさしの使い方がわかるような説明図がある。それが上の写真。

実際に自分でこの分数ものさしを使ってみた。
ドリルの数字を少し変えて、その計算方法を説明してみよう。

1.足し算

まずは足し算。1/6+2/3 の計算の仕方の説明。

1/6の線を引いて、ものさしを動かし、そこから上の写真のようにものさしをうが指し、ものさしの2/3 の部分を探して線を引く。

ものさしを当ててみると、5/6 になっているので、1/6+2/3=5/6  という説明。

 

2.引き算

次は引き算。1/2- 1/3 を計算してみよう。

図のように1/2 の長さから 1/3 の長さ分だけを取ると、残りの長さは 1/2 – 1/3 となっているはずなので、そこの長さを分数ものさしではかると 1/6 になる。だから、
 1/2 – 1/3 = 1/6 になるという説明だ。

かけ算

次はかけ算。

1/4 ✕ 2/3 の計算。

たて1(12cm)、
よこ1(12cm)の正方形を分数ものさしを使って書く。

①分数ものさしを使って、たてに 1/4  よこに 2/3 の線を引く。

②図のように 1/4 ✕ 2/3 の部分の面積を塗りつぶす。

③ぬりつぶしたところは、全体の面積の 2/12 になっている。

④2で約分すると 1/6 

これで 1/4 ✕ 2/3 = 1/6 ということがわかるというのがこの本の説明。

 

わり算

 

分数ものさしを紙に書いてみて、説明してみよう。
この本の問題文は「二分の一の宝物を四分の一人で山分けしよう」というものだが、ここでは六分の一人にして計算してみた。
上の写真のように、1/2 と 1/6 がわかるように色分けしてみる。

① 1/12 がいくつ分か考える。 → 1/2 は 1/12 が6こ
② 1/6 は 1/12 が2こ
③これは6こを2人でわけるのと同じことだから
 6 ÷ 2 となるので

 1/2 ÷ 1/6 = 3  というのがこの本の説明。

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この「分数ものさし」の本(ドリル)には、たくさんの練習問題がついている。
分数ものさしをつかって、ドリルをして分数の計算に習熟するというのがねらいなのだろう。

自分でやってみて、この本のねらいとしている「分数の感覚」を身につけることはできるのだろうか、とちょっと疑問がわいてきた。
この機会に分数のことについてあらためて勉強してみようと思った。