ハイジとドレミの旅 12

ザルツブルグはドイツに近いところにある。
旅も四日目、これからは「サウンド・オブ・ミュージック」の世界に入っていく。

ホテルのレストランで朝食を食べ、散歩に出ることにした。

雨が降り続いている。ザルツブルグの街は路面電車が走っている。電車のデザインもいろいろあり、2つの車両を連結した電車も走っていた。

大きなパッカー車がゴミを集めていた。日本のパッカー車よりもかなりの大型。雨が降ってもこういう仕事は休むことはできない。大事な仕事だ。

私達の持っているガイドブックに、
「ザルツブルグは東アルプス山脈を望む、ドイツと国境を接するオーストリアの都市です。街はザルツァッハ川によって二分され、左岸には中世やバロック様式の建物がある旧市街があり、右岸には19世紀の新市街があります。」と書かれている。

私達が歩いているのは、世界遺産ザルツブルグ市街の歴史地区。
目指しているのは映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台、ミラベル庭園。

映画「サウンド・オブ・ミュージック」で、マリアと子どもたちがドレミの歌を歌ったところ。
左側の建物は市の建物で、中を見学することはできなかった。
しかし庭園は素晴らしく管理されており、雨に煙るミラベル庭園はとても趣があった。雨の中を歩くのは大変だが、こういった風景は雨でしか味わえない。

ドレミの歌を歌っていた階段。
ベガサスの像のある池もあり、映画の場面を思い出させる。

一緒のツアーの人で、ノートパソコン?タブレット型のパソコン?に、映画「サウンド・オブ・ミュージック」の資料を沢山入れて持ってきている人がいた。
時々その資料を見せてもらい、「ここがあの場面のところか」「ここでマリアが・・・」と画像データと実物の建物や風景を見比べながら見学することができた。映画と映画のロケで使われた場所の相乗効果で、サウンド・オブ・ミュージックがぐっと身近に思えた。

雨のためか、観光客もそれほど多くなく、ゆっくりと庭園や彫刻、池や噴水を見てまわることができた。
下の写真は映画の中でマリアと子どもたちが歌って踊っていた銅像でのショット。時間の経過が銅像の色を変えていた。

銅像を通り、ミラベル庭園を出ると、道路向こうに見えるパステルカラーの建物、赤い旗が見える家がモーツアルトが住んでいた家だそうだ。

モーツアルトが住んでいた家の隣にあるこの家は、なんとドップラー効果を発見したドップラーの家。「へえー、ドップラーってザルツブルグの人だったんだ!」私は一人感心してカメラのシャッターを押した。

家の二階部分にはってある掲示板のようなものを拡大すると、写真のように、
CHRISTIAN DOPPLER 
の文字が読み取れる。

ドップラー(1803年〜1853年)はオーストリアの物理学者であり数学者であり天文学者であった人。
モーツアルトは1756年〜1791年の人だから二人の交流はなかった。でもこの二人の家が隣同士になっているなんて、なんと偶然なんだと感心した。
スイス・オーストリアは、世界の文化の中心だったんだなあと思う。

このあとショッピングストリートへまわり、ノンベルク修道院のほうに向かう。

 

 

 

 

ハイジとドレミの旅 11

ザルツブルグへ


ザルツブルグまでは373Kmのバスの旅。
途中のドライブインで昼食となる。

ここのドライブインの仕組みがおもしろかった。各コーナーごとにお皿があり、お皿の大・中・小で値段が変わる。大きなお皿に少しの料理を載せても、山盛りの料理を載せても値段は同じ。逆に言えば、小さなお皿に溢れんばかりの料理を載せてもねだんは、小さなお皿分の値段でよい。だからみんは小さなお皿にたくさん料理を載せようとしていた。私は溢れんばかりのヨーグルトを入れたけれどこれは損?得?

ドライブインでの昼食の後、バスはザルツブルグへ向けて前進する。
お天気があやしくなってきた。明日は雨の予報だそうだ。

私達のバスト並行して走る電車は、ザルツブルグ行きのようだ。

写真中央のホテルが私達の泊まった HOTEL PITTER.

夕食はホテルの近くのレストランで。

雨が降り出している。
この日、日本でも大雨が降り出していた時だった。
インターネットのニュースで大雨のことが放送されていた。

同じ時期に雨が降り出していたが、オーストラリアの雨は日本の雨のように豪雨ではなかった。

私達のスイス・オーストリアの旅では一日だけが雨だった。
海外旅行の荷物で困るのは雨具。傘は折りたたみがいいのか、大きな傘にするのか、カッパ、レインコート、靴は?と考えることが多い。とにかく傘とカッパを忘れることはできない。

最後に出てきた謎のデザート。この触感はなんだろう? シュークリームみたいな外見だが、食感はだんご? 現地ガイドさんも、はじめてだと首をひねっていた。

夕食を終えてホテルに戻る。窓から見えるロータリーは雨に煙っていた。

 

 

 

 

ハイジとドレミの旅 10

アルムのおんじとは?

ところでどうして「アルムのおんじ」というのだろう?ずっとそんな疑問があった。この旅行で現地のガイドさんの意見を聞いてみようと思っていた。

左の本は「偕成社文庫 若松宜子訳」のハイジ。奥付に2014年4月1刷と書かれている。

第1章の見出しは「アルムおんじのところへ」とある。
どうして「おんじ」と呼ばれるかの説明の部分は、
「・・・あたしたちは親戚づきあいをしていたのよ。ほら、うちの母さんのおばあさんが、あの人のおばあさんといとこだからね。だからあたしたちはあの人を、おんじとよぶわけ。それで、うちの父さんとは、この村の人間はたいていどこかで血がつながっているから、みんなが、おんじと呼びはじめた。そして山の上のアルムにひっこんでからは、『アルムおんじ』とよんでいるのよ」

次に岩波少年文庫を見てみた。
「竹山道雄訳のハイジ」奥付は1952年9月15日第1刷発行とある。

同じように目次といわれの部分見てみよう。
第1章の見出しは「山のおじさん」
呼び方のいわれの部分は、
「・・・わたしたちは、親類の縁は、絶ちませんでした。わたしのおかあさんのおばあさんは、あの人のおばさんと、いとこどうしだったんだもの。わたしたちは、あの人をおじさんとよびました。もともと、わたしたちは、デルフリ村のたいていの家と、父方の親戚でしよ?それで、村の人は、やっぱりみな、あの人をおじさんとよんでいるのよ。アルム山の上へ越していってからは、ただ、アルムおじさんといっているけれども」

この左の本は、「角川文庫 関 泰祐・阿部賀隆訳のアルプスの少女ハイジ」奥付は昭和27年6月15日初版発行」とある。岩波少年文庫と同時期のものだ。
第1章の見出しは「アルムおじさんの山小屋」、いわれの説明は
「・・・でもわたしたちは、あの人の親戚だということをかくしはしなかったわ。わたしの母のおばあさんはあの人のおばあさんの姉だってんですもの。それでわたしたち、あの人をおじさんとよんでいるの。それに、わたしの父を通してわたしたちは、デルフリのほとんどすべての家と血がつながっているものだから、あの人はどこでもおじさんと通ったわけなのよ。それで山へ住むようになってからも、山の名をとってアルムおじさんとよんでるわけなの。」

左の本は「福音館文庫 矢川澄子訳のハイジ」2003年3月20日初版発行の本。

第1章は「アルムじいの小屋へ」

「・・・でも、うちでは親せきづきあいをやめはしなかったわ。うちの母方のおばあさんがあのひとのおばあさんのいとこだったし、それで、うちではあの人をおじいって呼んでいたのだけれど、父方からいえばほとんどデルフリの村じゅうが親せきみたいなもので、それでみんなも、あの人をおじい呼ばわりするようになったの。そのうち、あの人がアルムの山にひっこししたので、あとはただ、アルムじいって呼んでいるわけよ。」

こうして見ていくと、新しい本で「おんじ」と訳されていることがわかった。
では外国語の本ではどうなのだろう。私は英語の本を買ってみた。
原作はドイツ語なので、本当ならドイツ語で書かれた原作にあたりたいのだが、ドイツ語を読むことができないので、英語に翻訳された「ハイジ」を調べてみた。

左が英訳の「ハイジ」
This translation first published 1956
と書かれていた。

第1章は
Up the Mountain

・・・・・All the same we accepted him as a member of the family.
 His grandmother and my mother’s grandmother were sisters, so we called him Uncle, and as we’re related to almost everyone in Dorfli, one way or another, the whole village called him Uncle too. Then, when he went to live right up there on the mountain, it became Uncle Alp.・・・・・

英語では Uncle おじさんというように訳されている。たしかに内容から考えるとアンクル=Uncle おじさん なのだから。

図書館に英訳の本があったので借りてみた。1996printingと書かれていた。

第1章は The Alm-Uncle

・・・But we recognize the  relationship, for my mother’s grandmother was his grandmother’s first cousin.
So we called him uncle, and as we are related to almost all the people in Dorfle, on father’s side, they all call him uncle, and since he went up on the Alm he has been known as the Alm-Uncle.

この本では the Alm-Uncle となっている。私の買った本では Uncle Alp となっていて、Alm と Alp の違いがあるが、uncle であることには代わりはない。

「アルプスの少女ハイジ」の日本語の翻訳本をたどっていけば、どこで「おんじ」という言葉が出てくるのがわかると思うがそこまではできなかった。ただ最近の翻訳本やアニメでの表現の「おんじ」は日本語独特のもののようだ。おじさんと訳するところを、訳者の人が「おんじ」と言う言葉を選んのだろうと想像される。
「おんじ」という言葉は、広辞苑のような辞書には載っていないが、小学館のある国語辞典にのっているという情報がネットにはでていた。私自身がその国語辞典で確かめていないので、これ以上のことは言えない。

現地のガイドさんは「原文はドイツ語です。ハイジはドイツ語でおじいさんと言っています。英語のグランドファーザーですね。」という。私は「おんじ、という言葉はどこかの方言なんでしょうかね」と聞くと、「たぶんそうなんでしょうね。日本のどこかの方言だと思います」というようなことをサラッと言っていた。

アルムとは?

ハイキングのところで見た地図に、ハイジアルプと書かれている。アルプとアルム、同じものか違うものか、ここでも疑問が出てきた。

左の本は、NHK取材班による本で日本放送出版協会発行のもので、平成2年4月20日第1刷発行の「アルプスの少女ハイジ・夢紀行」という本。

この本の中にアルムとアルプのことが書かれていた。

「山羊飼いの暮らし 舟田詠子」
・・・・スイスのアルプスは、標高2200メートルで森林がとだえ、その上方は原っぱになる。ここが、アルプスの名のおこりとなった、(注 アルプがたくさんあるからアルプスという言葉ができた、という意味らしい、と私は解釈した)アルム(またはアルプ)とよばれる牧草地。牧草は、高地へ行くほどビタミンが豊富で良質になる。そこで、雪のない夏季には、家畜をこのアルムへ放牧し、栄養と体力をつけさせる。・・・」

なるほどアルプとアルムは同じものなのか。そう思ってネット検索をしていくと「スイス観光局」の資料を紹介しているものがあった。
そこには、私達がハイキングしたコースのことを紹介した文章があり、こんなふうに書かれていた。

「アルプとはスイスドイツ語て山の上の放牧地のことを意味する単語。標準ドイツ語ではアルムというため、「アルムの森」や「アルムの小屋」といわれていたのは、この辺りのこと。」

http://www1.myswiss.jp/brochure/jp/ph_Heidi.pdf

「アルム」と「アルプ」は、スイスドイツ語と標準ドイツ語の違いだということだ。日本語に翻訳するとき「アルム」という言い方を採用した本が多いのだろうと推測できる。

デルフリ村とは

ハイジが住んでいた村は「デルフリ村」と訳されていることが多い。そのことについて偕成社文庫の「ハイジ2」の解説で、訳者の若松さんは書いている。

「今回翻訳するにあたって、ハイジが通う学校がある村は、そのまま『村』と訳しました。デルフリ村という名で知られていますが、デルフリとは「小さな村」という意味の普通名詞であるためです。物語にでてくるそのほかの、マインフェルトや、プレッティガウなどはすべて実在する地名ですが、この村だけは、とくに名前がつけられていません。
 また、ハイジの名前は正確には「ハイディ」と表記するべきなのですが、日本では『ハイジ』と長く親しまれているので変更しませんでした。・・・・」

なるほど、翻訳という苦労がよくわかった。

ここまでブログを書いていたとき、図書館で左の本を発見した。

河出書房新社が2013年9月30日に初版発行の本。「図説 アルプスの少女 ハイジ」だ。

ここには「アルム」という言葉のことがきっちりと書かれていた。

「ハイジとペーターがヤギを連れて行った山の牧場を、この物語ではアルムと呼んでいます。森林限界を超え、草地が広がるこのような場所をさす言葉で、アルム(Alm)というのはドイツ南部の方言です。スイスドイツ語ではアルプ(Alp)なのですが、シュピーリが「ハイジ」を書いた頃、ドイツ南部の方言が流行していたので、アルムという言葉を使ったようです。現在ドイツ語で出版されている「ハイジ」では、オリジナル通りのAlm とするものと、Alpの表記が混在しています。・・・」

なるほどドイツ語の方言が作品に影響していることがこれでわかった。
ドイツ語の本でもAlmとAlpの表記が混在してるのか・・・、だから英訳されたハイジの本で、AlmとAlpがあることがこれでわかつた。

「アルプスの少女ハイジ」は世界50カ国で翻訳されているそうだ。翻訳によって表現の違いもあるのだろう。学ぶことは多い。

 

 

 

 

ハイジとドレミの旅 9

クララゆかりの温泉へ

ホテルで朝食。静かな街だ。トラクターが通り、広い牧草地があり、ここはスイスだ。お天気もいい。今日はクララゆかりの温泉保養地「ラガッツ温泉」に向かう。

私達のバスの横には、阪急のトラピックスの車が止まっていた。「ANA往復利用 決定版スイス」と書いてあった。

ここが「バード・ラガッツ駅」。

「ラガッツ温泉」の入口付近。

建物はいろんなモニュメントで飾られている。スイスやオーストリアの街や建物にはこのようなモニュメントが多く見られた。

温泉の入口。温泉と言っても療養のための温水プールのこと。
外国の温泉は水着を着て入るのが普通。ここもそう。
中は白を貴重とした清潔なプール。屋外のプールもある。室内には40度ぐらいから少しずつ温度を変えた大小のプールがある。打たせ湯的な設備があったり、外の温泉にはジャグジーもありゆっくりと温泉と楽しむことができる。二階にはゆったりとした椅子が置かれ、日光浴ができたり、日焼け用のライトらしきものも設備されていた。近くのホテルで滞在しながら、温泉で療養するところだ。日本の温泉旅館とは雰囲気が全く違う。
クララやクララのおばあさんが滞在し、温泉で療養したりくつろいで時間を過ごしたことが想像された。

温泉内はもちろん撮影禁止。
なかの様子がわかるものはないかとネットを探したら「スイスのおすすめ温泉地」というホームページがあったので紹介しておく。ラガッツ温泉も載せたれていた。

https://fishand.tips/column/c_switzerland/5-best-spa-resorts/

この日はとても天気が良かった。アルプスに雲がかかっている。

街には二軒のスーパーマーケットがあった。上の写真はそのうちの一つのCOOP
生協の店かな?
私達は二軒とも入ったが、もう一つのスーバーでチョコレートを買った。
レジで並んでいると、年配の女性の人が英語で声をかけてきた。
どこから来たのですか?    日本です。
チョコレートですね。ここのチョコレートはとてもいいですよ。
などと他愛もない話だったが、心が暖かくなった。

下の写真はこれは面白い構図だなあと思ったのでパチリ。何してるの?

巨大なハイヒールとカタツムリ。どうしてこの街にカタツムリと思うほど黄色いカタツムリがあちこちにいた。

5つ星ホテルの前でフォークダンスをやっていたので、一緒に踊ってみた?1

 

美しい街並みのラガッツ温泉周辺の町並みともお別れ。
バスに乗ってザルツブルクに向かう。

 

 

 

ハイジとドレミの旅 8

夕食はチーズフォンデュ

ハイキングのあと、バスに乗ってホテルに向かう。 マインフェルトの旧市庁舎前の広場にバスが停まり、写真撮影。 本当は止めてはいけないらしいが、サービス。ありがたいことだ。

旧市庁舎の壁にはフレスコ画だろうか、壁画のようなアート作品が鮮やかだった。
この町並みは、ジブリのアニメに登場するデルフリ村のモデルになっているそうだ。
ジブリの人たちがここで取材活動をしたと説明があった。

私はアニメを見ていないのでよくわからなかったが、ツアーの人達からは歓声があがっていたからアニメで見た光景がここにあったのだろう。

バスは市内にあるホテルに向かう。

泊まったホテルは「スイス・ハイジ・ホテル」。ハイジという名前がよく使われている。ここには大きなハイジな顔がデザインされた看板がたてられていた。ハイジの顔がいろいろとあっておもしろい。

ところでこの辺は「ハイジ」と名前がつくところが多い。
マインフェルト一帯の村々はハイジドルフHeididorf と呼ばれている。
ハイジの小屋(博物館)はハイジハウスHeidifaus 
昼食を食べたレストランは、ハイジホフHeidihof 
ハイキングで見たおみやげもの屋さんは、ハイジショップHaidishop
おんじの小屋はハイジヒュッテHeidihutte、そしてこの小屋のある牧草地をハイジアルプHaidiAlp という。
私達の泊まったホテルが、スイス・ハイジ・ホテルというわけだ。

本場のチーズフォンデュ、希少価値のスイスワインを堪能。チーズフォンデュは地域や家庭によって使うチーズが違うそうで、それが味わい深いチーズフォンデュをうみだすのだろう。

このホテルのロビーには、スイスの農具や昔の写真が展示されていた。近代的なホテルも歴史の上にあるということが伝わってくる。