愛蘭土紀行 その14

「赤毛のアン」と「ナルニア国物語」

イギリス領の北アイルランドから南のアイルランド共和国にやってきた。アイルランド共和国というのは正式名ではないが、日本ではアイルランド、アイルランド共和国の両方が使われているので、このブログではアイルランド共和国としている。

さて、北アイルランドは「ナルニア国物語」の作家C.S.ルイスに関係する地であり、物語の舞台のモデルになったのではないかと言われる場所もあった。ところでこのツアーを企画した松本侑子さんといえば「赤毛のアン」の翻訳で有名な人。「赤毛のアン」と「ナルニア国物語」の関係はどこにあるのだろう。少し考えてみた。

ナルニア国物語は全7巻の物語である。
出版の順と、物語の時代順とは違っている。作者のC.S.ルイスの意向もあり、最近は物語の時代順に出版されることが多いそうだ。

左は光文社文庫のナルニア国物語2。
題名は「ライオンと魔女と衣装だんす」で、これは原作のThe Lion, the Witch and the Wardrobe からきている。
しかし岩波書店の瀬田貞二訳が定着しているので、私は「ライオンと魔女」という題でなじんでいた。

7巻目は「さいごの戦い」The Last Battle

ここで物語は終わる。私は読んでいて「えーっ、こんな終わり方ってあるんか?!」
とびっくりして、もう一度最後の部分を読み返した。
いやいや、少年少女が喜んで読んでいる小説で、こういった締めくくりを最後に持ってくるなんて・・・という疑問を松本侑子さんに尋ねると、

「それはジョージ・マクドナルドの『北風のうしろの国』の影響です。」とおっしゃる。

私は日本に帰ってからその「北風のうしろの国」を読んでみた。
この話は、やさしいダイアモンド少年と北風との心温まる交流を描いた、古典的名作。ジョージ・マクドナルドはC.S.ルイスや『指輪物語』を書いたトールキンに影響を与えた人物と言われている。
「北風のうしろの国」の話の展開や内容はここでは省略させていただく。
 読んでみると、たしかに「ナルニア国物語」のラストは、「北風のうしろの国」の最後の影響を受けていると思った。

さて、そのジョージ・マクドナルドの「北風のうしろの国」と「赤毛のアン」とは関係があるのだろうか。

松本侑子さんは「ある」とおっしゃる。「モンゴメリーはジョージ・マクドナルドの『北風のうしろの国』を読んでいた」ともおっしゃっていた。
左の本は「アンの幸福」。
大学を卒業したアンは、サマーサイドの校長となる。レドモンド医科大学で学ぶ婚約者ギルバートにあてた手紙が中心になっている。
ここに「北風のうしろの国」がでてくるのだ。

 

「以前からあたしはジョージ・マクドナルドのあの美しい昔話に出てくる、北風といっしょに飛んで行った男の子がうらやましくてなりません」(訳注「北風のうしろで」英国の作家ジョージ・マクドナルドの作。1824〜1905)
                             P26〜P27

この本は平成24年10月15日 六刷の奥付があり、村岡美枝・村岡恵理さんの「改訂にあたって」という文章がついている。

「北風のうしろの国」は1868年から2年間子どもの読み物雑誌に連載され、1871年に出版されている。
「アンの幸福」は1936年に出版されていて、アンの年齢は22歳〜25歳、物語の時代設定は1888年〜1891年頃である。
ちなみに作者のモンゴメリは1874年生まれで、1942年に亡くなっている。

こういったことから、「赤毛のアン」の作者モンゴメリ自身がジョージ・マクドナルドの「北風のむこうの国」を読んでいて、それが「アンの幸福」に反映されているというわけだ。

ネットで「赤毛のアン」と「北風のうしろの国」を検索していると次のような記事がヒットした。産経新聞のホームページにリンクしている。

https://www.sankei.com/life/news/180923/lif1809230046-n1.html

赤毛のアン」色あせぬ魅力 出版から110年 くすぐる大人の知的好奇心

 
カナダの女性作家、ルーシー・モード・モンゴメリ(1874~1942年)の小説「赤毛のアン」が米国で出版されて今年で110年。来月、モンゴメリの孫娘が製作総指揮を執った映画が公開されるほか、人気作家による翻訳絵本刊行など、日本でも根強い人気が続く。長く読み継がれるアンの魅力を調べた。 (永井優子)
 
・・・・・略・・・・・

平成5年に詳細な注釈付きの全訳を刊行し、現在までにアン・シリーズ3冊の翻訳(集英社文庫)がある作家の松本侑子さん(55)は、両親を亡くし、厳しい境遇で育った少女が、「未来に夢を持ち、自分の力で人生を切り開いていく力強さがすばらしい」という。一方で「中年を過ぎたマシュウとマリラが新しい幸福をつかむ後半生への生き直し、成長の物語でもある」と魅力を語る。

 翻訳を手がけて以来、訴えてきたのが、「20世紀カナダ英語文学の作家」という側面だ。「赤毛のアン」には、シェークスピアやアーサー王伝説など、英米文学と聖書の名句が100カ所も引用されている。英ビクトリア朝の詩人、ブラウニングの題辞に始まり、「神、そらに知ろしめす、すべて世は事も無し」という上田敏の名訳でも知られる詞章で巻が閉じられる。カナダの社会状況との関連も含め、謎解きのようなおもしろさがある。

 

 

 

 

 

愛蘭土紀行 その13

カーリングフォード湾

カーリングフォード湾、Carlingford lough このlough はアイルランド語で湖とか湾とか言う意味。この湾が国境になっている。

フェリーが来るまでしばらく待つ。
こちらはイギリス領アイルランド、湾の向こうはアイルランド共和国。
イギリスがEUを脱退するということは、ここが国境になり、国境警備や税関や手荷物検査などが行われるようになるかもしれない、ということ。
この湾で働いている人にとってそれは重大な関心事になることは、想像できる。
仕事で毎日行き来している人にとってはとても大変なこと。
イギリスのEU分離がアイルランド共和国にとって大きな影響を与えることがわかる。

フェリーの直ぐ側に古城があった。この湾に関係する貴族の館だったのかもしれない。畑の周囲は石で囲まれている風景は、アイルランド特有のようだ。

海岸の砂浜で遊んでいる女の子がいた。イギリスの作家、ジョーン・G・ロビンソンの「思い出のマーニー」を見ているようだった。

乗船時間約20分。アイルランド共和国にやってきた。

貨幣もポンドからユーロへ、道路標識もマイルからキロメートルに変わる。


道路標識や案内板には英語とアイルランド語の2つが表記されている。
上の案内図はセント・パトリック大聖堂にあったもの。

さて、私達はバスでキングスコートにあるホテル、カブラ・キャッスル・ホテルに向かう。

 

 

 

 

愛蘭土紀行 その12

サイレントバレー山岳公園

上の地図にある「カーリングフォード湾」は北アイルランドとアイルランド共和国の国境線になっている。船に乗って国境をこえる、というのも一興だった。

松本侑子さんのお話によると、ここは「ナルニア国」の雰囲気がいっぱいあるところだそうだ。この公園の入口につくまでの街道から見える風景が特にそうだとおっしゃていた。

司馬遼太郎さんの「愛蘭土紀行2」によると、「氷河期のおわりごろ、氷河が移動するとき、島の西部では土壌がこすりとられて、岩盤が白骨のように露出するにいたったが、ダブリンのある東部では土壌が肥沃に堆積しているのだという(P8)」

「この沿道は湖がないかわりに、小丘陵が多い。このような細長い長方形の小丘陵のことを、アイルランドでは太鼓を連想して、『ドラム』という。あるいは地質学の用語として『ドラムリン(drumlin)という。低地もドラムリンも、見わたすかぎり緑でおおわれている(P19〜20)」

このドラムリンの風景がナルニア国を連想させると松本侑子さんは言う。

「畑には当然ながら土壌があるのだが、まことに量が少ない。その薄らとした土壌が風に吹き飛ばされないように、ニギリコブシから羊の頭大の不ぞろいな石を積んで石垣にし、畑をかこっている(P23)」
上の文章は司馬遼太郎さんがアイルランドの西にあるゴールウェイでの風景について書かれたものだが、たぶん上の写真のようなものだったと思う。

サイレントバレーはベルファストへ水を供給するために造られたダム湖。

上の写真は貯水量が多い時に水が流れ込むダム穴。そのときはさぞかし迫力のある光景になると思う。

ダム湖の見学の後、森の中のネイチャートレイルを散策する。ここは休みになると家族連れや学校の団体で賑わうところらしい。しかし私達が行った時は数組の家族連れだけだった。

森の中は美しい花がたくさん咲いていた。左の花は花弁の中に紫色の花芯があって不思議な花だった。名前を聞いたが・・忘れてしまった。

お昼は各自で後の中にあるレストラン?喫茶?で食事をとる。
下の写真の右側の煙突のある建物がそのレストラン。右側の建物はschoolという表示があったが、誰もいなかった。

食事の後、バスに乗って国境を渡るため、カーリングフォード湾に向かう。