ベイマックス 2

「ベイマックス」の映画をみたり、ジュニア版の「ベイマックス」の本を読んでいて、今のロボットについて考えるようになった。 そのきっかけとなったのが下の写真の新聞(朝日新聞2014年7月20日)と二冊の本「コンピュータが仕事を奪う」と「ロボットは東大に入れるか」だった。

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新井紀子さんは、国立情報研究所の教授で数学者。社会共有知研究センター長。2011年より人工知能プロジェクト「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトディレクタを務めている人。

私が興味をひかれた新聞の記事を紹介したい。
Q  研究のかたわら全国の高校で講演活動をされていますね。

 ホワイトカラーの知的労働もコンピュータに代替され、職を失うおそれがあるという警告の意味を込めて「コンピュータが仕事を奪う」という本を書きました。ところが反応がない。大人たちは「そうはいっても自分は逃げ切れる」とひとごとなんです。
 これはもっと若い世代、人工知能の影響をさけられない高校生たちに直接伝えなければと思いました。「ロボットは東大に入れるのか」と題して東ロボくんをはじめとする人工知能の歴史や現状、未来とその影響などをはなします。

Q 生徒たちの反応は?

 18世紀からの産業革命で、肉体労働市場に起きたような変化が向こう10年ぐらいで起きる、与えられた仕事をただこなしているだけでは機械にやられてしまうと話すと、最後の方はしーんとなってしまいます。学校でいろいろ勉強しているけれど、人工知能に負けない能力を身につけれているのかと我が身を振り返って、ショックを受けてしまうのでしょう。

消える名人芸 

映画タイピスト1

左の写真は、映画「タイピスト」から。パソコンが普及した現代では、秘書にタイプで清書してもらうという時代ではなくなった。

こんなふうにコンピュータに取って代わられた仕事は多い。
キーパンチャー、駅の切符販売、電話のオペレーター。 銀行の窓口業務(ATMの普及)。さらにはハガキに書き込まれた郵便番号の読み取り。以前は機械の読み取れない数字を専門の人が分類していたが最近はどうしているのだろう。(最近の読み取り機は枠からはみ出した数字や読みにくいと思われていた数字もほぼ読めるようになっているという)
さらには経理事務。株の取り引きもコンピュータが行うようになってきている。
短い時間で少ない塗料で車体を塗装するという名人芸も、コンピュータが完全に覚えて機械化されていったそうだ。コンピュータは「手続きとして完全に記述できてしまう作業」は人間をうわまるようになった、と新井先生は言う。

今のコンピュータが苦手なことは?  

犬と猫

 左の写真は犬と猫。
現在のコンピュータにはこの判別が大変難しいらしい。
犬と猫の区別はどこてつけるのか。色?大きさ?耳の形?鼻の形?爪の形?いくら分類しても決めてはない。
でも人間なら子どもでもその区別はできる。
コンピュータはこのような図形認識を苦手としている。
どのようにしているかというと、膨大な量の犬の写真、猫の写真をデータ化し、犬と猫のタグを付けて読み込ます。
人間なら「一を聞いて十を知る」だが、コンピュータの場合は「1テラバイト(1024ギガバイト)聞いて10を知る」という段階だそうだ。でもこれを繰り返していくとかなりの確率で犬と猫の区別が付くようになってくるという。その仕組は私にはわからないが。
しかしこの方法の欠点は、犬と猫の写真の区別が付くようになったコンピュータに狸の写真見せるとお手上げになるそうだ。犬と猫のどちらかに分類しようとするために。

膨大な量のデータを覚えこませることはコンピュータにとっては なんでもない。しかしそれがほんとうに役に立つのか、という疑問もある。
ところが役にたっているのだ。
ウェブ上にいくつもの翻訳エンジンがある。次の文を英訳させてみる。

「このカエルは悪い魔法使いによってカエルに変えられた王子様だったのです」

グーグルでは、

This frog is was the prince was converted into a frog by a bad witch.

ヤフーでは、

This frog was a prince changed to the frog by a bad magician.

ヤフーは英語文法に基づいて構文を分析して翻訳する。グーグルはそういった機械翻訳ではなく、各言語で書かれた文とその翻訳を大量に学習し、統計的に正しそうな訳文をだしている。
この結果ではヤフーの翻訳の方が優れているが、日常的な言葉になってくるとその違いが目立たなってくる。たとえば、

「図書館の前で待ち合わせをしませんか」

グーグルは、

Would you like to meet in front of the library.

ヤフーでは、

Shall we meet in front of a library?

統計的に正しい訳語を選んでいくと、「1テラバイトを聞いて10を知る」コンピュータの翻訳の精度はあがっていくことは想像できる。 

初めのあげた新聞記事で、新井先生はこう言っている。

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判断基準が統計だけでは、機会に負ける
コンピュータは万能ではありません。決まった条件で決まった手続きを繰り返す計算や、大量のデータを集めて検索したり統計的に処理するのは得意ですが、「意味』を理解したり、新しい枠組みを考えたりすることは不得意です。既存の産業の中だけで考えれば人間の領域はどんどん狭くなるかもしれませんが、人間しかできないタイプの仕事が生み出され、人間の新しいステージがはじまる可能性もあります。

Q 明るい未来を実現するためにはどんな人材育成、どんな教育が必要でしょうか。

講演でよく話すのは、毎日出会う一つひとつの経験の意味を深く受け止めてほしいということです。これは人間にしかできません。
「まあ大体こんな感じ」とか「みんながこうだから」というのはダメ。
「まあだいたい」は統計的な処理で、機械でもできる。
判断の基準が統計だけという人はたぶん機械にやられてしまいます。

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こんな例が紹介されている。

 「例えば、ネット販売のAmazonの配送工場では、知的作業の多くが機械化されている中で、注文された品物を宛先別にかごに入れる作業は人間が行っています。商品の入れ替わりが激しいので、いちいち機械のプログラムを変更するより、人間が臨機応変に対応する方が、今のところはずっと効率がよいからです。」

これは人間にとっていいことなのだろうか、と私は考えこんでしまう。
機械のプログラムを変えて、機械に商品の入れ替えをさせるとなると、そのプログラムを頻繁に変えなくてはならないし、手間もコストもかかる。人間なら簡単に変化に対応できるし、コストもかからない。荷物の入れ替えという単純肉体労働を人間に分担し、コストを下げるという考え方。これは人間の労働として喜ぶべきことなのだろうか。

看護ロボットのベイマックスから人工知能の人間社会への影響を考え始めると、どんどん深みにはまっていきそう。もう少し考えてみたい。

 

 

 

ベイマックス 1

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映画「ベイマックス」を見てきた。(左の写真は、映画のパンフレットの表紙)

この映画は「アナと雪の女王」の上映のすぐ後に、日本を舞台にしたアニメーションが制作されているというニュースがあったので楽しみにしていた。
テレビでも予告編が流されていたけれど、私にはちょっと違和感があった。
というのは、先に読んでいた本と少し違うからだ。

これがその本の表紙。ちょっと雰囲気がちがいますね。

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 この本の題名は「BIG HERO 6」(THE JUNIOR NOVELIZATION)。

映画の小説版でジュニア向きに書いたものらしい。この本の中ほどに映画のポスターらしいものがあった。

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「近未来アクション ビックヒーロー6」と大きく書かれている。
説明には
「ロボット工学の天才少年ヒロが繰り広げるアクションアドベンチャーです。めまぐるしくかわるハイテク都市、サンフランソーキョーを破壊しょうとする謎の計画に、ヒロは巻き込まれていきます。ヒロは看護ロボット、ベイマックスの助けのもと、これまで戦った経験もない仲間たちと協力しながら、世界を守ることを決意します。」とある。

私はこの本を見て、てっきり冒険活劇ものだ、とおもっていたら、テレビでの紹介は「優しすぎるロボットと、最愛の兄を失った少年ヒロの絆を描いた感動アドベンチャー」と受ける印象は全く違う。

「アナと雪の女王」の原題も「FROZEN」だったりして、日本での公開には日本向けの変更があるようだ。
映画の作品の善し悪しはさておいて、日本の人たちにひとりでも多く見てもらうための工夫だろう。

私は本は本でおもしろかったし、映画は映画で楽しめた。
本ではわかりにくかったところも、映像で理解できたところもあった。
たとえば、GO GO TOMAGO がバイクで登場するところ。

She stopped short and tossed the bike onto a rack.

バイクをラックにトスする? 壁にバイクを引っ掛けることかな?でも重たいバイクをどうして?と想像していたが、なるほどあんなに薄いバイクなら可能だな、と思った。
また、HONEYの
・・・,and used her cell phone camera to snap a selfie of the boys and herself standing in front of the ball.

・・・,she took another selfie with Hiro and the gang.

携帯電話のカメラを使っているから、selfieとは、今流行りの自分撮りのことかな?と想像したがその通りだった。
本で一番わからなかったのは、ヒロが電池のなくなったベイマックスを家に連れて帰ってきたところで、Cassおばさんが夕食を進めるところ、

Well, at least take a plate for the road,okay?

このroadって、どういう意味? 料理の乗ったお皿、roadに持っていくの?どうするの?と推理しても見当がつかなかった。
映画の字幕では「部屋へ持って行きなさい」という意味のことを言っていた。
家に帰って、辞書やインターネットで調べてもピッタリの訳語はみつからなかった。どうやらroadには「停泊地」という意味があるので、ヒロの部屋のことをおばさんは冗談めかしてroadって言ったのかな、と思う。
映画を小説にした英語の本は、今のアメリカで使われている英語がでてくるので、私にはわからない表現が出てくる。でもそれも楽しみの一つ。

“Why are we stopped?” Go Go asked.
“The light’s red!” Wasabi exclaimed.
Everyone groaned.
“There are no red lights in a car chase!” Go Go screamed.

車で逃げるときに、赤信号で止まる場面だが、映画と本と重なっておもしろかった。

テレポーテーションの機械も、two large circular structures と表現してあるので、映画「スターゲイト」を想像したが、まあそれに近いものだった。
映画と本で二倍楽しめた、というのが一つ目の感想。

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2つ目は、ロボットの性格付け。
パンフレットには「心と体を守るケア・ロボット」と解説されている。
本には、
“Hello, I am Baymax, your personal health-care companion”
と言って登場する。
health-care だけであって、health and mental-careとは言っていない。
心のケアという原文にはない性格を、日本版のベイマックスは持たされている。そうすることによって、ベイマックスへの感情移入が容易になされ、「ああ私にもこんなロボットがほしい、癒やされたい」という感想がたくさん出てくるようになっている(と、私は受け止めた)。

映画でも本でも、チップ一つでベイマックスは戦闘ロボットになってしまうところが表現されている。映画のオリジナルタイトルも「Big Hero 6 」で、いわゆるヒーロー戦隊ものなのだ。

 ケア・ロボットが戦闘マシンに変わる、というところが私にはとても重くて、重要な事に思えた。
私が見たロボット映画、「ベイマックス」もそうだが、ロボットボクシングの「リアル・スティール」など、ロボット同士の戦い題材にした作品を見ていつも「鉄腕アトム」とアイザック・アシモフの「ロボット工学三原則」を思い出す。
そういえば、「リアル・スティール」のロボットの名前はATOMだった。

ロボット工学三原則というのは、作家のアイザック・アシモフさんが自分の「ロボットシリーズ」で基本とした考え方。ウィキペディアによると、

第一条  ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条  ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条  ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
— 短篇集『われはロボット』より

というもの。「われはロポット」という作品は1950年に書かれたものというからアシモフさんの未来予測は素晴らしい。

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左は自立型ロボットの「鉄腕アトム」の作品の中でも私が好きな一つ、「地上最大のロボット」の最後の場面。この作品は1964年から1965年に描かれている。手塚治虫さんの描く未来には、ロボットと人間のどんな関係があったのだろう。

アイザック・アシモフさん手塚治虫さんから50年たった21世紀の今、ロボットと人間を取り囲む環境はどうなっていて、どうなっていくのだろう。
考えてみたい。
そんなことが頭にうかんだ映画「ベイマックス」だった。

 

 

 

 

中村鴈治郎襲名披露大歌舞伎

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松竹座で行なわれている「中村翫雀改め四代目中村鴈治郎襲名披露の寿初春大歌舞伎」に行ってきた。

中村鴈治郎さんという名前は、先代(三代目)の鴈治郎さん・今の坂田藤十郎さんから知っているが、大阪の歌舞伎にとって重要な名跡ということは知らなかった。
三代目が坂田藤十郎さんの名跡を次いでから約8年。その間中村鴈治郎という名はなかったので大阪の歌舞伎界にとっては待ちに待った襲名ということだろうと思う。

 

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今回の歌舞伎は、襲名披露ということなので是非とも行きたかった。
チケットが午前・午後と取ることができたので、襲名披露公演の全体を見ることができて楽しかった。
演目は、
(昼の部)
1.寿曽我対面(ことぶきそがたいめん)
2.廓文章(くるわぶんしょう)吉田屋
3.河内山(こうちやま)

(夜の部)
1.将軍江戸を去る
2.口上
3.封印切(ふういんぎり)
4.棒しばり

口上は予想通りに華やかで楽しかった。
舞台上手(客席から見て右)から、中村梅玉(ばいぎょく)、坂東彌十郎(やじゅうろう)、坂東竹三郎、片岡愛之助、中村橋之助、片岡仁左衛門(にざえもん)、中村鴈治郎、坂田藤十郎、中村扇雀、中村壱太郎(かずたろう)、中村虎之介、中村亀鶴(きかく)、片岡秀太郎(ひでたろう)の面々(敬称略)。
「藤十郎兄さんからのご依頼で」と仁左衛門さんの挨拶から始まり、右の橋之助さんから梅玉さんへ、そして秀太郎さんに移り順次右へ、最後に四代目鴈治郎さんの挨拶となった。少し緊張感が感じられ、意気込みが感じられる口上だった。

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鴈治郎さんが出演したのは、「吉田屋」(これは坂田藤十郎さん、中村鴈治郎さんの共演というこれまでなかったもの)と「封印切」。
「 封印切」は坂田藤十郎さんのものを何回か見ている。四代目鴈治郎さんの姿形は藤十郎さんによく似ているが、やはり若い。若い忠兵衛も新鮮だった。よく研究されていることが伝わってくる。
襲名するということは、こんなふうに芸を継ぎ、発展させていくことなんだなあと思う。

左の写真は幕間で買ったお菓子の生八ツ橋「夕霧」。「廓文章吉田屋」の夕霧にかけているようだ。味見をさせてもらっておいしかったので買った。

「封印切」の重いお話のあとに、狂言の題材をもとにした「棒しばり」で心が軽くなる。
後ろ手にくくられた中村壱太郎さんの太郎冠者、両腕を棒でくくられた片岡愛之助さんの次郎冠者。どちらも両腕が不自由であるのにその不自由さを感じさせないのがお二人の芸。扇を広げたり、扇を持ち替えたり、舞台を素早く移動したりと、熱演におもわず拍手。相当な練習と修行の成果なのだろうが、百発百中の芸を求められるが故の緊張感がたまらなく楽しめた。
片岡仁左衛門さんの「河内山」での名セリフ「ばかめ〜!!」と、花道での表情の変化も、これが「芸」なのだと感心する。

松竹座の玄関上に「櫓(やぐら)」があった。

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 これまで歌舞伎をやっている松竹座でこのような櫓を見たことがなかったので、入り口の係の人に聞いてみた。
「いつもは見ない櫓がありますけれど・・・」
「お正月公演と襲名披露ということで櫓があります」
「京都の南座にはいつもありますね」
「そうです。あちらは常設しています」 

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 南座体験のブログにも紹介したが、櫓は江戸時代に幕府公認の劇場のみ揚げることができるというもの。逆に言えば、櫓を揚げている劇場は「幕府公認の劇場です」、と言っていることと同じなわけ。

左右には白い御幣が立っている。
御幣とは「紙や布を細長く切って、細長い木にはさみ、神前に供えたり神主がお祓いするときに用いる祭具(語源由来辞典)」のこと。
この御幣は梵天(ぼんてん)と言い、神さまが降臨するための依代(よりしろ)である。南座の梵天は、八百万の神(やおよろずのかみ)から800枚の紙からできている。
しかし松竹座の梵天は800枚以上の紙がありそうだった。

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これは襲名披露公演の祝い幕の原画。松竹座ロビーに展示されていた。
作者は森田りえ子さんという日本画家。この人は新進の日本画家として有名な人だそうで、金閣寺の杉板絵も描かれているという実力者。今回の番付の表紙絵(紅白梅)もこの人の作品。どちらも華やかでしかも気品を感じさせる絵だと思う。
実際の祝い幕は下の写真のとおり。(この写真は中村扇雀さんのブログより)

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扇雀さんのブログにこの祝幕の話が書かれていた。

http://www.senjaku.com/blog/2015/01/post-363.html

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お正月の襲名披露公演というものに、初めて行ったが、華やかなムードが漂っている。

名前を継ぐことによって、芸が引き継がれていく。単に過去の財産を守っていくだけでなく、さらに新しい芸を追求していくという清々しさがそこにはあった。若手の役者さんから人間国宝の坂田藤十郎さんの芝居を同じ舞台で見せてもらう方もうれしいが、演じている役者さんも励みになるだろうなと思う。
継承と発展、どこの組織・団体・社会でもある普遍的な課題。
目に見える笑顔や華やかさの裏側に、汗と涙と血の滲むような修練があるのだなあ、と身の引き締まる舞台だった。