通天閣とビリケンさん

これは通天閣の入場券。
ビリケンさんの姿と「開運招福」の文字。「お財布に入れておくことをうすすめします」とも書かれている。番号はLUCK777、幸運のチケットが全開している。

おー、なんと神々しいビリケンさんのお姿!
通天閣の5階展望台に祀られている。

台座正面にはBILLIKENと、THINGS AS THEYの文字が見える。
BILLIKENはビリケンさんの名前であることはわかる。
下の英語は台座に書かれているものの一部が見えているので、全文は、

THE GOD OF THINGS AS THEY OUGHT TO BE

「物事のあるべき姿を司る神様」というのが、「公式サイト」の訳。http://www.billiken.jp/

公式サイトによるビリケンさんの歴史を紹介すると、

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 その発祥には諸説ありますが、1908年、アメリカの女性芸術家 フローレンス・プリッツが「夢の中で見た神様」をモデルとし制作した作品が起源と言われています。
その後、シカゴの企業・ビリケンカンパニーが、ビリケン像などを制作、販売し、「幸福の神様」として全世界に知れ渡りました。

 1911( 明治44) 年、大阪の繊維会社・神田屋田村商店(現・田村駒)が商標登録を行い、1912 年、大阪・通天閣に併設された遊園地「ルナパーク」にビリケン堂が作られます。
以来、火災や戦禍を乗り越え、現在では三代目となるビリケン像が、通天閣から人々の生活を見守っています。

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 私は通天閣のビリケンさんを見る前から、ビリケンさんのことは知っていた。それは映画「哀愁」(ビビアン・リーとロバート・テイラーで有名)に「ビリケン人形」が登場することを知っていたからだ。ビリケンを登場させるために著作権が云々という話も聞いたことがあるが、真偽の程はわからない。

 新世界に行くとたくさんのビリケンさんがいる。

上の二枚の写真は、通天閣にあったビリケンさん。

通天閣の脚元近くにある「ビリケン神社」。

立て札にはこんなことが書いてあった。

「1908年にアメリカ合衆国の芸術家フローレンス・ブリッツが、夢に現れた神秘的な人物の姿を元に制作した像がその興りである。
これが「幸福の神様」として世界中に大流行し、
1909年頃に日本に渡来したと言われている。
1912年に新世界に遊園地ルナ・パークが開業し、
当時流行していたビリケン像が安置されたビリケン堂が設けられ、
新世界名物として人気を博した。
しかし、ルナ・パークの閉園と共にこのビリケン像は行方不明となってしまった。
2012年8月、新世界生誕100周年、またビリケンさんが
新世界に奉られてから100週年を記念し、
かつてビリケン堂の存在した場所にビリケン神社として復興する。
ビリケンさんには足の裏を撫でる、
もしくは足の裏を掻くと幸運が訪れるという言い伝えがある。
        2012年8月吉日 新世界串かつ振興会

なるほどね、串カツ屋さんたちの努力があったのだ。だから串カツ屋さんに巨大ビリケン像があるのだな。下の2枚は新世界の串カツ屋さんの関取風のビリケンさん。

ビリケン像は新世界だけではない。環状線フォトで野田阪神駅周辺を歩いていた時に発見したのが下の写真。

左は「串カツ屋さん。右は「たこ焼き屋さん」の扉にはってあったポスター。
ビリケンさんはここでも食べ物屋さんの神様のようだ。

本物のビリケンさんの像が大阪市内にあると聞いたので、探しに行った。 本物というのは、日本で現在作ったものではなく、アメリカのものらしいということ。

ここは此花区。阪神電車「千鳥橋駅」下車。

「春日出商店街」の真ん中ぐらいのところにある「関西アーバン銀行」。ここの一角を借りて「ビリケンさん」が鎮座ましましている。

ビリケンさんの由来を書いたパネルがある。

「此のビリケン像は、1908年(明治41年)アメリカの女流芸術家が奇怪な姿を夢見て造った像で当時アメリカを始め世界中で「福の神」として大流行したものです。
現在ここに鎮座まします「ビリケン像」庭書芸家笠原天籟先生がハワイにて諸芸の展覧会を開催された時、当時の大阪市大島市長よりハワイのジョージ有吉州知事への新書を渡された折、展覧会の成功を祝して知事より寄贈されたものであり、今迄個人的に所蔵しておられましたがご本人が何か地域の為にお役に立てたいと念願され、地域の発展と春日出商店街の繁栄のために寄贈されたものであります。
此の像の投げ出した足をなでることにより如何なる念願も成就すると云われております。
                     春日出商店街振興組合管理

平成10年12月2日に除幕式が開かれたそうだ。

さて、通天閣に戻ろう。

地下鉄の階段から見える通天閣。 このアングルは「男はつらいよ 浪速の恋の寅次郎」で登場する。大阪を離れる寅さんを芦屋雁之助が送る場面。地下に降りる寅さんの視点で見た通天閣。

地下鉄の入り口から見た浪速警察署。建て替えがあり、映画で出てくる浪速警察署の建物は今はなく、新しい浪速警察署になっている。

寅さんは階段の踊場から芦屋雁之助に別れを言う。

私の通天閣取材もこれまで。地下鉄に乗って移動しょう。

 

 

タワー三兄弟 通天閣

まってました、通天閣。
普段と違う角度からの写真。「通天閣」と言う文字がはっきりと見える所からの写真。HITACHI、日立の文字がある面からの写真が多いので、通天閣をメインに。

名古屋テレビ塔、別府タワーと「タワー三兄弟」の写真を撮ってきたが、やっと「通天閣」の写真を撮りに行くことができた。

以前にも書いたように、名古屋テレビ塔、通天閣、別府タワー、さっぽろテレビ塔、東京タワー、博多ポートタワーの6つのタワーは同じ人物が設計している。それは建築構造家の内藤多仲さんである。本当はタワー六兄弟なのだが、私が最近行ったタワーが名古屋、別府そして大阪なので、私が勝手にタワー3兄弟と言ってるにすぎない。なかでも通天閣は最近耐震工事をしているので、興味があった。

通天閣は人気がある。開館9時前から人が並んでいる。 入り口が変わった。以前はそばのエレベーター塔から入ったが、今は地下に入り口ができた。地下から以前のエレベーターにつながっているわけだ。

ここから展望台までのエレベーターに乗る。つまり二回エレベーターにのるわけだ。
「チケット売り場」の看板が石原裕次郎風の「チケットを売る男」となっているのがおもしろい。
エレベーターでついたところが5階の展望台で地上87.5m。
ここにゆうめいなビリケンさんがまつられている。

このビリケンさんは三代目とか。ビリケンさんのことは稿を改めて書くことにする。

ここからの眺めはすばらしい。お天気が悪かったのが残念。 階段で4階の展望台へ行く。 5階と4階から見た風景は次のように見えた。

ハルカス、美術館、動物園を通天閣の上から見ると、こんなふうに見えるのか。

これは一心寺。 四天王寺はビルの影ではっきりと見えない。

エレベーターで降りずに、階段で降りることにした。 名古屋のテレビ塔のように外が見えなかったのが残念だった。300段以上あるようだ。

180段目で51mまできた。120段目で地上40m、もう少しだ。
この何段目というのは出口から数えてということだろう。

さあ出口が見えてきた。三階のはずだ。

初代通天閣のジオラマがあった。

入り口でもらったパンフレットに「通天閣の今と昔」が紹介されていた。

☆明治45年(1912)パリの凱旋門をエッフェル塔を模倣した「初代通天閣」が誕生。  明治36年に(1903)に開催されな第5回国内勧業博覧会の会場跡地に、明治45年(1912)ルナパークと一緒に初代通天閣が建てられた。形はフランス・パリの凱旋門にエッフェル塔の上半分をのせたようなもの。ルナパークとこの通天閣は赤いロープウェイで結ばれて、まさに「新世界」として人々を魅了した。  当時の通天閣の高さは75m。もちろんその当時の日本一の高さ。入場料5銭で楽しめたルナパークは大賑わいだった。 しかし残念なことに、昭和18年(1943)足元の映画館が炎上し、解体することになり、初代通天閣は姿を消した。

☆昭和31年(1956)地元の声をきっかけに「2代目通天閣」が誕生。  現在の2代目通天閣が再建されたのは昭和31年(1956)初代が姿を消してから13年後のことだった。 通天閣が消えて寂しくなった新世界を復興しようと地元の声をきっかけに、昭和29年(1954)新世界連合会役員により創立事務所を設置。翌年昭和30年(1955)、地元の人々からの出費によって、通天閣観光株式会社がスタート。2代目誕生へとつながった。1957年に完成した。(パンフレットは大阪弁で書かれていたので、共通語にちかづけて書き直している)

ここ三階にはジオラマやルナパークの資料や、当時の映像が紹介されていた。
階段を降りて二階にさがると、展望台へのエレベーター乗り場、お土産物屋さんがいっぱいのコーナーになっている。

通天閣は免震構造

左の本の中に、通天閣の免震構造について書かれているのを発見した。

「2015年、鉄骨塔の展望塔としては世界初といわれる免震構造を実現されました。

 通天閣の耐震補強工事のすごいところは、建物の外見を変えずに免震構造を実現させたことです。塔の上部を生かしたまま、4本の支柱部分を切断して免震ゴムを挿入する工法を考案し、最小限の工事で大規模地震にそなえ、地面から伝わるゆれを小さくするようにしました。

4本の支柱で市道をまたいでいるという立地条件もあり、工事は展望台などの営業がつづけられたまま9ヶ月間おこなわれました。」

 

本にかかれている説明を再掲すると、
①つなぎ梁(4本の支柱を繋いで脚元がぐらつかないようにする)を新設。コンクリートで補強。
②オイルダンパーを新設。免震ゴムを新設。
③上部をコンクリートで補強。受け材を設置。梁を新設。
④既存の梁をカットしてジャバラエキスパンションでつなげる。既存の柱をカット。
⑤免震層などを隠す意匠パネルを設置。

左の写真で、エレベーター塔と本塔をつなぐ通路に、ジャバラエキスパンションがあることがよくわかる。

左の写真で、
4本の足を補強するために、コンクリートで補強したり、受け材の設置、梁の新設、意匠パネルのことがわかる。

この工事は2014年10月から2015年6月まで行われ、総工費約6億円といわれている。
阪神淡路大震災級の地震が直下型でおきても、また風速80メートルの強風にも耐えられるように作られている。
しかも営業を続けながら工事を実施したことには驚くばかり。こんなことは世界のどこにもなかった工事だそうだ。

通天閣の4本の足の天井部分の絵、耐震工事の時にこの絵も再現された。そこにあるのが免震装置のオイルダンパー。知る人が見たらわかるけれど、説明がないとわからない。もっと大々的に宣伝すればいいのにと思う。

ありました。免震構造についての表示が。 これは地上から二階までのエレベーターの中にはってあった。でもパンフレットに詳しく書けばいいのになあと思う。
タワー三兄弟のなかで、免震構造はこの通天閣だけだ。

お土産物を見て、帰りのエレベーター前に来ると、「ローマの休日」をもじった「オオサカの休日」という映画の看板と、ビリケンさんの顔をした真実の口のレプリカ。また映画「哀愁」のパロディ、ビリー・ケン主演「改修ーまたのおこしを・・・」の看板が見送ってくれる。

通天閣最頂上部の特別屋外展望台「展望パラダイス」に登りたかったが、お天気が悪いので登らなかった。地上94.5mからの展望はまたの機会とすることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

10月23日は化学の日



台風が来ているのに、この行列。実験の参加券を確保するために車で来たが、朝9時半にはもう行列が待っていた。
キッズプラザで「化学の日 子ども化学実験ショー 化学ってこんなにおもしろい」というイベントがあった。

20もの実験が用意されていて、しかも無料。
キッズプラザは入場料が高いのでそんなに来れるところではない。しかし今日は入場料が無料。並んでいると
「今日は無料なの?!」と驚きの声が聞こえる。化学の日のことは知らないようだ。
「どの実験をするの?」と実験目あての子どもたちがいた。

いろんな企業や教育関係の組織が計画した実験がたくさんある。しかも入館料も実験の費用も無料で、幼児から小学校高学年まで楽しめるというのだから、親としてはたまらなくうれしいのだろう。私は二人の孫と家族で参加した。

なぜ10月23日が化学の日?

キッズプラザでもらった資料の「林修先生の特別授業」にその説明があった。

Q どうして10月23日が「化学の日」なの?

A 1モル(物質の基本単位)の物質中の粒子の数が
  6.02X100000000000000000000000(10の23乗)だからです。

高校の化学で「モル」ってならったなあ。すっかり忘れていた。
6.02✕10の23乗って、アボガドロ定数でならったことはうっすらと覚えている。
私にはうまく説明できないので、ウィキペディア等で調べることをおすすめする。
とにかく10の23乗だから、10月23日というのは覚えやすい。でも今年までこのようなイベントが全国的に開かれているとは全く知らなかった。

子どもたちが白衣を着てかっこいいじゃありませんか。 ここは人気があって、お昼からの整理券待ちなのであきらめる。孫たちが実験したものの幾つかをここで紹介してみよう。

「色が消える?消えない? インクの不思議」というコーナーで、学校関係の企画のようだ。 二種類のカラーペン(普通のサインペンとフリクションのペン)で好きな絵を書いて、熱してみたり冷やしてみたりすると絵はどうなるか?という実験だった。

アイロンで熱すると、二種類のカラーペンのうち、一種類の色が消えてしまう。
フリクションのペンは60度の熱で色が消えるそうだ。
冷却スプレーをかけるともとの色に戻るという化学実験だった。

ここはホワイトボードに「光のしくみ」「偏光板」などと本格的な説明が書いてある。 実験工作は、偏光板を使った万華鏡づくりだった。

 

企業からきているスタッフの人は、若い人が多かった。若いお兄さんやお姉さんのほうが、子どもたちにとっては親しみやすかったのかもしれない。

これだけの筒と偏光板などが無料で提供されるとは。
右がのぞいたところ。予想を超えているんな色、しかも綺麗な色の重なりが見える。
立派な万華鏡だ。説明によると、偏光板に角度を変えて貼り付けたセロテープが、光の動きに変化をあたえ、そこを通り抜けた色が見えている。セロテープを重ねて角度を変えて貼ると、いろんな色が見えるというわけだ。

実験の後は館内の体験やお店やさんで遊ぶことができた。

お腹が減ったという顔をしているので時計をみると、時間はもうお昼をすぎていた。3時間近く楽しむことができた。小さな子どもたちにとって十分すぎるぐらいの時間だ。
「遊んで学べるこどものための博物館」、それがキッズプラザ大阪のキャッチフレーズのようだ。1階に降りてくると、まだ入場の列が並んでいた。台風で強い雨なのに、これだけ集まってくるのかと驚いてしまう。
こういった取り組みは本当にありがたい。「理科好きになってね」とスタッフの女性の人が孫に話しかけていたとあとで聞いた。企業も力を注いでいるようだ。その受け皿の家庭や教育機関の役割が大きいなあと思った。