太陽系モビール6

水・金・地・火・木・土・天・海・冥

冥王星をつくってみた。 紙工作ではできないので、粘土で作り、海王星の隣に吊るしてみた。下にある大きな正12面体は木星。
これで昔私が習った太陽系がそろった。
水星・金星・地球・火星・木星・土星・天王星・海王星・冥王星

すいーきんーちーかーもくーどーてんーかいーめい

とよく言っていたものだ。

冥王星が小さいのがよく分かる。直径は水星の半分以下。
こんな小さな惑星がよく観測できたものだ。

冥王星発見の歴史は、ウィキペディアによると次のようだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1930年、天文学者クライド・トンボーはローウェル天文台で第9惑星を探すプロジェクトに取り組んでいた。トンボーは、当時最新の技術であった天体写真を用いて、空の同じ区域の写真を数週間の間隔を空けて2枚撮影し、その画像の間で動いている天体を探すという方法で捜索を行った。撮影した膨大な写真を丹念に精査した結果、トンボーは1930年2月18日に、同年1月23日と1月29日に撮影された写真乾板の間で動いていると思われる天体を見つけた。それだけでなく、1月20日の写真も質は悪かったが動きを確認するのには役立った。ローウェル天文台はさらに確証的な写真を得るよう努力したあと、発見の報を1930年3月13日にハーバード大学天文台へ電報で送った。のちに冥王星の写真は1915年3月19日までさかのぼって見つかった。このような経緯から発見日は一般に1930年2月18日とされているが、小惑星センターに登録された一覧上では発見日は同年1月23日とされている
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1930年、今から100年ほど前のことだ。
英語ではPLUTO プルート、この名前を最初に考えたのは11歳の少女ヴァニーシア・バーニーだそうだ。ローマ神話に登場する冥府の王である。
日本名の冥王星は野口抱影が提案したそうだ。
この冥王星も、冥王星の外側に冥王星クラスの衛星が発見されたこともあり、惑星として位置づけていいのかという論争が起きた。詳しくはウィキペディアを参照してほしい。結果、2006年8月24日、国際天文学連合の総会決議で冥王星は準惑星として定義されることになった。冥王星発見者のクライド・トンボーはなくなる直前まで冥王星を惑星のままにしてほしいと主張し続けていたそうだ。

冥王星の発見からの歴史は朝日新聞デジタルによくまとめられている。
発見に使われた望遠鏡の写真や命名した少女ヴァニーシア・バーニーの写真、発見されたときの様子がわかる新聞(1930年3月13日発行)も載せられている。

https://www.asahi.com/special/timeline/2015pluto/

冥王星の公転周期は248年。人の一生をかけても太陽の周りを回りきることはできない。冥王星が発見されてから太陽の周りを一周回りきらないうちに、惑星から準惑星に位置づけが変更された。
私はプルートという名前から、鉄腕アトムの「地上最大のロボット」、そして浦沢直樹がリメイクした「PLUTO」を連想する。
鉄腕アトムシリーズの中でも、とくに印象に残る作品・ロボットだ。ここにながれている悲劇性は冥王星にも何かしら通じるものがあると私は思う。

左の冥王星の写真はウィキペディアからの引用。
上の雑誌Newton別冊は、 2015年11月5日発行のもの。
表紙にはニューホライズンが撮影した冥王星が載せられている。

地球から冥王星までは約40天文単位。(1天文単位は地球から太陽までの距離)。

地球から太陽までは光の速さで約8分少々。冥王星まではその約40倍だから、光の速さで約330分少々。これは5時間半ぐらい。電波も光の速さで伝わるので、冥王星でニューホライズンが撮影したデータは6時間近くかけて地球に届くのだ。
それにしても精密な写真が届くものだと感心する。
ニューホライズンは冥王星の観測のあと、カイパーベルト天体(太陽系ができるとき、何らかの理由で惑星まで成長せずに残っている微惑星や原始惑星もしくはその破片があるところ)に向かって飛んでいるそうだ。
そういえばボイジャーも太陽系を飛び出そうとしている。
日本のはやぶさ2も次の目標の衛星に向かって飛び続けている。
その精密な誘導技術には驚くばかりだ。