銅鐸をつくる

堺市立みはら歴史博物館で、銅鐸を作る講座があった。 銅鐸はどのようにして作られたのだろう。 博物館の展示から概略を紹介してみよう。 
「銅や鉄といった金属で作られた道具は弥生時代に大陸から日本列島にもたらされ、それらを加工する新しい技術「鋳造(ちゅうぞう)」も伝わります。日本列島で最も早く制作されるようになったのは、銅と錫、鉛を混ぜた青銅器で、北部九州では弥生時代前期末(今からおよそ2400年前)に鋳造が始まったとかんがえられています。・・・後略・・・」
銅などの金属を溶かすのだから、1200度Cぐらいの高温が必要だ。
それだけの技術があったわけだ。

体験講座だから1200度まで加熱することはない。 講座用に作られた合金を電熱器で加熱する。 右は銅鐸の型。なんと細かく彫られているのだろう。

しばらくすると合金が溶け出す。銅鐸の型にパウダーを塗って、合金がまんべんなく流れるようにする。

型を輪ゴムでしっかりと止める。
注ぎ口から、溶けた合金を注ぎ込む。中が見えないからまんべんなく金属が流れていったのかわからない。これは経験しかないのかもしれない。

左は注ぎ口の部分を上から見たところ。
注いだ金属が見えている。
右はしばらく冷やしたあと、輪ゴムを取り外し、
2つに分かれたところ。
金属が固まり、銅鐸の形になっていることがわかる。

 

余分な部分を金ノコで切る。 これが思いの外かたい。弥生時代には金ノコなどなかっただろう。一体どうしていたのだろう。 これはまだ謎らしい。

銅鐸はもともと音を鳴らすためのものだったそうだ。 私達も風鈴のように、銅鐸のなかに、棒を糸でつるす。この棒は舌(ぜつ)というそうだ。 舌と銅鐸がふれあうときれいな音がなる。 弥生時代の人には、金属と金属がふれあってきれいな音が出る、という体験は衝撃的だったのだろうと思う。これまで聞いたこともない音がなる。この音に惹かれたのだろうと想像する。

講座の講師は、大阪府立弥生文化博物館の学芸員の高瀬さんだった。 博物館の役割や銅鐸や昔の貨幣を作る体験講座の大切さを力説されていた。 ミニチュアの銅鐸だったけれど、弥生時代の人たち、今から2000年前の人達が未来を夢見ながら銅鐸を作ってきたのだろうと思う。 楽しい体験講座だった。