日の出とRyugu(りゅうぐう)

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10月16日の朝日。 二上山のほぼ中央から太陽が登ってきた。
私の家の隣の人が、毎朝ウオーキングで近くの池の周りを回っている。
「今日の朝日は二上山の間から登ってきたよ」、
と聞いたのでさっそく次の日に写真を撮りに出かけた。いい天気だった。
その時に撮った写真が上の写真。

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この写真は9月の秋分の日の写真。 同じ位置から日の出を撮っている。この写真と比べると、わずか一月の間に太陽の日の出の位置が南の方向にずっと動いていることが分かる。

昔の人は、この太陽の動きによって季節の移り変わりを実感し、予測していったのだろう。
太陽の影によって1日の時間の流れを把握しようとした1つが、日時計だと思う。
前回のブログで作った日時計のお昼前の写真がこれ。

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江戸時代には、携帯用の日時計があったそうだ。

明石天文科学館の展示には、全世界から集めた日時計のコレクションが展示されていた。
昔の時代の人達も、時間、時刻を知りたかったし、そのための工夫をしてきたのだろうと思う。

RYUGUをめざす
        「はやぶさ2」

さてこの大宇宙を日本のロケットが打ち上げた探査機が目的地に向かって飛び続けている。そのひとつが「はやぶさ2」。
「はやぶさ2」のめざす小惑星「1999JÙ3」の名称が決まった。
JAXAのホームページに詳しく載せられている。

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小惑星探査機「はやぶさ2」の目指す小惑星1999 JU3の名称決定について

                              平成27年10月5日

                    国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構

 小惑星探査機「はやぶさ2」が目指す小惑星1999 JU3の名称が「Ryugu」に決定しました。

 国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、平成27(2015)年7月22日から8月31日までの期間、この小惑星の名称案を募集しました。ご応募いただいた名称案は有識者による選考委員会で選考させていただき、次の通り候補を選定しました。

1.選考結果

「Ryugu」

2.選定理由

  • 「浦島太郎」の物語で、浦島太郎が玉手箱を持ち帰るということが、「はやぶさ2」が小惑星のサンプルが入ったカプセルを持ち帰ることと重なること。
  • 小惑星1999 JU3は水を含む岩石があると期待されており、水を想起させる名称案であること。
  • 既存の小惑星の名称に類似するものが無く、神話由来の名称案の中で多くの提案があった名称であること。
  • 「Ryugu」は「神話由来の名称が望ましい」とする国際天文学連合の定めたルールに合致し、また、第三者商標権等の観点でも大きな懸念はないと判断したため。

3.応募状況

応募総数 7,336件(確定値)  「Ryugu」提案者数は30件 (類似した提案として、「Ryugujo」 5件、「Ryuuguu」5件、「Ryuguu」1件、「Ryugujyo」1件、「Ryugujou」1件、「Ryugu-zyo」1件)

4.選考委員会 メンバー

委員長 高柳 雄一 多摩六都科学館 館長
委員 渡部 潤一 国立天文台 副台長
委員 月尾 嘉男 東京大学 名誉教授
委員 津田 雄一 はやぶさ2プロジェクトマネージャ
JAXA宇宙科学研究所 宇宙飛翔工学研究系 准教授
委員 吉川 真 はやぶさ2ミッションマネージャ
JAXA宇宙科学研究所 宇宙機応用工学研究系 准教授

 

5.選定後、決定までの経緯

 選考された名称案は、小惑星1999 JU3の名称提案権をもつ米国のLINEAR(リニア)チームに伝えられ、リニアチームから名称決定権を持つ国際天文学連合に提案されていました。
 小惑星の名称は、通常、審査に3ヶ月程度かかります。今回、小惑星1999 JU3の名称「Ryugu」は異例の早さで審査を終え、太陽系内小惑星の名称を管理するMinor Planet Centerの小惑星リストに「Ryugu」として名称が掲載されました。

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「Ryugu」は「りゅうぐう」と読む。
玉手箱を手にして、地球に戻ってくる「はやぶさ2」の姿が見られるのは2020年末と予定されている。
そのための地球スイングバイが12月3日19時7分ごろ(日本標準時)に実施される。このスイングバイで「はやぶさ2」はスピードを上げ、進路を「Ryugu」に向ける。この時に日本から「はやぶさ2」が観測できるかも。でもとても暗いから私が持っている双眼鏡では無理。その日のテレビや新聞、インターネットに写真が載るかもしれない。これもたのしみのひとつ。
*スイングバイの詳しい説明はJAXAのホームページを参照されたい。

http://www.hayabusa2.jaxa.jp/topics/20151014/

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左の写真は、JAXAのホームページにあった「Ryugu」と「イトカワ」の大きさ比べ。

こんな小さな小惑星をめざして飛んでいるんだと、あらためて驚いてしまう。

「はやぶさ2」の前に地球を飛び立って、観測の機会を待ち続けている探査機がいる。その最終ミッションもこの12月7日の予定。JAXAも忙しいだろうなあ。詳しくは次の機会に。

 

 

明石天文科学館の日時計

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明石の天文科学館には立派な日時計がある。 これを見るのが楽しみだった。 秋分の日の午後12時の日時計の影を見たかったのだ。

写真のそれぞれに12時の時の影が写っている。
上から 
ガイア日時計
凹型日時計
赤道環型日時計
多面体日時計
コマ型日時計
そして人間日時計

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この日の均時差は7分だったので、正午の時報の時の影は12時7分をさしていた。 係の人の説明によると、日時計自身は製作はそれほど難しくはないのだが、その設置がたいへんだった。ということだった。緯度と経度を正確に測り、水平・垂直に気を配るということだろうと思う。私自身もペーパークラフトだが日時計を幾つか作った経験があるので、それはよくわかる。

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人間日時計を見ると、冬は影が長くなり、夏は短いことが体験できるようになっている。 この4階はキッズルームになっていて、日時計広場が外にあるように設計されている。 私は、この秋分の日にはたくさんの日時計マニアが訪れるのではないか、と予想していたが、ごく普通のお客さんたちだけだった。

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この明石天文科学館キッズルームにある日時計広場から外に出ることができる。 そこにあるのが、「柿本神社」。あの「柿本人麻呂」を祀ってある神社。 私は社会の歴史で柿本人麻呂(人麿)とならったが、百人一首では「柿本人丸」となっている。 それは、日本ではもともと音、読みがあり、文字が導入されてから音に合う文字が決められたり、作られたりしていった。だから「かきのもとひとまる(まろ)」という音があって、それにあう文字として「人麿」や「人丸」となったということだろう。 とにかく百人一首3番の「足引の山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝ん」の作者の柿本人丸(人麿)である。学芸の神、安産の神(ひとまるーひとうまるー人生まる)、火防の神(火止まる)などご利益の多い神社のようだ。
400年以上の歴史のある神社ということだ。
ということは、135度子午線の上にこの神社は400年以上前からあるということになるということに気づいてびっくり。

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神社の入口から明石天文科学館を見ると、ここにも日時計が。 水平日時計とかかれている。どなたかからの奉納の日時計のようだ。

さすが子午線135度の町だと感心するしだい。

 

 

 

子午線の町 明石

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この写真は9月22日の日の出。秋分の日の前日。右の山は二上山。
秋分のは真東から日が昇り、真西に日が沈むといわれている。
本当なら23日の日の出をとっておきたかったが、お天気が心配だったので(朝日は山にかかる雲に影響されることが多いので)、前日に撮っておいたもの。
秋分の日には、前から行きたかった明石の天文台に行った。
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明石は「東経135度の子午線が通る町」として有名。ところで子午線という言葉はどこから来たのだろう。
入場の時にもらったパンフレットに説明がある。
「古い時代、方位や時刻を十二支で表し、真北を子(子丑寅卯辰・・の子)、真南を午と呼びました。つまり子午線とは真北と真南を結ぶ線のことで、いわゆる経線のことなのです。」とある。

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さらに子午線と時刻についての説明がある。
「太陽が真南にある時を正午とすると、日本各地の時刻(地方時)は図のように経度によって異なります。交通や通信が発達してくると、地方時(太陽が南中した時の時刻を12時とすると、その土地々々によって南中する時刻が違ってくる)を使っていては大変不便なことから、明治21年1月1日から東経135度子午線上の地方時を、日本全国で使うことになるました。これが日本標準時です。明石市立天文科学館は、東経135度の子午線の真上に1960年(昭和35年)に建てられた「時と宇宙の博物館」です。高さ54mの高塔は、そのまま日本標準時子午線の標識であります。登頂には直径6.2mの大時計があり、いつも正確な時刻をしらせています。」

天文科学館のパノラマ展示によると、135度の子午線の上には、明石の天文科学館以外にも幾つかの記念碑などがある。

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このうちの幾つかを見て回った。
これは館内にある135度の子午線の表示。IMG_8247

これは郵便局の駐車場にある135度の線。郵便局の床にも線を引いているのかな?と思ってしまう。 IMG_8252

郵便局の前、道路にそって角柱の標識がある。その中に収められているのが「日本中央標準時東経百三十五度子午線通過標」というもの。 IMG_8250 IMG_8254

覆いの一部が透明になっていて、中に保存されているものが見えるようになっている。

そばにある説明を読むと、
「この標識柱は、神明国道(現国道2号)が開通した際に、天文測量(1928年測量)で定められた子午線を示す標識として、1933年(昭和8年)に建立されました。
鉄筋コンクリート石張造で、トンボの標識(天文科学館北側)同様、当時としては、斬新なデザインでした。
・・・・・
本標識は、平成19年3月に明石市指定文化財に指定されました。現在、調査のため覆いの一部を透明板にしています。」

下の写真は、子午線交番と「日本標準時子午線通過地の標柱」

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標柱の横にある掲示板にはこのような説明があった。
「明治17年(1881年)、ワシントンでの万国子午線会議において、世界の標準時についての取り決めが行なわれました。 日本では、この決定にもとづいて、明治21年(1888年)1月1日から東経135度子午線上の時刻を日本標準時として使用することになりました。 当時、一般市民は日本標準時子午線が明石郡内を通過していることをよく知りませんでしたが、この事の重要性に気づいた明石郡小学校の先生方が、自分たちの給料を割いて建設費を負担し、明治43年(1910年)にこの「子午線通過地標柱」設置しました。」
学校の先生達の意気込みが伝わってくるかのような、立派な標柱だった。

そして最後の写真は、近くの駅(山陽電鉄人丸前駅)の構内を横切る、北緯135度子午線の表示。

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マンホールのフタも子午線の町明石をデザインしたものがあった。 次は天文科学館の施設で見たものを書いてみたい。