北小学校 四等三角点

三角点を探る旅 41

黒姫山古墳の周りにある三角点を探して、やってきたのが美原北小学校。

広い運動場。 写真の右側に、新しい道路との高いフェンスが見える。

地図によると、フェンスのそばにあるはずだ。

地図を見ながら行ったり来たり。どうもこのフェン沿いの盛り土の上にありそう。
道路工事によって埋まっている可能性もある。登ってみることにする。

ありました。木のそばに半ば埋もれていた。
土をのけてみると、まわりがコンクリートのようなものの台座に囲まれているようで、三角点を保護しているかのような石もある。

角度を変えて写真を取る。

最初からこの場所にあったのか、コンクリートのようなもので囲んで、地面に埋もれないように持ち上げたのか、よくわからない。
地図の上ではこの場所で間違いがないようだ。
「北小学校 四等三角点 標高42.79m」とある。

三角点の周りの文字を見ようとしたが、土が硬すぎて掘ることができなかった。
運動場の端、フェンスの盛り土の上で木々に囲まれている。見つけようとしない限りだれもここに三角点があるとは思わないだろう。

美原北小学校は、M−Cみはら歴史博物館の裏にある「美原ふるさと公園」のすぐそばにある。上の写真の噴水の奥に小学校のフェンスが見える。そこに四等三角点があるのだ。

黒姫山古墳から三角点探しに発展した。
古墳があるということは古くからある土地で、地盤が安定していること、標高も少し高いところにあることが予想される。そういう場所は三角点設置には都合のいい場所なのだろう。学校な中の三角点は比較的安全に保存されていることがわかったが、これも予想通りだった。

 

 

 

 

西小学校 四等三角点

三角点を探る旅 40

ここは黒姫山古墳の近くにある堺市立美原西小学校。

ここには三角点がありそう。学校の中の三角点はよく保存されていることが多い。

 

運動場では地域少年チームが野球の練習をしているようだ。
地図を見ると写真の右側の木々の付近にありそうだ。

この木のなかのようだ。もう少し近寄ってみよう。

ありました。排水口の蓋の前に見えるのが三角点だ。

四等、の文字か見える。ここは「西小学校 四等三角点」というところ。
標高45.76m、とあるからやはり古い土地なのだろう。

「018」という数字が読める。
数字は2段で6桁の数字らしいが、地面に埋もれているのでよくわからない。
この6桁の数字についてネットで調べてみると、次のサイトに詳しく書かれていた。

http://29908990.at.webry.info/201510/article_5.html

これは「基準点」の「基」の文字かな? 地面深くにうまっている。周りを掘ってみるが道具がないので、手ではここまで。
「三角点を大切にしましょう」の立て札もなく、静かに木々の中に埋もれている。

緑に囲まれた中の四等三角点。周りに野球少年の子どもたちの元気な声が響いていた。

 

 

 

島根県・松江城の三角点

三角点を探る旅 35

島根県にやってきた。
ここは県庁所在地の松江市。松江市といえば松江城。
このお城のそばに三角点がある。

お城のそばだから確実にあるだろうと予想できる。

松江城はお堀を巡る「堀河めぐり」で有名。その船が見えてきた。

地図で見ると、この付近に三角点があるはずだ。目の前にある橋のたもとの左側の空き地にありそう。

「三角点を大切にしましょう」という白い柱はあるが、三角点はどこだ?

イベントで使うのだろうか、茶色の木の台が3組ある。その茶色の木の台を動かしてみる。三角点らしい形が見えた。草にすっかりおおわれているが、ここに違いない。
草を抜くが、三角点とまわりの石の間のすきまに草の根がびっしりと生えている。悪戦苦闘の末、三角点が見えてくるのに15分以上はかかったにちがいない。
お堀のそばで、しゃがんで草を抜いている姿は、観光客や堀河めぐりの船からどんなふうに見えるかなあ、きっと怪しい人に違いない、と心細くなる。

ありました。四等三角点。
土の中にすっかりうまっているので、文字の確認はできなかった。

木の台を元に戻すして、見た目の原状復帰。三角点を隠すことになるが、仕方がない。この木の台の下に三角点があるとは、だれも気づかないだろう。

 

立派なお城と手入れの行きとどいたお堀。しかし
「三角点を大切にしましょう」の白い標柱の文字も消えかかっていて、三角点は木の台の下にあって見ることができない。なんとも残念、という気持ちで、水準点探しにうつることにした。

 

 

 

イケア鶴浜のそばにある三等三角点

三角点を探る旅 34

IKEAにお買い物。
調べてみると、IKEAと鶴町小学校のあいだに三等三角点があることがわかった。

IKEAの向かいにTOKYO interior という大きな建物ができていた。以前IKEAに来た時は、このショップはなかった。
休みの日なので、車がどんどんやってくる。

鶴町小学校のそばにある「鶴町中央公園」。

三角点は公園の芝生の部分、道路側にあるようだ。

鶴町という地名の由来が書いてある案内板があった。

     鶴町
鶴町地域は、市の築港計画(明治30年〜昭和3年)による埋め立てによって造成され、大正8年3月、「鶴町」「鶴浜通」「福町」という新しい町として誕生しました。
鶴町の町名は聖武天皇の「難波の宮」のちかくの光景を「田辺福麻呂」が詠んだ「潮干れば葦辺に騒ぐ白鶴(百鶴とも)の妻よぶ声は宮もとどろに」(万葉集巻6ー1064)から「鶴」を、また福町は、この詠者の「福」からとられたものです。
昭和51年の住居表示により、鶴浜通は鶴町1〜4丁目に、福町は現在の鶴町5丁目となりました。
鶴町地域は運河や内港に面していることから、外資系自動車工場や日本とアメリカの間の海底ケーブルを敷設した会社や橋梁会社等の工場や倉庫が立ち並ぶ臨海工業地帯として、また職場と住宅が近接した地域として発展してきました。
鶴町には、昭和5年から11年まで中央気象台大阪市台が設置され、昭和9年の室戸台風も観測していました。
昭和25年のジェーン台風以降に港湾事業や土地区画整理事業が並行して進められ、現在のような防波堤に囲まれた地域となっています。」

なるほど、大阪が発展してきた時に誕生した町なのだ。

ありました。草に覆われていて、ここに三角点があるとは、知らない人には全くわからないだろう。

写真を撮るために、まわりの草を抜いてお掃除したのが上の写真。

「国」という字が見える。「国土地理院」あるいは「国地院」の「国」だろう。

「基準」の「基」の字が見える。たぶん「基準点」とか「基準」という字が書かれているのだろう。


左から「三等」と書かれている。真ん中の文字は「三角点」と縦に書かれているのだろう。

もう一面の書かれている文字は地面の下にあるため、わからなかった。

この公園の隣には鶴町小学校がある(上の写真)。学校のそばにある三角点だから、何か表示がほしいなあと思う。

他府県では、国土地理院の「三角点を大切にしましょう」という表示があったり、「ここに三角点があります」という立て看板があったりする。
社会科や地理の勉強で、三角点や水準点の勉強をすると思うのだが(私は小学校か、中学校で習った記憶があるが……)今はどうなのだろう。

こちらは「鶴浜小学校」。三角点の近くにあった小学校は「鶴町小学校」。かつては多くの子ども達が二つの学校に通っていたらしいが、子どもの人数が減少していったため、2015年に鶴浜小学校は鶴町小学校に統合されたそうだ。 しかし、写真の鶴浜小学校の正門にはそういった歴史的経過を記した表示がなかった。この小学校に通った子どもたちの思い出の学校なのだから、何か表示がほしいなあと、ここでも思った。

 

 

由布院の四等三角点

三角点を探る旅33

由布院を訪れたのはいつだったろうか。地図を見ると、なんと由布院駅と金鱗湖のあいだに四等三角点のマークがあるではないか。市内観光に三角点探しを入れよう。

宿舎は金鱗湖のそば。夜にはホタルが飛んでいた。久しぶりにみるホタル。iPhoneで写真に撮ろうとしたが、これは無理。

露天風呂もあり、食事も風情がある。中国、韓国からの家族連れが泊まっていたが、どちらも静かなグループだった。

朝の由布院駅は観光客の姿もなく静か。駅でレンタサイクルを借りる。

地図を見ながらこの辺にあるはず。それらしい広場を探す。
この広場ではないようだ。道路向こうに幼稚園らしい建物。そのそばに・・・。

 

これって、ここはお墓じゃなかったの? 倒れた墓石、卒塔婆らしきもののそばに、
「大切にしましょう三角点」の標柱と、三角点があった。

四等という文字がなんとか読める。

近くの幼稚園らしい建物から、園児さんたちの元気な声が聞こえてくる。
まわりの田んぼは田植えがすんでいた。後ろの山は由布院岳のようだ。
ここに三角点があることはほとんどの観光客は知らないだろうなあ。

国土地理院のホームページによると、

四等三角点 設置 昭和39年8月19日 
北緯 33度15分43秒2890
東経 131度21分55秒2042
標高 463.2m
三角点周囲の状況 墓地

とある。
やっぱりここは墓地だったんだ。
将来ここはどのようになるのかなあ。

三角点を発見できたのは、収穫だった。北緯33度だから、大阪より少し緯度が低い。そういえば前日の夜に見た北極星の高度は少し低かったかなあ。北斗七星が大きくて全体がはっきり見えたのは、由布院の空だったからだろう。

さて、レンタサイクルで市内観光をしよう。