三角点を探る旅 その 18

手柄山の三角点

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img_8202これは現代の遺跡。
かつて姫路市内にモノレールが走っていた時の支柱。撤去するにも費用がかかると一部が残っている。
調べてみると、1966年に開通したが、79年に廃止となった線。
三角点の印があるので、これから行こうと思っている手柄山と姫路駅をつなぐ約2キロの線だったという。
1966年に開催された姫路大博覧会のためにつくられたそうだが、採算が取れず、10年をまたないうちに営業中止、廃線となった。当初は鳥取まで!延長する計画もあったらしい。

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手柄山には文化センター、水族館、植物園、平和資料館やプール、遊園地と多くの施設があるようだが、夕方近くなってきたので、残念だが山頂に急ぐ。
地図では約50mぐらいの高さと記されているが、斜面が急なので思いのほか足に疲れが、、、。
mg_7888山頂にはなんともインパクトのある建造物が。
これは「太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔」。
無宗教の慰霊塔。地中に突き立てた刀は不戦の誓いを表し、太平洋戦争の折に空爆などで被災した都市の犠牲者を追悼するためにつくられたという。慰霊塔の手前両側に太平洋戦争で空襲を受けた1都99市13町の碑が並ぶ。
さて三角点は?
mg_7894三角点はこの山の一番高いところにあるはず。でも慰霊碑の中にはないだろうと、後ろ側にまわる。
大きな日時計をかたどった、レンガブロックを敷き詰めた広場があった。
円形の広場の端に、立て札がたっていた。三角点に関しての立派な案内板だった。

mg_7889 案内板にはこの地点の
緯度と経度、標高が書かれている。姫路城が45.49メートル、ここが49.18メートル、この手柄山のほうが姫路城の建っている地面より高いのだ。

「冠字」というのは、この三角点を選定した測量官の略号のこと。
冠字を見て、だれが選定したのかわかる。測量官の誇りでもあるし、この三角点を設置した人たちの証でもある。ちなみに冠字は現在まで約1100人の測量官に付与されているそうである。案内板に矢印がある。この方向に三角点があるということだろうとその方向を見る。

mg_7891矢印が指しているのは、レンガブロクックが円形を形作っているなかの一部。色と大きさの違うパネルがはめ込んである。
そのパネルには「三等三角点」という文字が刻まれていた。

mg_7892表面には「三等三角点」の文字のあとに、「この下には地図を作る為の基準となる三角点が埋設されています。尚、この地点の標高は49m15cmです」と書かれていた。
私の力ではこの蓋は開けられない。残念だがなかにある三角点の形状はわからない。このような蓋があるということは、三角点があったところに今のような公園が整備されたため、三角点がこのレンガの下になったのだと想像される。

mg_7897このレンガ敷きの広場の中心は「人間日時計」になっていた。
もう4時半になっている。このへんで今回の三角点と水準点めぐりを終えて、大阪に帰ることにしよう。
日本玩具博物館の見学や姫路市内には戦争や平和に関する史跡が多いことを知ることができた有意義な旅だった。

 

 

 

 

 

 

水準点めぐり10

寺社にある水準点二つ

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mg_7873名古山霊苑から姫路駅に向かう途中に水準点のマークが二つあった。
まず一つ目は、地図を見ると少し小高い丘のふもとにあるらしい。
行ってみるとかなり急な坂がある。家がその丘を取り囲むように建っている。
mg_7876丘の斜面には水準点はないだろうし、地図によると丘の頂上ではないようだ。
上に上がる坂道周辺をさがす。地面にはマンホールなどのふたはあるが、水準点らしいものは見えない。
坂道の上り口ぐらいに小さなお社があった。
下から見上げると、赤い字で書かれた水準点という文字が目に入った。残念ながらその標識は半分に割れている。
階段をあがってその社の敷地に入ると、マンホールのふたのようなものがあった。この中に水準点があるのだろう。
ふたには鍵がかかっていないので、開けてみる。
かなり深い穴が空いている。
mg_7877ひざをついて、手をのばすが下には届かない。
土がおおっていて、水準点がはっきりとみえない。円形のものが埋まっているように見えるので、たぶんそれが水準点なのだろう。文字が確認できなかったのは残念だった。
先に水準点が設置され、そのあと、斜面だったので盛り土をしてこの社ができたのだろう。だから水準点が穴の底にあるという状態になったと予想される。家に帰ってから、国土地理院のデータを調べてみると、一等水準点だった。ふたをもとに戻して、次の水準点に向かう。

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ここは真宗大谷派姫路船場別院本徳寺(しんしゅうおおたには ひめじせんばべついんほんとくじ)
姫路市内に本徳寺と名前のつくお寺が二つあるようだ。西本願寺と東本願寺の関係からかも知れない。
国土地理院の地図では、水準点は境内の端の方にあることがわかるが、塀の中なのか外なのかわからない。
中に入って、壁にそって歩くが見当たらない。境内にある地図と二万五千分の一の地図とをみくらべるが、それらしいのものは見つからない。
案外門のそば、というパターンがあるので横の門から出て正面の門に向かって塀にそいながら歩く。
やっぱりね。門の正面に立つと、水準点という赤い文字が飛び込んできた。

mg_7881これも茂みの中に半分埋まっている。周りにいくつか石がころがっているが、それが水準点を保護する石なのかどうかわからない。
埋まっているので周りの文字が確認できない。手で掘ろうとしたが、かたくてだめだった。
スコップでも持っていたら、と思うが、お寺の門のそばで土をほっていたら、きっと怪しいだろうなあ、と一人で笑う。
家に帰ってから調べると、ここも一等水準点だった。写真のように石でできていて、上面に丸く突起状に出ているところの上面が基準点となる。東光中学校のような金属製の水準点と比較すると、本徳寺の水準点はかなり歴史があるようだ。中学校やお寺など公共的な施設に水準点があるというのは、長い期間そこに安定して設置できるからかもしれない。
さて、昼もだいぶ過ぎたので、もう一つの三角点を探しに行こう。

 

 

 

 

 

 

三角点を探る旅 その 17

名古山霊苑にある三角点

img_20140329_0001_2_2 国土地理院の地図を見ると、姫路城の西、2kmぐらいのところにある「名古山霊苑(なごやまれいえん)」というところに、三角点の印がある。
歩いていける距離だ。行ってみよう。

mg_7866 ここはいったいどういうところだ?
不思議な世界に迷い込んだような気になる霊園、霊園というから墓地だ。
資料を見ると、こんな説明があった。
「名古山霊苑は、世界文化遺産【国宝姫路城】の西方約1キロメートルのところにあって、なだらかな丘陵の総面積29.4ヘクタールにわたる一帯を占める近代的墓地公園です。その中央にそびえるドーム型の仏舎利塔のなかには、インドの故ネール首相から、人類永遠の平和と幸福の祈願をこめて贈られた仏舎利を納めた厨子の仏舎利殿があります。・・・」
この写真が仏舎利塔なのだろう。スケールの大きい建物だ。
そして広い、広くて地図を見ても自分がどこにいるのわわからなくなる。霊園内の地図を見て、三角点は陸軍墓地のそばにあるらしいとわかる。
陸軍墓地はこの霊園のほぼ中心部にあった。そこにある公園のような空き地の片隅に三角点を発見した。
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少しずつ近づいてみよう。灯籠の右側にある青緑色のポールのそばのようだ。

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ツツジの茂みが二つ、三つとある。その隙間に国土地理院の白い柱を発見。
えっ?でもその柱の周りには何もない。もう一度正面に回ってみた。

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あったー!
なんとツツジの茂みの中にあったのだ。

これでは私のようにこの場所に始めてきた人が発見するのはなかなか難しい場所だ。
三角点を保護する石も見分けがつかない。
あるのかもしれないし、ツツジの成長で見えなくなったのかもしれない。あるいはツツジを植えるときに撤去したのかも?

mg_7847四等という文字が読み取れる。国土地理院の柱があるからこれは「四等三角点」だ。しかしこのような場所だと基準点としての役割を果たせるのだろうか、と思ってしまう。ここに三角点があるなんて、ほとんどの人は気が付かないだろう。三角点の場所、現状は様々だ。香呂小学校のように綺麗に保存されていたり、大阪の天保山の三角点のようにコンクリートにほぼ埋まっていたり、そしてここのように木の茂みのなかにあったり。三角点を設置した人たちの思いは?なんて考えてしまう。

mg_7861左の写真は「戦没者納骨堂」。
この陸軍墓地の説明板にはこう書いてあった。
「この墓地は、明治元年の戊辰の役以来、西南の役、日清・日露の戦役、第一次世界大戦、満州事変、日中戦争、第二次世界大戦等において戦没された英霊および自衛隊公務殉職者の御霊十一万一千五百余柱が鎮まる聖域です。どうぞご参拝下さい。・・・」
mg_7855この写真は、戦没者納骨堂の近くにあった「外国人兵士の墓」。説明板には『第一次世界大戦の青島戦で日本軍の捕虜となり、本市や青野ケ原厩舎に抑留中、病気のため陸軍病院に入院。不幸にして病歿した6兵士のうち、3名は他の捕虜たちに抱かれて帰国したが、残った下記3兵士の遺骨は引取人無きため、ここに祀ってその霊をなぐさむ。(このあとに三名の兵士の名前が書かれている)」とあった。三人の兵士の墓石には十字架が刻まれていて、花が手向けられていた。

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三角点が発見できたので、市内中心部に向かおうと山を下り始めると目に入ったのが地球儀。
噴水の中にある地球儀?と不思議だったので調べてみると、「世界中に今も絶えない宗教を巡る戦争で熱くなった地球を少しでも冷やしたい」(パンフレットより抜粋)という願いが込められているそうだ。

戦争と宗教と暑くなった地球か、、、姫路市内にこういうふうな霊園があるなんて想像もしなかった。
三角点を探る旅では、いろいろと考えを巡らすことになってしまう。
さあ、次は水準点を探しに行こう。