三角点を探る旅 その 17

名古山霊苑にある三角点

img_20140329_0001_2_2 国土地理院の地図を見ると、姫路城の西、2kmぐらいのところにある「名古山霊苑(なごやまれいえん)」というところに、三角点の印がある。
歩いていける距離だ。行ってみよう。

mg_7866 ここはいったいどういうところだ?
不思議な世界に迷い込んだような気になる霊園、霊園というから墓地だ。
資料を見ると、こんな説明があった。
「名古山霊苑は、世界文化遺産【国宝姫路城】の西方約1キロメートルのところにあって、なだらかな丘陵の総面積29.4ヘクタールにわたる一帯を占める近代的墓地公園です。その中央にそびえるドーム型の仏舎利塔のなかには、インドの故ネール首相から、人類永遠の平和と幸福の祈願をこめて贈られた仏舎利を納めた厨子の仏舎利殿があります。・・・」
この写真が仏舎利塔なのだろう。スケールの大きい建物だ。
そして広い、広くて地図を見ても自分がどこにいるのわわからなくなる。霊園内の地図を見て、三角点は陸軍墓地のそばにあるらしいとわかる。
陸軍墓地はこの霊園のほぼ中心部にあった。そこにある公園のような空き地の片隅に三角点を発見した。
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少しずつ近づいてみよう。灯籠の右側にある青緑色のポールのそばのようだ。

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ツツジの茂みが二つ、三つとある。その隙間に国土地理院の白い柱を発見。
えっ?でもその柱の周りには何もない。もう一度正面に回ってみた。

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あったー!
なんとツツジの茂みの中にあったのだ。

これでは私のようにこの場所に始めてきた人が発見するのはなかなか難しい場所だ。
三角点を保護する石も見分けがつかない。
あるのかもしれないし、ツツジの成長で見えなくなったのかもしれない。あるいはツツジを植えるときに撤去したのかも?

mg_7847四等という文字が読み取れる。国土地理院の柱があるからこれは「四等三角点」だ。しかしこのような場所だと基準点としての役割を果たせるのだろうか、と思ってしまう。ここに三角点があるなんて、ほとんどの人は気が付かないだろう。三角点の場所、現状は様々だ。香呂小学校のように綺麗に保存されていたり、大阪の天保山の三角点のようにコンクリートにほぼ埋まっていたり、そしてここのように木の茂みのなかにあったり。三角点を設置した人たちの思いは?なんて考えてしまう。

mg_7861左の写真は「戦没者納骨堂」。
この陸軍墓地の説明板にはこう書いてあった。
「この墓地は、明治元年の戊辰の役以来、西南の役、日清・日露の戦役、第一次世界大戦、満州事変、日中戦争、第二次世界大戦等において戦没された英霊および自衛隊公務殉職者の御霊十一万一千五百余柱が鎮まる聖域です。どうぞご参拝下さい。・・・」
mg_7855この写真は、戦没者納骨堂の近くにあった「外国人兵士の墓」。説明板には『第一次世界大戦の青島戦で日本軍の捕虜となり、本市や青野ケ原厩舎に抑留中、病気のため陸軍病院に入院。不幸にして病歿した6兵士のうち、3名は他の捕虜たちに抱かれて帰国したが、残った下記3兵士の遺骨は引取人無きため、ここに祀ってその霊をなぐさむ。(このあとに三名の兵士の名前が書かれている)」とあった。三人の兵士の墓石には十字架が刻まれていて、花が手向けられていた。

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三角点が発見できたので、市内中心部に向かおうと山を下り始めると目に入ったのが地球儀。
噴水の中にある地球儀?と不思議だったので調べてみると、「世界中に今も絶えない宗教を巡る戦争で熱くなった地球を少しでも冷やしたい」(パンフレットより抜粋)という願いが込められているそうだ。

戦争と宗教と暑くなった地球か、、、姫路市内にこういうふうな霊園があるなんて想像もしなかった。
三角点を探る旅では、いろいろと考えを巡らすことになってしまう。
さあ、次は水準点を探しに行こう。

 

 

 

 

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