文楽 夏祭浪速鑑


久しぶりに文楽を見に行くことが出来た。
初日に行けるとは思っていなかった。

夏休み文楽特別講演。
第3部サマーレイトショーとしてその
演目は、
夏祭浪速鑑(なつまつりなにわのかがみ)
住吉鳥居前の段
釣船三婦内の段
長町裏の段

夏祭浪速鑑は歌舞伎でもみたことのある演目。人形浄瑠璃となるとどのようになるのだろうか、と興味があった。
そのストーリーは、国立文楽劇場のホームページより引用すると、

「・・・とりあえず、『夏祭』のあらすじをば。ちょっと訳ありで、玉島磯之丞とその恋人である傾城琴浦は、団七九郎兵衛の計らいをもって釣船三婦の家で過ごしていました。団七の義父・三河屋義平次は、金を目当てに、ウソをついて、その家から琴浦をかどわかします。しかし、磯之丞の父に恩義のある団七は、義平次を謀って、琴浦を取り戻します。どう考えても義平次が悪いのですが、騙されて金を取り損ねたとわかった義平次は、みなしごから育ててやったのに恩知らずな奴めが、などと団七をなじりまくるのです。そして、いよいよ我慢ならなくなった団七が義平次を殺してしまう、というストーリーであります。」

いわゆる舅殺しの物語。

主人公の団七は入れ墨をしている。それは歌舞伎から取り入れられたといわれている。 初演は文楽が先で、翌月には歌舞伎に移される。文化文政期の三代目中村歌右衛門が入れ墨を入れて演じたものが大評判となり、それが文楽にも移入されたそうだ。

上の写真はプログラムからの引用。「文楽人形の丸胴」の説明に、入れ墨の団七の丸胴が使われている。全身の入れ墨姿の団七が見得を切ると、それは迫力がある。
団七と舅の義平次との争いは、途中からお囃子のみで大夫の語りは一切ない。
緊張する殺陣が長い時間続く。
途中から人形使いの吉田玉男さんの姿が消えてしまう、義平次の吉田玉士さんの姿も消える。いわゆる人形が意思を持って動いているように見える瞬間だ。
「悪い人でも舅は親」というセリフで終わるが、この団七の行末はどうなるのだろうかと気になる演目。
歌舞伎でも見ているが、人形浄瑠璃のほうが私には印象深かった。
「女殺し油の地獄」では文楽を先に見て、そのあと歌舞伎で見たが、そのときもそう思った。
歌舞伎の役者さんの演技はそれは素晴らしいものだが、人形のほうが私には響いた。

劇場内には大きなマスクをした人形。

客席は中央寄りに座席が指定されているようで、定員の50%にしているように思える。歌舞伎と比べてみると、見に来る人は男性の方が多いように思える。歌舞伎には和服姿の女性も目につくが、文楽はおじさんの姿のほうが目につく。18時開演、20時終了だから外に出るとレストランは閉まっている。
シャツターをおろしている店も多い。

文楽に来た人の夕食はどうしたのだろう。先に食べてきているのかも知れない。中の食堂・喫茶は休憩所になっている。持参の食べ物はそこで食べるようになっている。

入り口のチケットは、歌舞伎の時と同じ様に自分でちぎって指定された箱に入れる。コロナの影響はまだまだ続く。しかし歌舞伎や文楽と伝統芸能が鑑賞できるようになってきたのはうれしい。

なんばの駅までの通路の壁に、文楽のポスターが何種類も貼ってある。

Welcome to the world of Bunraku

そう、文楽、この良きもの。大阪に生まれて文楽に親しめることの嬉しさを感じた日だった。

 

 

十月花形歌舞伎 2

IMG_4871夜の部は、通し狂言「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわのかがみ)」。
団七九郎兵衛を片岡愛之助さん、その妻お梶を中村壱太郎(かずたろう)さん、一寸徳兵衛を中村亀鶴(きかく)さん、玉島磯之丞を坂東薪車(しんしゃ)さん、傾城琴浦(ことうら)を坂東新悟(しんご)さん、釣船三婦(つりふねさぶ)を昼の部で幻術士果心を演じた中村翫雀(かんじゃく)さんという顔ぶれ。

私はこの「夏祭浪花鑑」は、大阪城西の丸公園であった平成中村座(2010年)での公演で、中村勘九郎(当時)さんの団七九郎兵衛を見ている。この時、太田房江大阪府知事が観劇に来ていて、舞台中なのに勘九郎さんからの紹介があり、「大田知事が来ている」と会場は盛り上がった。私も一緒に知事に拍手を送った。
この時の演出はラストに舞台の後ろの壁がなくなるというサプライズがあった。

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この「夏祭浪花鑑」は1745年に大阪竹本座で人形浄瑠璃として初演されている。大阪が舞台で上演頻度が高い任侠物である。
番付の森西真弓さんの解説がおもしろい。

「熱気や活気を感じさせる『夏祭』と手本や模範を意味する『鑑』を『浪花』で結んだ勢いのあるタイトル。すなわち浪花の夏祭を背景に立派な大阪人を描いた、と言いたいところなのだが、実はこの芝居には『鑑』になろうとしながらも、途中で挫折してしまう男を主人公にしている」
「団七は恩人の息子を世話することで男を上げようとした。芝居を見ていただければ分かる通り、助けるに値する人物とは思えないのだが(玉島磯之丞ー坂東薪車)、この際、それは別問題で、受けた恩に報いる団七の行為にこそ意味があった。けれども、そこには苦難が伴い、ついには舅を手に掛けるという大罪まで犯すことになる。初めに記したように段七は『鑑』になることを目指しながら、却って罪人になってしまった」
「ではなぜ、団七はそこまでしたのか。武士でも裕福でもない一人の若者が他人から誉められるようになるには、自らの生き方を律し、人格者として呼ばれるしか方法がなかったからだ。大阪は商都であり、町人の街だったから、他のどこよりも人柄で信用や信頼を獲得しようとした」この解説をうなづきながら読んだ。

さて、団七といい昼の部の与兵衛といい、こんな役柄に愛之助さんはぴったりだ。眉を八の字にしがんばるのだが思うようにならない役、悲壮感を大阪弁が助ける。思わずハラハラしながら見てしまう団七愛之助。
舅の義平次を演じる嵐橘三郎(あらしきつさぶろう)さんが舅殺しの場面をひきしめる。中村亀鶴さんの一寸徳兵衛が団七の義兄弟の契りを貫き通す姿も緊張して見てしまう。
耳にかけた数珠を引きちぎり啖呵を切る釣船三婦を演じる翫雀さんは昼の部とは違った派手な立ち回り、離縁状を渡された団七の妻お梶の中村壱太郎さんの戸惑う姿がいじらしい。大詰の大屋根の場では派手な立ち回り。鳴り物の太鼓が鳴り、十手・はしご・六尺棒を持った捕手との歌舞伎ならではの大捕り物のオンパレード。
若い役者さんだから昼夜ぶっ通しでこんな派手な立ち回りができるのだろうと感心するばかり。
IMG_20131011_0001団七が花道を駆け去る姿を見送る徳兵衛、釣船三婦、お梶達の「俺も因果・・・・」が最後のセリフで幕。
昼と夜を『因果』でたばねる十月花形歌舞伎だった。

ところで番付の森西真弓さんによると、江戸時代の役者たちは演ずるに当たってその土地柄とそこで暮らす人々を分析したそうだ
それによると大阪は、「理非を正して男を立てる気持ち」「男を磨く気質」だったそうだ。さてさて、今の大阪は江戸時代の大阪とと比べてどうか?

そんなことを考えるにもいい歌舞伎だった。