三角点を探る旅 その 16

天守の三角点は?

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さて姫路城にやってきた。

NHKのドラマ、黒田官兵衛にちなんでの特別展もやっている。桜がまだ咲いていなかったので、お花見客は少ない。

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天守はすっぽりとおおわれて、その姿は見えない。
パンフレットによると、「天正八年(1580年)、羽柴秀吉は黒田孝高(官兵衛)の姫路城に入り、天正九年(1581年),三重(さんじゅう)の姫路城を築きました。関ヶ原の戦いの後、姫路に入った徳川家康の女婿・池田輝政は、慶長六年(1601年)、秀吉の築いた天守などを取り壊し、石垣などは活かして、慶長十四年(1609年)、五重の姫路城を完成させました」とある。

パンフレットの地図(下の地図)をみながら、二万五千分の一の地図と比べてみる。
三角点はどうも、パンフレットの地図にある「備前丸」の隅のほうにあるようだ。もしそうだとしたら、工事による立入禁止区域内になる。でも隣の「二の丸」というところには行けるので、そこから備前丸の中を見ることができればなにか情報を得ることができるかもしれない。ここは行かねばわからない。

img_20140330_0001二の丸に来て、諦めた。
備前丸というところのそばにきたのだが、見上げるばかりに高い所に備前丸はあった。のぞけるわけがない。
黒田官兵衛の資料が展示してある建物のそばにいる係の人に聞いてみた。
「天守にはいつ入れますか」
「来年の3月27日からですね。」
「えーっ、来年ですか」
「そうです。一年先です」
天守の覆いを取り外し、修理のためのクレーン車の作業台となった高さ20メートルほどのコンクリート製の台座の撤去作業がはじまるということだ。修理は終わっても、周りの作業台などの撤去にそれぐらいの時間がかかるということだった。
mg_7831天守の修復作業で、三角点はどうなってしまうのだろうか。発見できるだろうか。不安はあるがそれはどうしょうもない。
千姫とその娘の勝姫に一年後の再開を約束して、次の三角点探しに出かけることにした。