子午線の町 明石

IMG_8281

この写真は9月22日の日の出。秋分の日の前日。右の山は二上山。
秋分のは真東から日が昇り、真西に日が沈むといわれている。
本当なら23日の日の出をとっておきたかったが、お天気が心配だったので(朝日は山にかかる雲に影響されることが多いので)、前日に撮っておいたもの。
秋分の日には、前から行きたかった明石の天文台に行った。
IMG_8098

IMG_20150928_0002

IMG_20150928_0008

明石は「東経135度の子午線が通る町」として有名。ところで子午線という言葉はどこから来たのだろう。
入場の時にもらったパンフレットに説明がある。
「古い時代、方位や時刻を十二支で表し、真北を子(子丑寅卯辰・・の子)、真南を午と呼びました。つまり子午線とは真北と真南を結ぶ線のことで、いわゆる経線のことなのです。」とある。

IMG_20150928_0008 - バージョン 2

さらに子午線と時刻についての説明がある。
「太陽が真南にある時を正午とすると、日本各地の時刻(地方時)は図のように経度によって異なります。交通や通信が発達してくると、地方時(太陽が南中した時の時刻を12時とすると、その土地々々によって南中する時刻が違ってくる)を使っていては大変不便なことから、明治21年1月1日から東経135度子午線上の地方時を、日本全国で使うことになるました。これが日本標準時です。明石市立天文科学館は、東経135度の子午線の真上に1960年(昭和35年)に建てられた「時と宇宙の博物館」です。高さ54mの高塔は、そのまま日本標準時子午線の標識であります。登頂には直径6.2mの大時計があり、いつも正確な時刻をしらせています。」

天文科学館のパノラマ展示によると、135度の子午線の上には、明石の天文科学館以外にも幾つかの記念碑などがある。

IMG_8249

このうちの幾つかを見て回った。
これは館内にある135度の子午線の表示。IMG_8247

これは郵便局の駐車場にある135度の線。郵便局の床にも線を引いているのかな?と思ってしまう。 IMG_8252

郵便局の前、道路にそって角柱の標識がある。その中に収められているのが「日本中央標準時東経百三十五度子午線通過標」というもの。 IMG_8250 IMG_8254

覆いの一部が透明になっていて、中に保存されているものが見えるようになっている。

そばにある説明を読むと、
「この標識柱は、神明国道(現国道2号)が開通した際に、天文測量(1928年測量)で定められた子午線を示す標識として、1933年(昭和8年)に建立されました。
鉄筋コンクリート石張造で、トンボの標識(天文科学館北側)同様、当時としては、斬新なデザインでした。
・・・・・
本標識は、平成19年3月に明石市指定文化財に指定されました。現在、調査のため覆いの一部を透明板にしています。」

下の写真は、子午線交番と「日本標準時子午線通過地の標柱」

IMG_8266

 

IMG_8265

IMG_8260

標柱の横にある掲示板にはこのような説明があった。
「明治17年(1881年)、ワシントンでの万国子午線会議において、世界の標準時についての取り決めが行なわれました。 日本では、この決定にもとづいて、明治21年(1888年)1月1日から東経135度子午線上の時刻を日本標準時として使用することになりました。 当時、一般市民は日本標準時子午線が明石郡内を通過していることをよく知りませんでしたが、この事の重要性に気づいた明石郡小学校の先生方が、自分たちの給料を割いて建設費を負担し、明治43年(1910年)にこの「子午線通過地標柱」設置しました。」
学校の先生達の意気込みが伝わってくるかのような、立派な標柱だった。

そして最後の写真は、近くの駅(山陽電鉄人丸前駅)の構内を横切る、北緯135度子午線の表示。

IMG_8273 IMG_8279

IMG_8271 IMG_8258

マンホールのフタも子午線の町明石をデザインしたものがあった。 次は天文科学館の施設で見たものを書いてみたい。

 

 

 

 

3月21日は何の日?

_MG_6491

上の写真は2015年3月21日春分の日の日の出。 地平線の山に薄雲がかかり、山の端から顔をのぞかせる太陽を見ることができなかった。

_MG_6505

この写真は翌22日の日の出。この日も薄雲がかかりシャープな太陽の光は撮れなかったけれど、山から登ってきたばかりの様子は撮影出来た。

IMG_4059

この写真は3ヶ月前、12月31日の日の出。3ヶ月で太陽が大きく動いている。_MG_4201

この写真は半年前の9月23日、秋分の日の日の出。
春分の日の日の出とほぼ同じ場所から太陽が顔を出している。

こんなふうに見比べると、太陽の動き、実は地球の動きだが、一年間に動く巾が広いことがよく分かる。

さて、春分の日について調べてみた。1年前は昼と夜の時間の長さについて書いてみたが、今回はこの日は世界的にみてどんな日なのだろうかと興味がわいた。

1,国立天文台のホームページより

春分点1

「日本の祝日を定めている「国民の祝日に関する法律」によれば、春分の日は「春分日」、秋分の日は「秋分日」を採用するとされています。「春分日」「秋分日」というのは天文学上の呼び名で、次のように定義されています。

太陽は星々の間を移動していて、その通り道を「黄道」といいます。また、地球の赤道を天にまで延長したものを「天の赤道」といいます。黄道と天の赤道は、お互いが傾いているために2点で交わり、その交点のうちの一方を「春分点」、もう一方を「秋分点」と呼びます。そして、太陽が春分点・秋分点の上を通過する瞬間がそれぞれ「春分」「秋分」と定義され、「春分」「秋分」を含む日のことを、それぞれ「春分日」「秋分日」と呼ぶのです。

地球の運行状態などが現在と変わらないと仮定すると、将来の春分日・秋分日を計算で予想することができます。計算結果を下に載せておきます。ただし、地球の運行状態は常に変化しているために、将来観測した結果が必ずしもこの計算結果のとおりになるとは限りませんので、あくまで参考としてご覧になってください。」

*ということで2016年の春分の日は3月20日、秋分の日は9月22日。
「地球の運行状態で日が変わるかもしれない」というのはおもしろい。

2、国民の祝日に関する法律によると

春分の日 「自然とたたえ、生物をいつくしむ」
秋分の日 「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」

3,イランでは(ウィキペディアより)

ノウルーズ(ペルシア語: نوروز、nowrūz‎)は、イラン暦の元日。太陽が春分点を通過する春分の日に当たり、農事暦上重要であることから、イランを中心に、かつてペルシア帝国の文化的影響下にあった中央アジアからアフリカまでに及ぶ広い地域で祝われる祭日である。国際連合総会は、2010年2月23日にこの日を「ノウルーズ国際デー」として正式に承認している[2]。

*日本のように春分の日を祝日にしている国は少ないようだ。イラン暦ではこの日が一年の始まりになるそうだ。

 4,仏教では(岩波仏教辞典より)

彼岸(ひがん)
かなたの岸。
目指す理想の境地。
煩悩の激流ないし海の<此岸(しがん)>から,修行によってそれを渡り切った向こうの岸,つまり輪廻(りんね)を超えた涅槃(ねはん)の境地のこと。
わが国では,古くからの習俗と混交して,3月の春分と9月の秋分にそれぞれ7日間行われる彼岸会のことを指す。
なお,菩薩の修行徳目であるさまざまな修行の完成である波羅蜜(はらみつ)は,<到彼岸(とうひがん)>とか<度(渡)ど>と漢訳されることもある。

彼岸会(ひがんえ)
春分と秋分の日を中日(ちゅうにち)として前後3日,計7日の間に修される法会(ほうえ)。
この行事は日本にのみ見られるもので,聖徳太子の頃より始まったともいわれるが,平安時代初期から朝廷で行われ,江戸時代に年中行事化した。
また在家の信者はこの間,寺参りや墓参りを行うのがならわしとなっている。
彼岸は悟りの岸(悟りの世界)という意味で,此岸(しがん),すなわり迷いの岸(迷いの世界)に対する。
このため,彼岸会とは悟りの世界に向かう,仏道精進の行事とも解される。
また観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)の日想観に由来し,春分と秋分に,西に沈む太陽を通して弥陀(みだ)の西方浄土(さいほうじょうど)を観じたことに由来するともいう。
それが日本の祖霊崇拝によって変容し,先祖供養の法要とか墓参りを意味するものとなり,日本独特の彼岸会となったとされる。

*お彼岸、とよく言っているがなんと日本の仏教界だけの行事とは知らなかった。

5,国連では「世界ダウン症の日」(ホームページより)

ほとんどのダウン症がある人たちには“21”番目の染色体が“3”本あることから「3月21日」が「世界ダウン症の日」として定められました。

2004年に世界ダウン症連合(DSI=DOWN SYNDROME INTERNATIONAL:本部はイギリスのロンドン)が制定し、2006年から「世界ダウン症の日」が始まりました。
2012年から国連が国際デーの一つとして、3月21日を「世界ダウン症の日」として制定しました。
ダウン症のある人たちとその家族、支援者への理解がより一層深まり、ダウン症のある人たちがその人らしく安心して暮らしていけるように、さまざまな啓発のイベントを通して世界中の人々に訴えていくための日です。
http://www.jdss.or.jp/321/

3月21日。
いろんな意味のある日のようだ。
日本では年度末をひかえて、1年間の総括をし、新年度への期待に胸ふくらませる時期でもある。
世界ダウン症の日、と知って考えさせられるものがある。
4月から新しい世界ー保育所、幼稚園、学校へ進んで学んでいこうとしている子どもたちに、日の出を見ながら幸おおかれと祈らずにはいられない。

 

 

 

秋分の日

2014年9月23日 「秋分の日」の朝日

_MG_4204

今日は秋分の日。 Wikipediaによると、

秋分(しゅうぶん)は、二十四節気の第16。昼と夜の長さが等しくなる。八月中(旧暦8月内)。 現在広まっている定気法では、太陽が秋分点を通過した瞬間、すなわち太陽黄経が180度となったときで、9月23日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とし、日のほうは秋分日(しゅうぶんび)と呼ぶ。恒気法では冬至から3/4年(約273.93日)後で9月21日ごろ。 期間としての意味もあり、この日から、次の節気の寒露前日までである。 西洋占星術では、秋分を天秤宮(てんびん座)の始まりとする。

秋分点

昼と夜の長さが等しいというが、ほぼ等しいのが実際。

今日の日の出は5時46分。日の入りは17時54分。
計算すると、昼が12時間8分で夜が11時間52分で、8分の差がある。
この理由は春分の日のブログで説明したが、再度書いておこう。

まず日の出、日の入りの定義を思い出そう。

 
国立天文台のホームページを見ると、

 「日の出も日の入も「太陽の上辺が地平線と一致する瞬間」として定義されています。もしも「太陽の『中心』が地平線と一致する瞬間」と定義されていれば、日の出から日の入まで太陽が移動する道のりと、日の入から日の出まで太陽が移動する道のりは、全く同じになります。しかし現在の定義では、日の出から太陽の中心が東の地平線に達するまでと、太陽の中心が西の地平線に達してから日の入まで、昼のほうが、それぞれ太陽の半径分だけ長い道のりを移動しなければなりません。そのために昼の時間が長くなるのです。」

IMG_20140103_0002

 

 「もうひとつの理由ですが、地球には大気があるために、地平線近くにある天体は、大気の中を通る光の屈折によって、少し浮き上がって見えるのです。どの程度浮き上がるのかは大気の状態によっても違いますし、地平線に近いほど浮き上がりの大きさは大きいのですが、日の出・入の計算をするときには35分8秒角(時間ではなく角度の単位)浮き上がるとして計算をしています。この効果によって、昼の時間はさらに長くなります。」

IMG_20140103_0002_2 さらに、観測している場所や大気の状態によっても影響が出でくることも考えられる。 私は今日の日の出の写真を撮ったが、地平線から出てくる太陽ではなく、山の稜線から顔を出す太陽だから、その分の時間が遅れてくるわけだ。

春分、秋分を英語でいうと?

春分の日は、Spring Equinox day あるいは Vernal(バーナル)(春の) Equinox Day
Equinoxは、equi : equal(等しい)+ nox(ラテン語で夜 night )
夜と昼の長さが等しいという意味からきている。
春分は春だから、Spring Equinox day 、Vernal Equinox Day となる。
同様にして、秋分の日は Autumnal Equinox Day となる。

ちなみに、「赤道」は”equator”と言う。これは「昼と夜とを等分するもの」という意味からきているようだ。。

さて、日本は春分の日も秋分の日も国民の祝日だが、日本以外の国では祝日になっているのだろうか。漢字を使う中国や韓国も祝日かもしれないという予想をもったが、そうではないらしい。
ただ、イランが春分の日を一年の初めとしているため、祝日となっているようだ。

「国民の祝日に関する法律」によると、
春分の日 春分日 自然をたたえ、生物をいつくしむ。
秋分の日 春分日 祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ。

天文学的には、春分の日は太陽が春分点を通過した日(太陽黄経が0度)、秋分の日は太陽が秋分点を通過した日(太陽黄経が180度)という日。科学的にも意味のある日を国民の祝日にしているのは大変おもしろいと思う。