近日点通過

2015年15時19分:地球が近日点通過(0.9832774天文単位、1億4710万km)
(国立天文台暦計算室のホームページより)IMG_20140220_0001

左の図は以前使った図だが、地球の公転軌道上で、太陽に一番近づいた時、それが近日点。 その近日点を今日1月4日午後3時19分に通過したというわけ。 ケプラーの法則の面積一定の法則より、今は夏よりもスピードアップして地球は公転している。

国立天文台暦計算室のホームページを見ていて、大変面白かったのでここに紹介しておく。

近日点の移動 

地球の楕円軌道は他の惑星の影響により、少しずつ向きを変えていきます。
この現象を近日点の移動といいます。
木星が最も大きな影響を与えます。
季節の長さ、あるいは各二十四節気間の間隔は冬至や春分と近日点の位置関係によって決まります。
現在は冬至 (12月21日ごろ) と近日点 (1月上旬) が近い関係にありますが、この関係は歳差と近日点の移動によって、約21,000年の周期で入れ替わります。
歳差が約26,000年周期、近日点の移動が約11万年周期、合成して約21,000年周期となります。
これとともに、冬至から春分までの時間、春分から夏至までの時間・・・はそれぞれ変化していきます。
このため、仮にグレゴリオ暦を改良して1年の長さを1太陽年=365.2422日に近づけ、春分の日付をほぼ固定することができても、夏至・冬至・秋分などの日付まで固定するのは不可能です。

近日点の移動1 近日点の移動2

13世紀の頃は冬至と近日点がほぼそろっていました。
宣明暦や授時暦では冬至と近日点が同一であると仮定しています。
13世紀に作られた授時暦の予測精度が高かったことや、日本で宣明暦がこの前後400年=計800年も使い続けることができた理由のひとつはそこにあります。
時暦で延宝3年の日食を予報できなかったことをふまえ、渋川春海は近日点の移動を取り入れて大和暦 (貞享暦) の予報精度を高めることに成功しました。

http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/B6E1C6FCC5C0A4CEB0DCC6B0.html

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アンダーラインは私が引いた。
近日点が移動していること、そして800年間も宣明暦が長持ちしたのは、近日点と冬至がほぼ一致していたからだということは知らなかった。
また、一万年ほどたつと近日点が夏至と一致するようになるというのも、興味深かった。その時の日本は、今の南半球のように12月に夏がくるのだろうか。
そんな未来に人間がいるかどうかもわからないが、面白い話題だと思った。

IMG_4059 上の写真は、12月31日の朝日。 年が明けてからの日の出の写真を撮りたかったが、曇り空や、金剛葛城山に雲がかかり、山から太陽が覗く写真が撮れなかった。
画面の左に見える山が二上山。

_MG_4201

この写真は、昨年の9月23日の日の出。この日は秋分の日。 画面中央に二上山が見えている。 三ヶ月で日の出の場所がどれだけ移動しているかがよく分かる。
季節によって太陽の出る場所が違ってくるのは、地球が約23.5度傾いて自転しているから。

太陽の恵みによって人間が生かされていることを実感する。

 

 

 

地球の公転3

二十四節気(にじゅうしせっき)

IMG_20140206_0001

立春
(2月4日)、
雨水
(2月19日)、
啓蟄(3月6日)、
そして春分
(3月21日)と春が近づいている。
左の図は二十四節気の図。日本では江戸時代から使われていたという。
立春は二十四節気においては、1年を24に分けた時の第1番目に当たる。
(図はクリックすると拡大します)

IMG_20140206_0002 天文学的には、春分を0度として、地球が太陽の周りを315度回った時を言う。
あと45度まわれば(15度、約半月ごとに雨水、啓蟄、を経過して)スタート地点の春分に戻る。
それが地球が太陽の周りを1回まわりおえたこと、つまり1年たったことになる。

江戸時代の人々も円は360度を知っていた?

渋川春海1上の説明で、江戸時代では1年を24の節気にわけ、天文学的にはその間が15度ということがわかった。15度✕24=360度だから理屈にあっている。と今の私たちは考える。では、江戸時代の人々もこのことを知っていて、1年を24にわけたのだろうか。
左の図は、映画「天地明察」の上映にあわせて大阪市立科学館が特別展を開いた時の資料。この資料のように天文図の展示があった。私も特別展を見に行ったが、どうも360に分割しているようにみえる。館内では数えられないので、インターネットの資料を探してみた。

天文分野之図

上の写真と同じものではないが、渋川春海が作成したと言われている「天文分野之図」があった。
たしかに分割していることがわかる。
円周に白と黒の四角形がならんでいて、何等分かしている。
拡大コピーして数えてみた。
あれー? 360を越えた・・・。
365ある。もう少し詳しく見ると、子を◯で囲んである所の黒の四角はこれまでの四角より細い。そう、365と4分の1。
1年の長さ分にわけてあるのだ。

天文分野之図_2

 この図が書かれた1670年代は、円を360度に分けているのではなく、一年365日と4分の1に分けているのだった。

和算で有名な建部 賢弘(たけべ かたひろ、寛文4年(1664年)6月 – 元文4年7月20日(1739年8月24日))の時代になって、円を一年で分割するのではなく、360で分割するようになってくる。これは海外からの文献の輸入などによって知られるようになったのであり、日本で開発されたのではない。
伊能忠敬の日本地図作成の様子を映画やテレビで見る時がある。角度を測っている場面もあるし、そのような説明もある。この調査は1800年からはじまっているので、測っている角度は現在のものと同じ。私たちが円は360度と知っているのは、当たり前になっているが、それは明治以後の学校教育のおかげ。
江戸時代では、建部賢弘や伊能忠敬のような専門家レベルの知識だったのだ。
角度という概念は、明治以後の数学教育によって広がったと言われている。