円周率 関孝和の計算

3月14日は円周率の日

ホワイトデーとも言われているが、円周率の日だと言うことももおぼえておこう。

このブログで以前に村松茂清の計算方法を紹介した。 それは円に内接する多角形を考え、三平方の定理(和算では勾股弦の定理)を使って正多角形の周の長さを計算することによって、円周率に接近していく方法だった。
下に簡単に考え方と表計算ソフトによる結果を再掲しておく。

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 関孝和の方法 3.14159265359微弱

関孝和の計算を調べてみた。 ネットには多くの記事がアップされている。それらを読んだり、本で調べてみて私が理解できた範囲で紹介してみる。

ウィキペディアによると、

「暦の作成にあたって円周率近似値が必要になったため、1681年頃に正131072角形を使って小数第11位まで算出した。関が最終的に採用した近似値は「3.14159265359微弱だったが、エイトケンのΔ2乗加速法を用いた途中計算では小数点以下第16位まで正確に求めている」とある。

関孝和も村松茂清と同じように計算をしている。ウィキペディアにあるように、正131072(2の17乗)角形を使っている。なんと小数点以下19桁までの数値がだされている。
(Excelなどの表計算ソフトは12桁以上の数字を表記することはできないので,記号として入力して表にしたものが下の表である。)
(表をクリックすると拡大像になる)

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(表にある強、弱について。 四捨五入により切り捨てた場合が強。切り上げた場合が弱。とくに末位が0を切り捨てた場合は微強。末位が9を切り上げた場合は微弱である。) 

  関孝和はこの円周の長さの変化に着目したようだ。

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さて、このような式はどうして導かれたのだろうか。

関孝和の素晴らしいと言われているのは、円周率を求める一般式を考え出そうとしたところだと思う。

村松茂清のような方法は、円周率を力づくで何桁でも計算できるだろう。しかし、この方法はあくまでも近似値を求めているのであって、最終的に円周率はどうなるの?という疑問には答えていない。

わたしの分かる範囲で説明を試みてみる。

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ここまでの説明は、関孝和は等比級数を使って円周率の計算をしたのだろうという推測のもとで、なされている。 本当に等比級数を使ったのかどうか?それは確証がないそうだ。 それ以外の方法で式を導いたという説もある。

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関孝和が実際には等比級数の考え方を使ったの、あるいは差分に注目して計算式を導き出したのか?それはわからない。

江戸時代の和算の本の多くは、結果のみが記されていて、その考え方や計算方法がのせられていないそうだ。
この式も弟子の建部賢弘や後世の数学者たちが研究し、資料として記されているので私たちが学ぶことができるのである。

いずれの方法にしても、関孝和の時代にこれほど精密に円周率を求めたものはいないと言われている。数字の向こうにある世界を探求しようとした熱意に敬服するしかない。
(2015年3月14日 円周率の日に記す)

 

 

地球の公転3

二十四節気(にじゅうしせっき)

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立春
(2月4日)、
雨水
(2月19日)、
啓蟄(3月6日)、
そして春分
(3月21日)と春が近づいている。
左の図は二十四節気の図。日本では江戸時代から使われていたという。
立春は二十四節気においては、1年を24に分けた時の第1番目に当たる。
(図はクリックすると拡大します)

IMG_20140206_0002 天文学的には、春分を0度として、地球が太陽の周りを315度回った時を言う。
あと45度まわれば(15度、約半月ごとに雨水、啓蟄、を経過して)スタート地点の春分に戻る。
それが地球が太陽の周りを1回まわりおえたこと、つまり1年たったことになる。

江戸時代の人々も円は360度を知っていた?

渋川春海1上の説明で、江戸時代では1年を24の節気にわけ、天文学的にはその間が15度ということがわかった。15度✕24=360度だから理屈にあっている。と今の私たちは考える。では、江戸時代の人々もこのことを知っていて、1年を24にわけたのだろうか。
左の図は、映画「天地明察」の上映にあわせて大阪市立科学館が特別展を開いた時の資料。この資料のように天文図の展示があった。私も特別展を見に行ったが、どうも360に分割しているようにみえる。館内では数えられないので、インターネットの資料を探してみた。

天文分野之図

上の写真と同じものではないが、渋川春海が作成したと言われている「天文分野之図」があった。
たしかに分割していることがわかる。
円周に白と黒の四角形がならんでいて、何等分かしている。
拡大コピーして数えてみた。
あれー? 360を越えた・・・。
365ある。もう少し詳しく見ると、子を◯で囲んである所の黒の四角はこれまでの四角より細い。そう、365と4分の1。
1年の長さ分にわけてあるのだ。

天文分野之図_2

 この図が書かれた1670年代は、円を360度に分けているのではなく、一年365日と4分の1に分けているのだった。

和算で有名な建部 賢弘(たけべ かたひろ、寛文4年(1664年)6月 – 元文4年7月20日(1739年8月24日))の時代になって、円を一年で分割するのではなく、360で分割するようになってくる。これは海外からの文献の輸入などによって知られるようになったのであり、日本で開発されたのではない。
伊能忠敬の日本地図作成の様子を映画やテレビで見る時がある。角度を測っている場面もあるし、そのような説明もある。この調査は1800年からはじまっているので、測っている角度は現在のものと同じ。私たちが円は360度と知っているのは、当たり前になっているが、それは明治以後の学校教育のおかげ。
江戸時代では、建部賢弘や伊能忠敬のような専門家レベルの知識だったのだ。
角度という概念は、明治以後の数学教育によって広がったと言われている。

 

 

 

 

 

 

円周率が歩んだ道

 小説「天地明察」を読み、映画も見た頃から、和算による円周率の計算に興味があり、何冊か本を読んできた。一番最近の本が岩波現代全書の「円周率が歩んだ道」(上野健爾著)。
この本はヨーロッパだけでなく中国やモンゴルでの円周率計算の歴史にも触れ、もちろん日本の和算の成果もきっちり書いてある。また、私の理解力ではまだまだついていけない16進数による円周率の計算の有効性から新しい数学への展望や、付録には「円周率が無理数であること」「円周率が超越数であること」の証明までのっている興味深い本。
私は和算による円周率の計算に興味があるので、そこの部分を実際にペンで計算しながら勉強のつもりで読んでいった。本と自分の計算とあわないところが出てきてまる一日ほど悩んだところがあった。それはこのページの最後の式。

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少し円周率の歴史を振り返ってみよう。江戸時代も円周は直径のほぼ3.14倍ということは知られていた。それを精密に計算しようと江戸時代の和算家は努力した。

和算の矢

江戸時代の和算家が円周率の計算で利用した矢(し)について説明すると、弦と弧については現在の学校で習うものと同じ。
弧ADBを弓、ACBを弦(つる、ゲン)と見立てると、CDは弓の矢に見えてくる。それでCDを矢(し)と呼んだ。
和算家の建部賢弘は、弧ADBの長さを直径dと矢CDの長さを使って表すことを考えた。円弧の長さがわかれば円周がわかる。つまり「直径と円周の関係をあらわす式を見つけることができる」というふうに考えた。

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その結果が上にある式(7.8) である。

ここで弧度法(ラディアン)を使い、三角関数の式に変形する。
弧ADBの長さをs 、角AOD=θ 、矢CD=c 、直径=d とすると下のように変形できる。
*この時の計算がp147の最後の式。ここに問題があるがそれは後で。

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実はこの式はオイラーが1737年に発見した式だが、建部賢弘が1722年に著した本「綴術算経」に書かれており、このことにより建部はオイラーより早くにこの式を発見したと言われている。
ところで江戸時代に三角関数は使われていたのかという疑問が出る。なんと我が国での最初の三角関数表は建部賢弘の『算暦雑考』に記載されている。

ここでこの式を円周率を求める式に変形する。
このようにして円周率πをもとめる公式が導き出された。これが江戸時代の建部賢弘の考え方である。

この公式を求める途中の式の変形で、本文p149の最後の式がある。
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私はここでつまづいた。

半径=1/2*d
AD=1/2*s

だから弧度法を使うと

1/2*s=1/2*d*θ → s=d*θ
ここまではわかる。
次の式がおかしい。c=d – d*cosθ ではなく、

c=1/2*d – 1/2*d*cosθ

でなければならないはず。dは直径なのだから半径にするために1/2を掛ける必要がある。

c=1/2*d – 1/2*d*cosθ
c=1/2*d*(1 – cosθ)
*三角関数の半角・倍角の公式 cos2θ = 1 – 2sinθ*sinθ を使い、
1 – cosθ = 2sin(θ/2)*sin(θ/2) これを代入すると

c=1/2*d*(1 – cosθ) = 1/2*d*2sin(θ/2)*sin(θ/2)
c=d*sin(θ/2)*sin(θ/2)

となるはず。本のように
c=2d*sin(θ/2)*sin(θ/2) とはならない。
この式をもとに計算してもこの本の次ページの式にならない。
どうしてだろうと悩んだ挙句、係数2が不必要、これは誤植だと思い、岩波書店にメールを送った。

岩波3

メールを送ってなんと6時間後に返事が来たのにはびっくりした。

岩波4

さすが岩波書店。すばやい対応に感心するばかり。

今回のブログは、私が誤植を見つけた、というだけの内容になってしまったが、この「円周率が歩んだ道」であらためて和算のおもしろさに気づいた。
いつか和算による円周率の計算について勉強したことをこのブログに書いてみたいと思うが、先人の成果を自分のものにするのにはまだまだ時間がかかりそう。

今回は、岩波書店の素早い対応と、江戸時代の建部賢弘などの和算家の素晴らしさに感動したの巻でした。