月食

上は月食時の写真。下は普通の月の満ち欠け時の写真。 どちらも月は欠けているが、その欠け方が違う。
下の月は境目部分のクレーターがはっきりと見える。全体的にも月面のクレーターが確認できる。
上の月はそういったクリアなクレーターが見えない。
下の月は太陽光線が斜めからあたっているので、クレーターの影がよく見えるのだ。
上の月は満月なので、月面全体に真正面から太陽光線があたっている。そのためクレーターの影は見えにくい。欠けたように見えているが、それは地球の影なのだ。

月の満ち欠けを説明する本はたくさんある。
私が最近見つけたのは、左にある
「もっとたのしく夜空の話 月の満ち欠けのひみつ ミヅキさんのムーンクッキー」(絵と文 関口旬 監修 木村直人 子供の未来社)

たくさんの絵で月の満ち欠けの様子やその理由がよくわかるように説明されている。
とりわけ地球と月と太陽の位置が丁寧に書かれている。
月齢に合わせて太陽と月の位置が絵で説明されている、しかも新月から次の新月まですべて絵が書かれている。これほど丁寧に書かれている本は私は見たことがない。

絵本の主人公たちは月の満ち欠けの変化を観測し始める。

左は1日目、月齢0、新月の日。

解説には「新月は、太陽と同じ方向にあって太陽と同じように動くので、まぶしくて見ることができない」
「夜も月は太陽といっしょに地球の裏側をまわっているので、観察することはできない」
と書いてある。
太陽ー月ー地球という順に並んでいるため、地球からは月の光っている面が見えないし、まぶしくて見ることもできない。
絵とあわせて解説を読むとよくわかる。

 

主人公たちの観測は毎日続く。それが絵本にかかれているが、ここでは8日目、いわゆる「上弦」の状態を引用する。

解説の「太陽と月が90度近くに(直角)になるので、太陽が真上にのぼったときに、月はのぼりはじめる。そして太陽が沈む頃には月は真上に来ている」という解説は絵と合わせると本当によく分かる。

上弦になっている月をみた時「あっ太陽光線が月の真横を照らしているのだ」と思えばいい。

 

観測は続き、いよいよ満月になってくる。

左は満月の時。
解説には、「西に太陽がしずむと、すぐに月が東から上ってくる。」

「菜の花や 月は東に 日は西に」(与謝蕪村)の世界がここにある。

月ー地球ー太陽が一直線に並んだ時に満月となることが左の絵からよく分かる。
このときに「月食」がおこる。
地球の影が月の上にかかるのだ。
地球の影は丸い。そのためにまるで月がいつもみているように「欠けてきた」と感じてしまう。

月が地球を回る軌道は少し傾いている(前回のブログ参照)。
月ー地球ー太陽が一直線の軌道にいつもあるなら、満月の度に月食となる。しかし月の軌道が傾いているため、月食になるときとそうでない時がある。さらに地球と月の距離は約38万キロメートル。影の長さも長いし地球が大きいと言ってもいつもいつも地球の影が月をおおうことにならない。だから月食がめずらしい。これも大自然のおもしろさだ。
「満月は夜が始まるとのぼってきて、一晩中夜空に出ている。」
「日の出のころには、月は西にしずむ。」この解説も絵とあわせるとよくわかる。

上の2つの図は22日目、23日目ぐらいの月の様子。
いわゆる「下弦」になっている月の状態。夜明け前に観察することができる。

「今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな」
素性法師の句の世界がここにある。

右の絵で欠けて読めなくなっている解説は、
「下弦の状態の月が沈むのは昼前だからわかりづらいのよね」
太陽が月の左半分を照らしていることがよくわかる。

月の満ち欠けを見る時、今太陽はどのへんにあるのかな?と考えながら見ると、月と地球と太陽の位置関係が判っておもしろい。「今、理科の勉強をしているなあ。理科を勉強しておいてよかったなあ」と思える瞬間だ。

 

 

 

月の満ち欠けと時間

最近読んだ本で面白かった本。 どちらも「月の満ち欠けと時間」についての説明があった。

「入門平安文学の読み方」保科恵(ほしな めぐみ)著 新典社選書

「重箱の隅から読む名場面」馬上駿兵(まがみ しゅんへい)著 新典社新書

著者は同一人物。馬上さんはペンネームらしい。

私達は太陽暦を使っているので、月の満ち欠けと時間について余り考えない。
しかし、平安時代の人たちは月の満ち欠けでおおよその時間がわかっていたらしい。
らしい、と思っていたぐらいで詳しく考えたことがなかった。
あらためて考えるきっかけとなったのが「入門平安時代の読み方」だった。
少し引用してみよう。

「『竹取物語』に、こういう場面があります。

 かかるほどに、宵うち過ぎて、子の刻ばかりに、家のあたり、昼の明かさにも過ぎて、光りたり。望月の明かさを十合わせたるばかりにて、在る人の毛の穴さへ見ゆるほどなり。

この場面は、8月15日に月の都の人々がかぐや姫を迎えに来るところです。「子の刻」というのは0時ですから、ちょうど月が南天した時分です。つまり、日付と時刻から、月の都の人々が天高く昇った満月からやってきたことが判ります。作品の本文には直接そういうふうには書かれていませんけれども、月に親しんでいた当時の読者であれば、そのことが当然のように判ったのです。誰もが同じように読めたわけですから、月の状態が言葉として明記されていなくても、そう書かれていると言って良いのです。現代のわれわれが読む場合でも、そのことを明確にしなければなりません。」

 なるほど、文に書かれていなくても、月の描写によって日と時間がわかる、そのことが平安時代の人々にはあたり前のことだったのだ。

月の満ち欠けがカレンダーになっていたから、基本的には日付と月齢は一致する。
満月は15日、新月は1日、月の初めは新月から始まるというのが基本。
そして月齢が同じなら、同じ時刻に月は昇り、同じ時刻に沈む。もちろん厳密には季節によって多少の違いがあるが、何時間も違うということにはならない。
それを表にしたのが上の図。

たとえば満月はだいたい夕方6時頃に昇ってくる。月の出だ。
そして翌日の朝6時頃に沈む、月の入りだ。
「竹取物語」のように、夜中の12時頃に南中する。天の真上に月が見える、ということだ。
今月は10月20日が満月。
大阪市立科学館の「こよみハンドブック」によると、
月の出は17時19分。月の入りは翌日の5時24分。
3,40分程度の違いはあるが、おおよそ18時頃に月がのぼり、朝の6時頃に月は沈むと覚えておけば、おおまかな情景が想像できる。

この本では、更級日記や源氏物語の例を上げて説明もあるし、芥川龍之介や谷崎潤一郎の作品にも、月とその時の時刻が正確に反映されいるものがあると紹介されている。

「重箱の隅から読む名場面」には、1980年代に書かれ向田邦子作「思い出トランプ」が、月の形と時間についての例として紹介されている。

その場面を引用しよう。

「英子が別れた夫の秀一と一緒に昼の月をみたのは、結婚指輪を誂えに出掛けた帰りである。
数寄屋橋のそばにあるデパートを出たところで秀一は煙草を買い、英子は、
『あ、月が出ている』
と空を見上げた。

ーその時に見えた月の様子は、こんなふうに描かれています。ー
ビルの上にうす青い空があり、白い透き通った半月形の月が浮かんでいた。
『あの月、大根みたいじゃない? 切り損なった薄切りの大根」

ーこの「昼の月」を見たあとで、英子は『切り損なった大根』の思い出話をします。・・・・ー

 秀一にこの話をしたのは、有楽町の喫茶店である。 」

「重箱の隅から読む名場面」の著者は「ここまでのところから、いったいどんなことがわかるでしょうか?」と問いかける。

青空に見える半月形の月、これがヒントだということはわかる。

新宿のビルの間からみえる青空、そこに見える半月形の月。
著者は7月ごろにみえる上弦の月だと考える。
ふたりで少し早めの昼食をし(二人揃ってではないかも知れないが)、デパートで結婚指輪を誂え、喫茶店に入ったのだろうと推理する。
そうすると7月の上弦の月、午後2時から3時ごろだったのではないか、
と上の図を見て考えられるということだ。
くわしい説明はこの本を手にとって読んでほしい。

月に親しんでいた太陰暦の暦を知っていたら、ここまで推理できるという例。そしてこの小説の作者・向田邦子さんもそのことを知っていて、この作品を書いたのだろうと想像できる。

「重箱の隅から読む名場面」の本の「おわりに」に、一番最後に宮沢賢治の「月夜のけだもの」が紹介されている。
「十日の月が煉瓦塀にかくれるまで、もう一時間しかありませんでした。
獅子は葉巻をくわえマッチをすって黒い山へ沈む十日の月をじっと眺めました。
そこでみんなは目がさめました。十日の月は本当に今山にはいる所です。」
これを読むと、どんな風景が浮かんでくるだろうか。
「黒い山へ沈む十日の月」「十日の月は本当に今山に入る所です。」月が山にしずむのなら、そろそろ夜明けか・・・・なんとなくそんな気がする。
しかし十日の月が沈むのは、上の図を見るとだいたい午前2時ごろなのだ。
そうか真夜中の話なのだ、とわかったら、この「月夜のけだもの」を読む時の印象がかわってくるだろう、と作者は書いている。

太陰暦(正確には太陽太陰暦)の知識を持っていれば、そして科学館の「こよみハンドブック」をもっていれば、平安時代の文学から現代の文学まで、幅広くそしてより深く読み取ることができるのだ。なるほど、そんな意識で小説を読んでみよう、と今は思う。

 

 

 

 

南半球の夜空

写真はクリーブランドのモーテルの駐車場から見た空。
西に月が沈むところ。
拡大してみると、

あれ? ちょっとまって。沈む月でこんな欠け方あったかな、、、、。

上の写真は同じ日の香港の夕方の写真。ニュージーランドに向けて出発前に空港で撮った写真。左端に沈む月が写っている。
拡大してみると、

香港の空港で見えた西に沈む月。これが普段見慣れている月だ。

以前のブログで南半球から見えるスーパームーンについて書いたことがある。

http://ungaisoten.com/2015/10/03/スーパームーン%E3%80%80北半球と南半球の違い/

この時は月の満ち欠けの見え方の違いについては書かなかったと思う。
実際にニュージーランドに来て、そこで見える月の欠け方は、予想通りだった。

左が香港(北半球)の月、右がニュージーランド(南半球)の月。どちらも西に沈む頃の月の状態。同じ日の月を見ているのに、北半球と南半球ではその見え方が違う。それはどうしてなのだろうか。
同じ月なのだから、月自身が形を変えているわけではない。変わったのは、月を見ている私自身の位置。月の見方だ。

上の図のように、同じ月を見ているが、地球が丸いため月の見方が変わってくる。 北半球で南半球の見え方を体験するには、下の図のようにすればよい。

上の図は北半球の人が月をみて、自分の目にはこのように見えていると説明しているところ。

南半球の人の見え方を、北半球の人が体験するには、反りくり返って月をみればいい。 香港の月の写真とニュージーランドの月の写真の見え方の違いがわかるだろう。

インターネットで南半球の月の満ち欠けがわかるカレンダーがあった。

左側が北半球の月の満ち欠けの様子、右側が南半球で見える月の満ち欠けの様子。
北半球と南半球とでは満ち欠けの様子の見え方が違うことがよくわかる。

では上の写真の月は、北半球? 南半球?
ニュージーランドで見た月の同じ形をしている。だから南半球・・・ではない。
これは私の家の前から写した月。どうしてニュージーランドの月と同じ形なの?
これは明け方に撮った月の写真だから。東側に昇ってきている月。これから新月に向かっている月。同じような形でも、見ている時間が違うのだ。方角、時間、緯度を考えないとその場所は特定できない。

上の写真はオークランドど撮影した「オリオン座」。
四角形を形づくる四つの星、真ん中に三つの星、オリオン座の特徴だ。
でも何か違う? 何が?

これが私の家で撮した「オリオン座」。
三つ星の下にあるもやもやしたのがM42星雲。
この星雲の位置が日本とニュージーランドとでは逆になっている。まるでオリオン座が逆立ちをしているかのように見える。これもさきほどの月と同じこと。

ニュージーランドの学校で教えている星座の本があればいいのになあ、と思いながら本屋を探すが、今度のツアーではまったくそのような機会はなかった。

南半球の国に行くことがあれば、月の写真や日本で知られている星座の写真を是非とも撮りたいものだ。