庭の千草

庭の千草」と The Last Rose of Summer

左の写真はトーマス・ムーア。
日本では「庭の千草」と知られている歌の作詞者。写真は英語版ウィキペディアより。
https://www.wikiwand.com/en/Thomas_Moore

「庭の千草」の原題は、「夏の名残のばら(The Last Rose of Summer)」。
1805年、アイルランドのキルケニー州ジェンキンスタウン・パークでこの詩を書いたといわれている。トーマス・ムーアが26歳頃の作品である。トーマス・ムーアが見たピンクのバラは、ダブリンのボタニックカーデンに移され、今も見ることができるそうだ。
1813年に出版された「アイルランドの旋律(A Selection of Irish Melodies)に収められ、この版のピアノ伴奏は作曲家ジョン・アンドリュー・スティーヴンソン」によって書かれている(しかしダニーボーイと同じように、アイルランドの古い民謡が原曲だという説もあるそうだ)。

庭の千草、The Last Rose of Summer とはどんな曲なのだろうか。

これは無料で楽譜を見ることができるサイトからの引用。 この楽譜はアルトサックス用のものだが、演奏例として ティン・ホイッスルによるものが紹介されている。ティン・ホイッスルによる演奏は、なかなか聞くことができないと思うので、ホームページを紹介しておく。

https://wind-note.com/altosax/the-last-rose-of-summer-altosax-sheet-music/

トーマス・ムーアはアイルランドの詩人として知られている(1779〜1852)彼は1795年にトリニティ・カレッジを卒業している。
上と左の写真はトリニティ・カレッジの現在の写真。
学生たちがたくさん大学の中に入っていっていた。
私達が行ったときは、丁度夏休みが終わり、2学期が始まるまでの準備をしているというところだった。
大学の中にある学生会館らしいところでは、クラスメイトが再会の握手やハグをしていたり、カリキュラムをパソコンで見ていたりしていた。いつの時代も、新学期が始まる時の明るい雰囲気と緊張感が感じられるときだった。

なぜアイルランド民謡が文部省唱歌に?

上の楽譜はウィキペディアの「庭の千草」より引用。
「庭の千草」は文部省唱歌として日本では知られている。
ウィキペディアによると、

作詞: 里見義(1824 – 1886)
作曲: 不詳
原曲: アイルランド民謡「夏の名残のバラ」(The Last Rose of Summer)
掲載: 文部省音楽取調掛編纂『小学唱歌集 第三編』文部省、1884年(明治17年)6月
底本: 『小学唱歌集第三篇』初版
とある。

この「小学唱歌集第三篇」を調べてみると、この唱歌集には、
◎仰げば尊し/原曲 アメリカ民謡 Song for the Close of School
◎アニー・ローリー 「才女」/原曲 スコットランド民謡 Annie Lourie
◎庭の千草 「菊」/アイルランド民謡 The Last Rose of Summer
◎野ばら(ヴェルナー)「花鳥」 /原曲 ドイツ歌曲 Heidnroslein
が収められていたとある。

司馬遼太郎さんの「愛蘭土紀行2」に「庭の千草」に関しての記述がある。

「ふと、小学唱歌のことをおもった。
明治初年の小学唱歌は、文部省音楽取調掛によって創(はじ)められたのだが、その初期はすでに欧米にあった歌曲に日本の詞をつけただけのものが多い。
 とくに、ケルト(スコットランドやアイルランド)の民謡が多かった。たとえば「蛍の光」や ”夕空晴れて” という唱い出しの「故郷の空」などはスコットランドのものであり、また「庭の千草」はアイルランドの古い民謡である。この3つの歌に共通するものは山本修二がいうところの甘い憂鬱というものだろう。
 私は、川口信行氏の記憶力を信じているから、当然のことのようにかれに「庭の千草」の原題をきいた。
「”夏の終りのバラ”(The Last Rose of Summer)でしょう」
 ああ、それだ、・・・・略・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・。
 川口氏が小さく歌った。 
  庭の千草も、虫の音も、
  枯れて、さびしく、なりにけり。
  ああ、しらぎく、嗚呼 白菊
  ひとり 遅れて 咲きにけり。

 声も悪くない。
 ところが、うたいおわってもたれもが沈黙し、川口氏の顔をみつめるだけだった。おろらく、アイルランドの古曲を、どうしてこの日本人はわけのわからぬ言葉でうたうのかということだったろう。(P190〜P192)」

ヨナ抜き音階

ネットであちこち見ていると、「ヨナ抜き音階」の紹介があった。
音階といえば「ドレミファソラシド」と口から出てくるが、これは西洋中心の音階で、民族によって持っている音階は違う。東アジアでは五声(ドレミソラ)という五音がよく使われていたそうだ。
ド レ ミ フ ァ ソ ラ シ ド は明治時代には
匕(ヒトツ) フ(フタツ) ミ(ミッツ) ヨ(ヨッツ) イ(イツツ)
ム(ムッツ) ナ(ナナツ) と称していたそうだ。
日本の古くからの音階ではファとシがないものが多いと言われている。
ファがヨ、シがナなので、ファとシがない音階ということで「ヨナ抜き音階」と呼ばれているそうだが、これは西洋音階からみた言い方である。
しかしスコットランド民謡やアイルランド民謡にはこの「ヨナ抜き音階」のものが多いそうだ。司馬遼太郎さんが書かれている「故郷の空」も「蛍の光」、そして「庭の千草」もこの「ヨナ抜き音階」でできている。

 「ヨナ抜き音階」で作られた曲は昔の曲だけではない。現在私達がよく知っている曲もこの「ヨナ抜き音階」でできていると知ってびっくりした。
ホームページのアドレスを下記にコピーしておく。

https://flip-4.com/955

明治維新から日本とアイルランドの関係が深かったことがよくわかった。
同じ島国、大国からの圧力にどう対処していくか、アイルランドから学ぶことが多かっただろうし、アイルランドに着目して先人たちの眼力にも感心する。

山下直子さんの講義には「アイリッシュハープ」の奏者のお話もあった。
それは次回に書くことにする。

 

 

 

ダニー ボーイ

山下直子さんのカルチャー講座もいよいよ最終回。 日本とアイルランドをつなぐ音楽が話題だった。
「ダニー ボーイ」は「ロンドンデリーの歌」としても知られている歌。
ではロンドンデリーとはどこにあるのだろう。

北アイルランドの北部にある。私が行ったツアーではこの地を訪れていない。
山下直子さんのお話によると、もともとこの地は「デリー」呼ばれていたそうだ。
アイルランド語で「かしの木の森」という意味ということだ。
前回の講座でアイルランド独立の歴史を学んだが、1171年にイギリスによるアイルランド征服がおこった。イングランドやスコットランドのプロテスタントたちが多く移民してきた。そして1613年にジェームズ1世の時代、都市としての承認があり「ロンドンデリー」と名付けられたという。その時プロテスタントを守るための城壁が作られ城塞都市となり、カトリック教徒は荒れ地に追いやられるという歴史的背景があった。
古くからアイルランドで生活をしていた人たちにとっては、都市の名前が変わることは許せなかったのだろう。

上の写真は山下直子さんの講座で紹介されたもの。
北アイルランドの交通標識。ロンドンデリーと書かれている表示の、ロンドンがペンキで消されている。今も許せない気持ちがあるのかと思って調べてみた。

1972年1月30日、ロンドンデリーでデモ行進中の市民27人が、イギリス陸軍の落下傘連隊に銃撃されるという事件が起きた。
14人が死亡。
14人のうち17歳が6人、19歳が1人、20代が3人という若い学生と市民だった。
軍が非武装の市民を銃撃したこの事件は全世界に衝撃を与えた。北アイルランド紛争の真っ只中で起きた事件だった。
左の写真はウィキペディアからの引用。亡くなった14人を描いた壁画。ロンドンデリー市内にはこのような壁画がいくつもあるらしい。こういった歴史的な背景があれば、ロンドンデリーという名から「ロンドン」を消し去りたいという気持ちはわかる。

 

ダニー ボーイ」と「ロンドンデリーの歌」

「ダニー ボーイ』と「ロンドンデリーの歌」、どちらも同じメロディー。
私達にとってはどちらが親しみがあるのだろう。
その歴史を山下直子さんが説明してくれた。
はっきりと分かっているのは、「ダニー ボーイ」の歌詞はフレッド・B・ウェザリーの作詞だということだ。作られたのは1910年と言われている。しかしこの詩は別の曲のためのものだったらしい。そして余り評判にもならなかったらしい。
そんなとき、アメリカ移住していた弟の妻から、「アメリカで流行っている古いアイルランドの曲の楽譜」が送られてきた。1912年のことだった。
そのメロディーが気に入ったウェザリーは、このメロディーに合うように自分の詩をすこし変えて「ダニーボーイ」として発表したのが1913年だと言われている。

その古いアイルランドのメロディーというのが「ロンドンデリーの歌」なのだ。

ではその古いメロディーの起源はどこにあるのだろうか。山下直子さんのお話によると、盲目のハープ奏者ローリー・ドール・オカハンの伝説というのがあるという。17世紀というから1600年前後の頃の話。ローリー・ドール・オカハンは深酒をして川で足を滑らせて谷間に落ちてしまい、その時ハープを落としてしまう。気がつくと妖精が美しい旋律を奏でているではないか。それが「オカハンの嘆き」として伝わったのがこのメロディー、という伝説だそうだ。そうなると、この曲の作曲者はアイルランドの妖精ということになってしまうが、それほど地域に密着した懐かしいメロディーということなのだろう。

メロディーはジェーン・ロス(1810〜1879)によって採譜され、ダブリンの研究者に送られることによって歌集に載せられたそうだ(1855年)。その時にはロンドンデリーに伝わる古い歌として紹介されている。歌詞はその時々に作られていったという。いまでは100種類あまりの歌詞が作られて伝わっているそうだ。

そのメロディーがアイルランド人の移民によってアメリカに伝わった。
そして上に書いた山下直子さんの説明になる。
イギリスの詩人フレデリック・B・ウェザリーの弟夫婦はアメリカに移民としてわたっていた。アメリカにいた義妹がこのメロディーに興味を持ち、採譜して書き留め、イギリスのフレデリックに送ったということらしい。
このメロディーはアイルランドのロンドンデリーから出発し、アメリカに渡り、それがイギリスにいたフレデリック・ウェザリーのもとに届き、そしてダニー ボーイの曲となったということだ。

上の写真はユーチューブから引用した映画「ブルックリン」の船の出港の場面。多くのアイルランド人は映画のように船に乗って米国に渡った。この映画は1980年台が舞台だが、移民は人の移動だけでなく、アイルランドの文化をアメリカにもっていった。その例がこのダニーボーイのメロディなのだろう。

ところで「ロンドンデリーの歌」という言い方は日本ではあたりまえだが、アイルランドの人たちにとってはどうなのだろう。ウィキペディアやネットで見ると、「ロンドン」ということばをさけて、”Air from Country Derry ” や “Derry Air “ と呼ばれることが多いとも書かれていた。それはそうだろうと私は思う。
ネットの多くに「ロンドンデリーの歌は北アイルランドの事実上の国歌としての扱いをされ」とか「ロンドンデリーの歌は国歌の代わりに演奏される」という表現が多くあった。これはこの曲のメロディーが演奏されるということで、北アイルランドの国歌が「ロンドンデリーの歌」という曲名という意味ではないと私は思う。
「ロンドンデリーの歌」や「ダニー ボーイ」については、私がネットで見ていると驚くほど精密で詳しい研究がたくさんあることがわかった。その一つを紹介しておく。

https://themuse.exblog.jp/12805881/

「庭の千草」についての山下直子さんの講義で学んだことは次回に書いてみたい。