なぜ「ゑ」は使われなくなったの 2

前回は「50音図」について少し調べたが、「仮名づかい」「日本語の表記」について興味が広がってきた。
左の「たのしい日本語学入門」(ちくま学芸文庫・中村明著)をみると、次のように「仮名づかい」について書かれていた部分があったので、一部引用する。

「仮名の発明により日本語を自由に書き表すことができるようになった。これは画期的なことである。単語を仮名で表記する場合のきまりを「仮名遣い(かなづかい)」という。仮名は表音文字だから、文字と音韻とがつねに一対一の対応をしている限り何の問題も生じない。ところが、時代とともに発音に変化が起こる。一方、書かれた文字はそのまま残りやすい。
日本語では古く、「い」と「ゐ」、「え」と「ゑ」、「お」と「を」を書き分けてきた。それぞれ二つの音が次第に区別できなくなり、さらに「ひ」「へ」「ほ」と書いてきた音も時にそれらと同じ発音になるなど、音の種類が減る傾向にあった。平安時代末期には仮名のほうが多くなり、表音文字としてはまさに「字余り」の状態になったため、同じ音に対応する複数の仮名をどのように使い分けるかという問題が起こり、仮名遣いが論じられることになる。」

*なるほど、発音の変化と音を表す仮名とのずれが起きてきたわけなのだ。ではどのように対処するのか。

「考え方としては、過去の一定の時期を模範としてそれに従うか、現代の発音どおり表記することに徹するか、両者の折衷案を採用するかの三方向がありうる。
 明治時代以降、国定教科書では第一の考え方を重視し、江戸時代の前期に契沖が平安時代中期以降の文献を基準にして定め提唱した仮名遣いをもとに、「歴史的仮名遣い」を採用してきた。「オーギ」は「あふぎ」、「スモー」は「すまふ」、「エガオ」は「ゑがほ」、「ワライドーシ」は「わらひどほし」、「オリカエス」は「をりかへす」となるなど、現代の発音とのずれが大きく、学習上の負担にもなっていたようだ。・・・略・・・
 第二次大戦集結直後の1946年に「現代かなづかい」が制定され、1986年にそれをわずかに改定した「現代仮名遣い」となって今日におよんでいる。・・・・
 新しい仮名づかいは大幅に表音文字に近づき、ほとんど発音どおりに書けばよいが、完全な表音文字という段階までは踏み込んでいない。たとえば、助詞の「は・へ・を」はそれぞれワ・エ・オを発音するが、従来どおり「は・へ・を」のままにするなど、折衷案と見るべき性格も部分的に残されている。・・・略・・・。」

*ここまでで、音と表記のずれが生じたことから、「仮名づかい」についての議論が起きてきたことがわかった。

50音図の事に触れた左の「みんなの日本語事典」(明治書院・中山緑郎、飯田晴己、陳力衛、木村善之、木村一 編)が「ゆずりは」に紹介されていた。
そこに「五十も音がないのに、どうして『五十音図』と言うのですか」という項目があった。(P438)
そこから抜書をしてみると、
「・・・明治以降になり、辞書の配列にもそれまでのいろは歌から五十音図が主として使われるようになり現在に至っています。五十音図という名称も明治時代になって一般化したものです。
ヤ行のイ・エ、ワ行のウは文字として重複しており、五十個ちょうどではないのですが、五段十行という秩序を持った音図という意味で五十音図という言い方が広まっていったようです。

・・・五十音図は最初は、悉曇(しったん;梵語学習のための文字表)の学習と漢字音の学習の便宜のためにつくられたもので、それが偶然に日本語の音韻の表として適したものになってまとめあげられたものです。ところが、中世の間は、この五十音図は日本語の音の表であることはあまり意識されず、悉曇(しったん)や漢字音の学習の世界の中だけで用いられていたようです。それが、近世になって、本居宣長の流れを引く国学の世界などで、動詞の活用の種類などに応用されることにより、日本語の音の表であることがはっきりと意識されてきたものらしいです。そのような流れの中で、明治時代の教育に、五十音図が活用されるようになり今に至ることになったのです。」

*「五十音図」が「音の表」であることが強調されている。なるほどここでも音と表記の関係が大切であることがわかる。
時代とともに表記と音のズレが現在の五十音図になっていったのだろう。その時期はいつかというと・・・(続く)。

 

 

 

日本語表記の歴史 1

ある時、友人から「ハングルには日本語の『ん』にはないようだ」ということを聞いた。私はハングルには詳しくはないので、ハングルというよりも「日本語の『ん』はいつ頃からあるのだろう?」という疑問が先にわいてきた。

図書館で調べてみると、日本語の歴史に関してたくさんの本があることにびっくりした。左の本がそのうちの一つ。
山口謠司(やまぐち ようじ)さんの本が多く見つかった。

・日本人が忘れてしまった日本語の謎 (日文選書)
・「ひらがな」の誕生 (KADOKAWA )
・日本語の奇跡ー「あいうえと」と「いろは」の発明 (新潮社)
・日本語にとってカタカナとは何か (河出書房新書)
・てんてんー日本語究極の謎にせまる (角川選書)
・んー日本語最後の謎に挑む (新潮社)

こんなにまとまって日本語の歴史について本を読んだことはなかった。

これらの本を読んで、空海(弘法大師)の果たした役割がよくわかる。また漢字が伝わるまで、現在日本とよばれているところに住んでいた人たちが、自分たちの考えや気持ちを伝えるための文字がなかったこと、そして伝わってきた漢字を使いながら現在の日本語へと発展させていった、時間をかけたすごい努力に感心した。

左の本の「仮名の発生」という章が大変興味を引いた。

私達は(私だけかもしれないが)、「いつ、どこで、だれが」ひらがな・カタカナを発明したのだろう?と簡単に思いがちで、クイズの答えのように「はい、西暦〇〇年、〇〇県のどこそこの〇〇という人が作ったんですよ!」と回答があるだろうと思う。

ところがそんな命題は成立しないと強調されるのが左の本の著者の今野真二さん。

「誰が作ったのかという問いそのものが、仮に誰という答えを得たとしても、それが正解であると証明できない問いであることはいうまでもなく、また答えの推測もできないような問いであることは明らかなことだ。いったいどういうことがわかれば答えられるのだろうか。この問いは修辞的な問いとしてしかなりたたないのではないだろうか。・・・略・・・言語は一定の社会集団に共有されて使われる。だから言語に関して誰かが何かを決めるということはまず考えない。この語は誰が作ったのか、この漢字は誰が作ったかは、いずれの問いにも何らかの条件下でなければ問い自体が有効ではないし、もちろん答えを得ることは難しい。」

こんな調子で私の安易な考えを蹴飛ばしていく。

カタカナが漢字の一部からできていることは、小学校のときにならった。ほとんどの人がそうだと思う。
でもそれがどうしてわかるのか。どんな証拠があるのか。
そんな当たり前と思っていたことを丁寧にこの本は説明している。

「ウ冠の漢字はたくさんあるのに、なぜ『宇』とわかるのかといえば、『干』(宇という字のウ冠の下の文字のこと)という字形の片仮名の「ウ」があるからだ。これでもわかりにくい言い方かもしれない。
片仮名の「ウ」が書かれていることが予想される箇所に「干」と書いてあることがあるので、「干」もカタカタの「ウ」であることがわかる、ということだ。
「干」は単独でも「ウ」という発音をもっているが、「漢字の部分を採ったもの」が片仮名だから、「干」は部分でならなければならない。となると、「宇」から採られた、ということになる。
片仮名の「ウ」は、10世紀から12世紀頃までは、いかにも「宇」から採りました、という漢字で、3画目は短く書かれている。しかし室町以降は3画目が長くなっていることが指摘されている。」

上の「宇」から「ウ」までの字形の変化をみると、その事がよく分かる。(この字形の変化は、「見て読んでよくわかる! 日本語の歴史① 古代から平安時代 書き残された古代の日本語(筑摩書房)」から引用した。

このような「ひらがな、カタカナの五十音図」と「元の漢字」の表は、国語の教科書などにものっていたような気がするが、一つ一つ元の漢字を特定していく調査と証拠がためのために、何人もの研究者の努力があったとは、今まで気が付かなかった。

いわゆる「五十音図」とよばれるものは、平安時代に遡ることができるそうだが、私の小学校の教室に貼ってあったあの「五十音図」の歴史は新しいそうだ。「カタカタの五十音図」は明治30年(1900年)の文部省小学校令から、「ひらがなの50音図」は戦後になってから、昭和22年(1947年)からだとは知らなかった。
時代をさかのぼってもう少し調べてみたい。