モディリアーニ展

中之島美術館で開かれている「モディリアーニ展」に行ってきた。
7月18日までの開催。
これは見逃したくなかった。

モディリアーニの絵は中学か高校の美術の教科書で見た記憶がある。
細い顔、長い首、しかし画面がなんとなく暖かく感じる肖像画が印象として残っている。
左はパンフレットから。裏面にモディリアーニの紹介が載っている。
「モデルの内面的な本質を捉えた肖像画で知られるアメデオ・モディリアーニ(1884〜1920)。祖国イタリアで美術を学び、21歳でパリに出て独自の表現様式を築きました。2008年の回顧展以来、日本でモディリアーニの作品をまとめてご紹介する初めての機会となります。短い活動期の中から優れた作品を選りすぐり、モディリアーニ芸術の本質を探るとともに、各国で進められているモディリアーニ研究の現在をひもときます。さらに同時代に活躍したピカソや藤田嗣治ら「エコール・ド・パリ」の作品も展示するとともに、モディリアーニとの交流、さらに日本でのモディリアーニ受容の軌跡なども紹介します。
 20世紀前期のパリで開花した芸術は、新時代の幕開けを迎える躍動感に満ちています。その豊かな醍醐味を、新たな船出を迎えた大阪中之島美術館で心ゆくまでご堪能ください。」

私が行ったのは、読売新聞の企画で、月曜日の休館中に絵を見ることができるという取り組みだった。
2時間という時間制限があったが、人数制限があり、それほどの混雑がなく、それなりにゆっくりと絵を見ることができた。
初めて知ったことは、モディリアーニは彫刻家をめざしていたことだった。てっきり最初から絵を描いていたとなんとなく思っていたがそうではなかった。
モディリアーニのつくった彫刻も多く展示されていた。ただ健康上と経済上のため彫刻を続けることができなくなり、絵画に変わっていったそうだ。そう思って絵を見てみるとモディリアーニの立体感のある絵の根拠はそこにあるのかとも思った。

中之島美術館が所蔵する「髪をほどいた横たわる裸婦(1917年)」 絵の横にある解説には次のように書かれている。
「日本で所蔵される唯一のモディリアーニの裸婦像である。福島繁太郎がパリで入手し、1933年に持ち帰った。以後、日本で多くの芸術家を刺激し、モディリアーニ芸術を広く伝えてきた。本作は山本 發次郎に譲られた後、1989年、大阪市が新しい美術館のために購入。その33年後に大阪中之島美術館が開館。オープンを記念する特別展は、コレクションを代表する本作にちなみ、モディリアーニ展となった。」
この作品を大阪市が持っているから、このモディリアーニ展が開催されたのだ。

上の写真は美術館の中だけど撮影が可能。美術館所蔵の作品だからだろう。
この作品の右側に左の「アントワープ王立美術館が持っている『座る裸婦』」が展示されている。これは借りてきている作品なので写真撮影は禁止。
左の写真はパンフレットからの引用。
同じ時代に、同じモデルで描かれた裸婦像として有名らしい。その2つが並んで展示されているのは見ている私にはとても楽しかったし、うれしかった。

モディリアーニは生涯に400点以上の作品が描かれているらしいが、詳細は不明。生存中はほとんど作品は売れず、今日(こんにち)のように有名になったのは死後のことである。
今では作品展を開けば10万人は集まると言われ、日本の美術の教科書にも載るぐらいの有名人になっている。

写真撮影が許されているもう一枚。
スウェーデン生まれのハリウッド女優グレタ・ガルボが生涯大切にした『少女の肖像』。
これはグレタの死後に発見されたもので、調査の結果モディリアーニ直筆の作品とわかった。今回が世界初公開になるそうだ。

この「モディリアーニ展」はパンフレットにあるように、同時代の画家たちの作品も展示されていた。
私が驚いたのはシャガールの「町の上で、ヴィテブスク」があったことだ。ヴィテブスクはシャガールの故郷の港町。これも美術の教科書で見たと思う。「どうして恋人たちが空を飛んでいるのだろう」と教科書を見たときは思った。50センチ✕70センチくらいの大きさなのだが、とても可愛らしく見えた。

モディリアーニは瞳を描かない肖像画で有名だが、もうひとつ私達の感性に響くのはその悲劇性かもしれない。とりわけ妻のジャンヌ・エピュテルムの生き方が胸を打つのかもしれないと私は思う。
新潮社の「モディリアーニの恋人」(橋本治・宮下規久朗)によるとモディリアーニの年譜には次のように書かれている。
「1920年 絵画制作による過労、飲酒、麻薬のために健康状態が悪化。1月23日に意識不明のまま慈善病院に運ばれ、翌24日、結核性脳膜炎のため死去。享年35.
その2日後の早朝5時頃、妊娠8ヶ月だったジャンヌは実家のアパルトマンの窓から身を投げた。享年21」
モディリアーニはジャンヌをモデルとして数多くの肖像画を描いたそうだ。

ジャンヌの写真と右の黄色いセータを来たジャンヌは新潮社の「モディリアーニの恋人」からの引用。左の瞳が描かれたジャンヌの肖像画は、朝日出版社の「恋愛美術館」(西岡文彦)からの引用。
ジャンヌの強い瞳が、モディリアーニの瞳のない肖像画になにか影響を与えたのではないかという説もあるそうだ。
この「モディリアーニ展」は彫刻から肖像画までの多くの作品が並べられていて、モディリアーニの足跡がわかるように展示されているように思える。
特に最後の肖像画のコーナーは圧巻だった。
この「モディリアーニ展」は見る価値のあるものだ。

 

 

 

大阪中之島美術館

話題になっている「大阪中之島美術館」に行ってきた。
開館記念のオープニングが3月21日までとなっているので、沢山の人が集まっていた。

左のパンフレットには、
「1983年に構想が発表されてから約40年、大阪中之島美術館のオープニングとなる本展では、これまでに収蔵した6000点を超えるコレクションから約400点の代表的な作品を選び一堂に公開します。・・・(略)・・・
本展では、コレクションに親しみを持っていただけるよう、作品にまつわる99のものがたりもあわせて紹介。「99」は未完成であることを意味しており、皆さんの100個目のものがたりで展覧会は完成します。・・・・後略・・・」
なかなかおもしろい企画だと思った。

雨の日だった。科学館の右に黒い建物がある。それが「中之島美術館」。
傘立てもなかなかおしゃれ。傘をさしてボタンを押すと、写真のような鍵がとれるようになっている。金属の札に「大阪中之島美術館」と刻印されいる。

`館内は基本的には撮影禁止。しかしいくつかの作品については撮影が許可されていた。 この佐伯祐三の「郵便配達夫」が撮影許可されているのはうれしかった。 多くの人がスマフォをかざして写真を撮っていた。
パンフレットに次のような紹介があった。
「佐伯が病に伏していたある日、郵便物を届けに訪れた白ひげの配達夫をモデルに描かれました。かすれたすばやい筆跡に、佐伯の燃え尽きようとする最後の生命力を感じずにはいられません。この作品を含む山本發次郎コレクションの寄贈をきっかけに当館設立の構想が始まりました。」
中之島美術館建設のきっけとなった作品は、私の歩み止め画面に惹きつけられた。いまにも物語が始まりそうな作品だ。

ルネ・マグリットの「レデイ・メイドの花束」、パンフレットの解説を引用すると、 「背広姿の大きな弾性の背中に貼り付けられた花模様の小さな女性。どこかで見たことがあるようなマルグリットの作品は、現実と非現実の境界をさまよわせ、見る人を心地よくだまします。1991年に当館のコレクションに加わった作品は、海外でも高い評価を誇ります。」
マグリットの作品は、中学か高校の美術の教科書で見た記憶がある。SF小説を読んでいるような気にさせる作品だ。

モディリアーニの作品は写真を取ることが禁止されていた。

左の写真は、4月9日からの会館記念特別展「モディリアーニ ー 愛と創作に捧げた35年 ー」と題する展覧会の案内のポスター。

この日に展示されていたのは「髪をほどいた横たわる裸婦」。
中之島美術館の海外作家作品購入第一号として、1989年にコレクションに加わったそうだ。
国内唯一のモディリアーニの裸婦像として紹介されていた。一見に値する作品だと思った。

このロボットは全長7メートルある「ジャイアント トらやん」。 ヤノベケンジさんの作品。
ハンケイ京都新聞の紹介を引用する。

「「子どもの命令にのみ従い、歌って踊り、火を噴く子どもの夢の最終兵器」というコンセプトで、2005年に現代美術家のヤノベケンジが制作した巨大な機械彫刻《ジャイアント・トらやん》。高さ7.2メートルという圧倒的なスケールは、見る者に「最終兵器」としての威圧感を与えつつも、どことなくユーモラスな雰囲気をたたえている。金属の装甲に覆われた巨大な体躯ながら「大阪のお笑い」にも通じるような親しみやすさは、大阪出身であるヤノベの父が趣味とするちょび髭の腹話術人形から生まれた《トらやん》が巨大化した、という作品の設定によるものかもしれない。
ヤノベはこれまで《ジャイアント・トらやん》を、大阪市住之江区北加賀屋にある鋼材加工工場・倉庫跡地を活用した大型現代アート作品の収蔵庫「MASK(MEGA ART STORAGE KITAKAGAYA)」で保管してきた。2012年の開館以来、MASKのシンボル的な存在として親しまれてきた《ジャイアント・トらやん》は、2022年2月に開館を予定している大阪中之島美術館へ寄贈される予定だ。・・・後略・・・」
そして現在確かに中之島美術館に存在する。

作品を収録したアルバムは完売したようなので、絵葉書を買うことにした。
私が一番見たかったのはこれ。アルバムは買えなかったので絵はがきを買った。

池田遙邨(いけだようそん)の「雪の大阪」(1928年の作品)
パンフレットの紹介は「22年ぶりの大雪で真っ白に雪化粧された大阪。新旧和洋様々な建物が並び、河川には外輪船やポンポン船が行き交う往時の水都大阪に、時を越えて誘われるようです。本作品は2000年に当館のコレクションへ加わってから機会あるごとに紹介している、”推し”作品の一つです。」

この作品は1928年2月11日の様子を描いたそうだ。
実物を見ても、ガラス越しだと全体が霞んだように見えて、まさに雪景色を見ているような雰囲気だった。
絵の上部に白く大きな台地のように広がって見えるの大阪城の城壁。あちこちに櫓(やぐら)が建っている。左上部にあるのが天守閣?と思いがちだがそうではない。天守閣はまだこの年には建っていなかった。天守閣が市民の寄付によって再建されたのは1931年(昭和6年)である。池田遙邨の絵はまだ再建が終わっていない大阪城を描いている。
2月11日、寒い日も穏やかな日も、そして絵のように雪の降る年もあったのだろう。私は2月11日に行われた研究会には30年近く参加していたが、私の記憶ではこんな大雪はなかった。しかし雪がちらついたり本当に深々と寒さが足元から伝わってくる年もあった。
この作品の写真が撮れなかったのは残念だった。

絵の他にも椅子や机のようなデザイン作品や現代の抽象画のような作品、写真の展示などがあり、1時間や2時間ですべてを見ることはできなかった。 機会を見つけて何回か来たい美術館だ。
この中之島美術館のすぐそばに国立国際美術館がある。
その先には大阪市立科学館があり、地下の食堂で休憩とした。
科学館には幼稚園から高校生らしい団体やグループが見学に来ていた。プラネタリウムも全時間予約で満杯だった。
昼食をとって国際美術館から地上に出ようとしてエスカレーターを利用すると「あれ、忘れものなのかな、あのボストンバック?」
空中にぶら下がったボストンバックが目に入った。
受付の人に「あれも作品なんですか?!」と思わず聞いた。
「ええ、そうなんですよ」とにこやかな表情で答えがかえってきた。
おもしろいなー、以前にもここに来たことがあるのに気が付かなかった。
天気がよければ歩いて中之島に出ることができる。中央公会堂や府立図書館にも行きたかったが雨のためにやめた。
もう少し暖かくなったら、また来ることにしよう。