ポルトガル紀行 6

ポルトガル三日目
        ポルト市内観光②

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バスの窓から見えた像。この像はエンリケ航海王子の像。ポルトガルにとっては非常に大切な人。

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このエンリケ航海王子は英国風に言うとヘンリー航海王子。そういえばこちらの名前にはなんとなく耳にした覚えがある。エンリケ航海王子について、司馬遼太郎さんは「南蛮のみちⅡ」にこう書いている。

〜父ジョアン一世(在位1385〜1433)は、ポルトガルを併合しょうとするスペインからの圧迫の中で青春を送った。1383年、フェルナンド一世が死に、王権がスペインに奪われかけた時、リスボン市民が奮起し、王族の一人で、当時アヴィス騎士団長だった若いジョアンを押し立てて王とし、やがて侵入してきたスペイン軍をリスボン西方の野で破った。この一戦がポルトガルに独立をかろうじて保たせたのだが、しかしなお危うかった。
ポルトガルにとってはスペインは後門をうかがう狼のようなものであった。このためジョアン一世は同盟を英国に求め、条約を結んだ。以後六百年、こんにちまで一度も破られることがなく、外交史上、奇跡の条約とされる。十四世紀末のこの条約は、十六世紀起工のジェロニモス修道院よりもむろんふるいのである。
 ジョアン一世が、王位についた時はまだ若く、同盟国の英国の王族から王妃をめとった。彼女は同盟のきずなであっただけでなく、聡明であった。さらには女性にはめずらしく航海術や地理学に強烈な関心を持っていて、息子たちに影響した。
この英国生まれの王妃は、ほとんどお伽話めくほどに賢い王子を三人生んだ。次男は彼女の地理学好きを伝承した。この次男はヨーロッパ各地を旅行し、マルコポーロの「東方見聞録」をはじめてポルトガルにもたらした。おそらく十四世紀に成立したラテン語の写本であったろう。
「東方見聞録」は、ポルトガルの人々に読まれた。なかでも「黄金の国日本」のくだりが、関心を引いた。この章こそ、おおぜいの航海者を新世界に奔らせるもとになったことは、よく知られている。
・・・・・略・・・・・さらに日本の宮殿の屋根はすべて純金でふかれており、どの部屋の床も指二本幅の厚みの純金で敷き詰められている、とマルコポーロはいう。ポーロはその在世中、ホラ吹きといわれたが、その後、写本が出まわるにつれてこのくだりを、地理好きの次男が航海好きの三男に読ませ、
「おもしろいだろう」
と、いったはずである。三男こそが、母親の航海好きを相続したエンリケであり、のち、ポルトガルが海へ出ていゆくためのあらゆる準備をし、指揮をとる人物になる。ついでながら、やがて王になる長男は、法律や制度の整備が好きであった。ポルトガルの黄金時代は、この三兄弟によってひらかれた。むろんかれらに相続争いなどはなく、エンリケは王子のまま生涯をおくった。

司馬遼太郎さんの文章はまだまだ続く・・・。

そのエンリケ航海王子を後にして、私たちはドロウ川を渡った。
下の写真は、車がなかった頃にワインを樽にいれて運んだ船。

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ここは、ポルトガルの名産ポートワインの醸造元の一つ、サンドマン。
怪傑ゾロのような黒い帽子にマントのいでたちがトレードマーク。

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左の写真はワインを、日本でいうガソリンタンクのような車にホースで入れているところ。こんなふうにしてワイン運ぶんだとわかる。
ポートワインというのは、まだ糖分が残っている発酵途中のワインに、ブランデーを加えて酵母の働きを止めたものである。だからアルコール度数は20前後と普通のワインよりも高い。

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 ポルトガルは国としてドロウ川上流をポートワインの法定区域と定めていて、ポートワインの品質を厳しく管理している。 日本でもマッサンでおなじみの赤玉ポートワインがあったが、今ではポートワインの商品名を赤玉スイートワインと変えている。飲み比べてみると、サンドマンのポートワインは、色も味もブランデーが入っている分、深みが感じられる。

ワインの試飲を終えて、食事のために移動する。バスに乗ってもう一度橋を渡り、カイシュ・ダ・リベイラ地区にはいる。IMG_1011

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ここはシェ・ラパンというお店。メニューは、サラダ、カタプラーナ(魚の銅鍋料理)、エッグタルト。コーヒーは私がオーダーしたもの。

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なんとも風情がある川べりのレストラン。ドロウ川を渡るドン・ルイス一世橋は巨大な2階建橋になっていて、鉄道がかなり高いところを走っている。川の真ん中、橋の中央に駅があるらしく、電車が行き交い、人の姿が見える。

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カモメ?も日本のカモメの表情ではない。やっぱりポルトガル、司馬遼太郎さん風に言えば南蛮風なのだろうか。

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このカイシュ・ダ・リベイラ地区は中世以来の旧市街地区。 

建物も大変古い。
日本でいえば室町時代になるのだろうか。木の文化の日本ではスベインやポルトガルのように、町並みが当時のままに残っていて今も使われているなんてことは、ほとんどないと思う。

この旧市街地をあとにして、私たちはバスに乗って次の目的地、コインブラに向かう。

コインブラはリスボン、ポルトにつぐ、ポルトガル第3の都市である。そのなかでもコインブラ大学はヨーロッパのなかでも古い大学として有名であるそうだ。そこの見学と、市内見学とお買い物が待っている。

 

ポルトガル紀行 5

ポルトガル三日目
        ポルト市内観光①

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写真左が泊まった部屋の正面に見えるレストランのある建物、貴族の館。
そして貴族の館から見て、向かい側に見えるピンクの建物が宿泊した棟。

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私たちが泊まった部屋と食事をとった棟とは向かい合わせの位置にあった。

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部屋から見えた川と庭。貴族の館の上にある風見鶏。これはクジラだろうか?

食事をとってパスに乗ってポルトの街の観光。
まずは市内の大聖堂のそばにある広場から街を見る。

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ポルトの町はリスボンから北へ約300kmのところ。ドロウ川北岸の丘陵地にある街。丘の起伏が激しく、バスに乗ってもひやひや。
ローマ時代にはカーレとよばれる州で、港(ポルトゥス)の役割を持っていたのでポルトゥス・カーレと呼ばれていた。それがポルトガルの語源だと言われている。それだけ歴史のある街。

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ここ大聖堂(カテドラル)はもとは要塞として17世紀にたてられたもの。
18世紀のアズレージョが美しい。

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銀細工の祭壇で有名という案内があった。

ポルトガルの教会では聖母マリアへの信仰が厚いことがわかった。
私たちが行った教会の多くには聖母マリアが祀ってあった。

クリスチャンでない私にはよくわからないが、カトリックの教会では聖母マリアの像が祀られているそうだ。

大聖堂から坂道を下ってサン・ベント駅に向かう。

この日は雨まじりの天気で、風もときどき強くなり、おもわずコートの襟をたて、ポケットに手を入れて歩く。

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サン・ベント駅の構内はタイルの壁画でおおわれている。
ポルトガル語でタイルのことをアズレージョという。そのなかでも、写真のような青い絵の装飾タイルが有名。
スペインに行った時に見たタイルを思い出す。スペイン語でタイルのことをアスレホといい、「青い」という意味があることをそのときに知った。ポルトガル語も同様で、その語源は「青」という意味のAZULーアズールにあるそうだ。しかし、アラブ語のal-zuleique(なめらかに磨かれた小さな石)から来ているという説もある。
このサン・ベント駅のアズレージョは2万枚のタイルで、1930年、ジョルジュ・コラソという人の制作。ジョアン1世のポルト入城やセウタ攻略などポルトガルの歴史が描かれているという。
青い色はコバルトの発色によるものらしい。このコバルトについて司馬遼太郎さんが「街道をゆく 南蛮のみちⅡ」で次のように書いている。

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〜陶磁器にコバルトを盛大に使用するということは、元帝国によって可能になった。 「元の染付」と、日本でも珍重されたものである。・・・・略・・・・・
呉須・染付・青花とよばれる磁器は、まず素地に青料(コバルト)で絵付けをしたあとで、一種のガラスである透明釉(とうめいゆう)をかける。元代、最大の陶器工業地であった景徳鎮でこれがさかんにつくられ、製品はふたたび回回(フイフイ 中国でのイスラム教徒の呼び名)たちによって西方にはこばれ、さらに西に行って、十三、四世紀のヨーロッパ人の憧憬と購買欲をあおった。
ヨーロッパ人たちは、中国陶器を高価な飾り物としてあつかったが、やがて自分たちもコバルトをつかって青一色の濃淡で絵付けをし、ガラス質の釉薬(うわぐすり)をかけて、タイルや皿などを焼き始めた。
つまりは、青の単色画(モノクローム)が描かれた。単色画は中国や日本は墨絵の伝統があるためそれなりに一定の手法があるが、ヨーロッパに来ると、このタイル画がそうであるように洋画風になる。・・・・略・・・・・
リスボンから船に乗ってサブレス岬をまわれば、アフリカ沿岸である。アフリカはいまもそうだが、世界的なコバルトの産地である。ポルトガルでは、容易に材料が手に入る。・・・・・略・・・・・。

なるほど、文化・芸術というものは世界的な規模で影響しあっているのだなあと思う。

さてバスに乗って、ポルトの坂道を上り下りしてサンフランシスコ教会へ。

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IMG_0873残念ながら、このサンフランシスコ教会の内部は写真撮影禁止。
入り口でパンフレットを買うが、日本語表記のものがないので英語版を買う。

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この教会の内部は金泥細工といって、天井、壁、柱は、蔓草、鳥、天使など金箔を貼った彫刻で飾られているのが有名。 そしてパンフレットの写真に有る、The Tree of Jesse (ジュッセの樹)とよばれているキリストの系図が必見だと説明があった。

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ポルトの旧市街地には市電が走っていると説明があった。路面電車といわずに市電というのがおもしろかった。ポルト市の経営なのだろう。
このサンフランシスコ教会前が終点、始発の駅のようだ。

サンフランシスコ教会の見学を終えた私達は、再びバスに乗ってドロウ川をわたり、ポートワインのワイナリー見学にいく。試飲できるのが楽しみ。

 

 

 

ポルトガル紀行 1

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スペインに行くことができたので、いつかはポルトガルに行きたいと思っていた。
そんな気になって旅行案内を見ていると、ポルトガルの案内が目に入った。
こんなふうにして、つながっていくのかなと思いながら思い切って予約をした。

ポルトガルという国は日本にとってたいへん縁のある国。だけどもあまり知らない。
スペインにいったら余計にそんな感じが強まった。テレビの天気予報でもポルトガルのところだけが空白になっていたりして、同じEUなのに扱いが違うみたい。

今回は、松本侑子さんのような人はいないので、全くの観光旅行。
でも行くからには目的を持って、ただの観光めぐりに終わらないようにしようと少し考えた。

1.ポルトガル語がもとになっている「テンプラ」や「コンペイトウ」など、
  実際にはポルトガルではどんなものか見てみたい。
2.天正遣欧少年使節団がポルトガルを訪れている。
  彼らの訪れた場所に行ってみたい。
3.ポルトガルにいるジプシー・ロマのようすが知りたい。

こんなことを考えて、旅に出た。
関西国際空港からドイツのフランクフルトへ、ここで乗り換えてポルトガルのポルトに向かうのがフライトプラン。

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フランクフルトと日本の時差はマイナス8時間。日本のほうが8時間進んでいる。 関西国際空港10時50分発はフランクフルトでは2時50分。
フランクフルト着 14時55分。14時55分−2時50分=12時間5分
なんとも半日の飛行時間。

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長旅の楽しみは食事と映画。

1.ヒットマン・エージェント47
  DNAを操作して最強の兵士を作ろうとする秘密結社?と闘う二人の男女。 よくあるアクションパターンだが、動きにキレがあり惹きこまれた。 最後はおきまりの次の作品あり、を予想させる終わり方。日本公開は未定?

2.オデッセイ
  これを見ることができてラッキー。日本でまだ公開されていない。 2時間24分、長い作品だが展開が早く、期待通りのハラハラ・ドキドキ。 よくできたSFだが、ホントにひとりぼっちでやっていけるの?  人間ってそんなに強い? とにかく主人公が最高にポジティブだった。 マット・デイモンがはまり役だった。

3.メイズランナー2  
 メイズランナーを見ていないので、前作との関係は全くわからず。 伝染病に汚染された世界、砂漠化が進む世界、ウィルスによってゾンビ化した人間。抗体を作るために闘う組織、逃げまわる抗体を持った主人公たち。 そして仲間のはずだった少女の裏切り。どこかで、なにかで見たり聞いたりしたもののオンパレード。でも主人公たちが若者なのがこの映画の魅力なのかもしれな い。パート3は来年らしい。

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フランクフルトの空港でポルトガル行きの飛行機の時間まち。トランクなどの荷物はポルトガルまで運んでくれるので、出したり入れたりする手間はない。
大きな空港。自転車が走っている。電気自動車も走っている。犬も歩いている!
どの空港もポリスが多い。体がでかい。おまけに自動小銃をもっているので近寄りにくい。これもテロ対策なのだろう。

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21時5分発の飛行機でポルトガルのポルトへ。

2時間ほどのフライト。
ここで荷物を受け取る。
手荷物カウンターの時計は午後11時をすぎている。

ここからバスに乗って最初のホテル、「ポサーダ・ド・ポルト」に向かう。
「ポサーダ」というのは、古いお城や修道院、貴族の館などを国営ホテルにしたもの。このホテルは国の重要文化財を改築した「ヒストリカル・ポサーダ」に分類されているそうだ。
18世紀の貴族の館をホテルにしたものだから歴史がある。

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ホテルのロビーになるところは、さすがは貴族の館、壁も天井もすばらしい装飾。

ウエルカムドリンクは名産のポートワイン。

さあお風呂に入って休息タイム。
明日から観光がはじまる。