和同開珎鋳造体験

堺市博物館で左のような企画展があった。
「みはらの古代集落探索!」というもので、パンフレットの紹介には、
「堺市美原区は、市内でも飛鳥・平安時代の遺跡が集中して見つかる地域です。当時は河内国丹比郡に属し、難波(なにわ)と大和をつなぐ道に接しており、氏族との関わりで寺院も建てられたようです。
昨年オープンした「ららぽーと堺」の建設前の調査では、8世紀前半より営まれ始め、12世紀まで続いた大きな集落が発見されました。本展では、この新たな調査成果や、周辺遺跡の出土品から、古代の美原地域の姿をたどります。」とある。そのイベントの一つとして「和同開珎鋳造体験」があった。

こういう機会はめったに無いので見学することにした。

上の写真左が和同開珎のレプリカを作るための合金。
右の写真のように鍋にこの金属を2個入れて電熱器で加熱する。

溶けた金属を入れるための型の準備をする。型にシッカロールのようなもので滑りを良くする。

写真のように溶けた金属を型に流し込む。
右の写真が冷ましたあと、型をはずしたところ。
6個の和同開珎のレプリカが出来上がっている。

 

金属が冷えるまでの15分くらいの時間を利用してクイズがあった。

私が面白かったのは、「和同開珎」という4文字が時計回りに書かれているのか、反時計回りなのか?というもの。

私は日本の漢字は右から左へ書かれていると思っていたので、「反時計回り」だと予想した。 しかし実際は写真のように時計回りに文字が書かれていた。

係の人の説明によると、今回作ったレプリカは、直径は実物どおりだが重さは約2倍になっているそうだ。言い換えれば実際の和同開珎はレプリカの半分ぐらいの厚みだそうだ。

ネットで調べてみると、「和同開珎は708年6月3日(和銅元年5月11日)から、日本で鋳造・発行されたと推定される銭貨である。」とウィキペディアにかかれていた。一口に和同開珎と言っても、厚手の「古和同」と薄手の「新和同」があったそうで、重さも時代によって違っているという。
また海外でもこの和同開珎が発見されているということから、かなりの量が生産されたとも予想される。まだまだ不確かなことが多く(例えば読み方は「わどうかいちん」か「わどうかいほう」か、はたまた時計回りに読むのではなく、上下左右に「和開同珎」と読む説まである。)論争は続いているそうだ。教科書では昔は「わどうかいほう」と読みが書かれていたが、現在では「わどうかいちん(ほう)」と両者の読みが書かれているそうだ。
西暦700年代に銅を精錬して貨幣をつくる技術が日本にあったということは、素晴らしいことだと思う。
それを実感させる和同開珎鋳造体験だった。