奈良市内散策 4

漢國(かんごう)神社と林(りん)神社

近鉄奈良駅方面にやってくる。 漢國神社をさがすためだ。

入り口の鳥居横にある石の社号標。
左側には「饅頭の祖神 林神社」、右側には「縣社 漢國神社」とある。

近鉄奈良駅が最寄りになる。
開化天皇陵が地図の左半分にある。その下側に「西照寺」。右側に「漢國神社」がある。地図にあるように「漢國神社一の鳥居」というのが上の写真。

一の鳥居をくぐって暫く歩くと漢國神社となる。朱塗りの鳥居が見える。

上の写真が本殿。下の写真は本殿横にある石舞台。ここでお神楽等がおこなわれるのだろう。

ところで漢國神社の由来はと調べてみると、ウィキペディアに次のように書かれていた。
「推古天皇元年(593年)2月3日、勅命により大神君白堤(オオミワノキミ シラツツミ)が園神を祀ったのに始まると伝える。その後、養老元年(717年)11月28日、藤原不比等が韓神二座を相殿として合祀したという。かつては春日率川坂岡神社あるいは園韓神社と称していたが、韓神の韓が漢に、園神の園が國となり、「漢國神社」という社名になったと伝える。・・・」

境内の中に「林神社(りんじんじゃ)」がある。 社殿の両側に狛犬の代わりにおもちの形をしたものがおかれている。実はここが日本の饅頭の中心となるところといわれているそうだ。奈良県立同和問題関係史料センターからいただいた資料を少し引用する。
「・・・ここには室町時代のはじめ(1350年頃)、中国から来日した林浄因が祀られている。
 林浄因は中国のマントウに工夫を加え、小豆から作った餡を包んだ奈良饅頭を考案したと言われている。林家が考案した甘い饅頭は、室町時代から江戸時代かけて流行した茶の湯(茶道)の隆盛とともにその需要も増え、種類も饅頭屋も増加していった。
 七代目にあたる林宗二は饅頭屋を営みながら和歌や連歌、儒教や神道を学び当代の代表的な文化人として活躍した。彼は「節用集」という当時の百科辞書の著者としても有名である。
 林宗二の功績を顕彰する節用集祭りが9月15日に行われ、印刷出版業界の関係者が参加している。中国からの渡来者である林家の人々が文化の進展に寄与していたことを忘れてはならない。
 林神社は昭和24(1949)に当寺の漢國神社の宮司が菓子業者の協力を得て建てたもので、比較的新しいものである。そして林浄因の命日が4月19日だったということで、全国の菓子製造業者に呼びかけてはじまったのが、饅頭祭である。
 林浄因の故郷である中国杭州には、林浄因の子孫と言われる塩瀬総本家により碑が建てられ、毎年饅頭祭がおこなわれているようである。」

写真は饅頭塚である。漢國神社のホームページには饅頭祭のことも詳しく紹介されている。

https://kangou-jinja.jp/

掲示板に饅頭祭の案内が貼ってあった。
  林神社(漢國神社内)例大祭
  饅頭祭
  4月19日(水)午前11時より斎行
   「奈良の銘菓即売店」開催
      *復刻「奈良饅頭」当日限定販売!

日本の饅頭の由来がここにあり、饅頭祭が開かれていることは知らなかった。
この漢國神社の歴史は古く、奈良でも一番古い神社の部類にもはいっているそうだ。
近鉄奈良駅から徒歩でいけるところだがあまり知られていないのかもしれない。