鶉野飛行場跡と紫電改7

畑の中に戦闘機の姿が。近寄ってみよう。

ここは飛行機を敵の目から隠す無蓋掩体壕(むがいえんたいごう)。今の言葉でいうとシェルター、覆いのないシェルターというところか。
鶉野飛行場では紫電などの戦闘機がこの無蓋掩体壕によって、攻撃の目から隠されていたそうだ。
写真の飛行機はアメリカ海軍機のSNJ と呼ばれていたもの。海上自衛隊が引き継ぎ、航空自衛隊ではT-6 ともよばれた練習機。鹿児島県鹿屋航空基地史料館から貸与されているそうだ。

無蓋掩体壕のそばに、96式25ミリ対空機銃が置かれていた。
説明によると、有効射高は3000m前後、
最大発射速度230発/分、実用発射速度130発/分。
5名の要員によって操縦されていたそうだ。
写真の機銃は実物ではなく、映画「男たちの大和」の撮影に使われた実物大の模型。
東映太秦撮影所に保管されているものを借用しているそうだ。
鶉野飛行場跡にあった機銃座にも、このような対空機銃が設置されていたのだろう。弾倉は15発入りの箱型弾倉。上の写真の黒いカートリッジみたいに見えるもの。
25ミリ弾がなくなったらカートリッジ毎取り替えるそうだ。1分間に130発打つためにはこの弾倉が9箱はいる。弾がなくなったらこの弾倉を外して新しい弾倉を差し込む。休む間もない作業だ。素晴らしい性能の武器でも最後は人の手にたよる。兵士も使い捨てのように思える。

この地図は加西市のホームページからの引用。 戦時中の基地周辺の地図だ。
地図の下の方に法華口駅があることがわかる。
加西市のホームページには、この鶉野飛行場跡について次のように説明している。

「鶉野飛行場跡(姫路海軍航空隊鶉野飛行場、川西航空機姫路製作所鶉野工場跡)は、第二次世界大戦の戦局が悪化しはじめた頃、優秀なパイロットを養成するため、昭和17年に着工し、昭和18年に完成した旧日本海軍の飛行場跡です。

飛行場の建設に伴い、昭和18年10月には姫路海軍航空隊が開設され、航空整備、兵科、運用、主計、航海、機関、通信、工作、兵器、砲術、医務等が編成されました。また、飛行場の西南には、川西航空機姫路製作所鶉野工場があり、「紫電」「紫電改」など 500機余りの戦闘機が組み立てられました。

当時の姫路海軍航空隊では、全国から集められた17歳から25歳までの若者ら500余名が30時間の飛行訓練を受け、全国各地の航空隊へと配属されていきました。昭和20年には、教官と練習生による神風特別攻撃隊「白鷺隊」が編成され、終戦までに63名の尊い命が失われました。
今は、飛行場跡は加西市が管理しており、一部は神戸大学大学院農学研究科の敷地として利用されています。」

戦後基地後の処理には多くの人たちが協力し、緊急開拓事業がおこなわれ農地に戻していったが、非常に困難だったそうだ。
この周辺には井戸も少なく、遠くから水を運んでいたとボランティアガイドさんが言っていた。私達が見た来たところには、広い工場用地に使えそうな土地が、空き地として広がっていた。トマトの人工栽培の巨大なビニールハウスが連続して建ち並んでいたのが目についた。