鶉野飛行場跡と紫電改6

公民館で少し遅めの昼食の弁当を食べる。
さあ、鶉野飛行場跡だ。 とにかく広くて長い。 長さ1200m、幅60mの滑走路が当時のまま残っている。(地下鉄の梅田駅から淀屋橋駅までが約1300mといわれている。歩くとかなり長いね)

上の写真は戦争中造られた滑走路のコンクリートの上を歩いているところ。
左の加西市教育委員会が作った資料「加西・鶉野飛行場跡(旧姫路海軍航空基地)」の表紙に滑走路跡の写真が使われている。
この写真の滑走路の両側が少し灰色になっている部分が当時のコンクリートらしい。
真ん中の新しく見える部分は、払い下げられた時に航空ショーをししたが、小型飛行機が発着できるようにと強化補修したコンクリートの部分と説明があった。
しかし1200mのコンクリートは70数年の歴史を感じさせる。私は御堂筋のように完璧に舗装されたものを想像していたが、そうではなかった。
加西市はこの鶉野飛行場跡についての資料をたくさん作って公開している。
子ども用のものもあった。

この鶉野飛行場跡はかつては防衛省が管理していたが、2016年6月に加西市に払い下げられた。
加西市は戦争遺跡を保存し、平和学習のために活用しようとしているようだ。

これは「平和学習プログラム」と題した資料の一部。
体験学習例も紹介し、積極的に戦争体験をアピールし、平和の大切さを感じ取らせようとしているようだ。

これは滑走路跡の横の広場い置かれていたローラー。 滑走路の作成や整備用に使われたらしい。本物である。
こうした本物、実物が手に取れるように、さわれるように、そして自分の足で感じることができる戦争遺跡が保存されていることはたいへん教育的だと思う。
そしてガイドボランティアさんの努力がそれを可能にしているのだろう。

大きなローラーのそばに「広島被爆アオギリ三世」と書かれた標柱のある木が植えられていた。
「鶉野平和祈念の碑苑保存会・加西市」と書かれていた。
この「鶉野平和祈念の碑苑」は、このローラーのある付近に建てらていたのだが、現在は「紫電改」の置かれている備蓄倉庫のそばに移転している。
私達が「紫電改」の見学に備蓄倉庫に行った時に、その記念碑をみることができた。
ここから飛び立った特攻機の乗員たちは、広島や長崎に原爆が投下されて数十万人の市民が犠牲になることは予想もしてなかっただろう。特攻機と原爆、そして平和、考えさせることが多い鶉野飛行場跡だ。

紫電改を見る前にもう一つの戦争遺跡、機銃座を見に行くことのなる。
この滑走路は写真のように自由に入れないようになっている。ロープが張られているところもあった。私達が滑走路跡に到着したとき、加西市の車がやってきて「中を歩いて通ってもかまいません」とガイドボランティアさんに声をかけていた。
加西市の管理下にあるのだなあと実感した。