鶉野飛行場跡と紫電改1

紫電改があるという鶉野(うずらの)飛行場跡の見学があった。
上の写真が鶉野飛行場跡の全景。かさい観光ナビのホームページからの引用。

https://kanko-kasai.com/uzurano_airfield/

以前に知覧特攻平和会館などでゼロ戦を見たり、ジブリの映画でゼロ戦の歴史を見たりしたときから、紫電改に興味があった。その紫電改のレプリカがあるという。
鶉野飛行場、初めて聞く名前だった。ツアーの案内を知って応募した。

鶉野飛行場とは

このホームページに、次のように紹介されている。

「姫路海軍航空隊鶉野飛行場は、第二次世界大戦が悪化しはじめた頃、優秀なパイロットを養成するため、昭和18年に完成した旧日本海軍の飛行場跡です。
 飛行場の建設に伴い、昭和18年10月には姫路海軍航空隊が開設され、同時に航空整備、兵科、運用、主計、航海、機関、通信、工作、兵器、砲術、医務等の兵隊が在隊していました。 また、飛行場跡の南西には、川西航空機姫路製作所鶉野工場があり、「紫電」「紫電改」など500機余りの戦闘機が組み立てられました。
 当時、航空隊には、10代を中心に若者が全国から約500名集められ、ここで30時間の飛行訓練を受けた後、各航空隊へと散っていきました。
 昭和20年には、練習生による神風特攻隊「白鷺隊」が編成され、終戦までに63名の尊い命が失われました。現在も、飛行場跡の周辺には防空壕の跡など生々しい戦争の爪痕が見られる貴重な施設です。」

沢山の戦争の遺跡が残っている場所、たしかにそうだった。
場所は兵庫県加西市鶉野町、北条鉄道法華口駅から徒歩約3km。

私達も北条鉄道(かつては国鉄だった)の法華口駅から歩いた。

法華口駅の全景。まるで寅さんの映画の一コマのような駅だ。
国登録有形文化財に指定されている。

法華口駅の駅名が書かれた表示に戦争の傷跡が残っている。

  法華口駅の次の駅名「たはら」が書かれている。 この表示版は戦前のものを塗り直して、その上から新しい駅名「たはら」が書かれているそうだ。 「たはら」駅付近の古い駅名は「網引(あびき)」。「たはら TAHARA」という白い文字の下に、「あびき」という文字が右から左に書かれているのがうっすらと読み取れる。
 昭和20年3月31日に試験運転をしていた紫電改が故障し、網引駅近くに不時着しようとし墜落した。 そのとき後輪を線路に引っ掛けたといわれている。線路は曲がり満員の乗客を載せた列車がそのため脱線をしたそうだ。12人の死者、62人の重軽傷者。軍は原因究明をせず、新聞にもパイロットの死亡のみが記事となり、村民などの犠牲には触れられなかったと言う。軍事機密という名のもとに隠されてしまったそうだ。戦争、軍事機密というのはどんな人にも犠牲を強いたのだ。
このうっすらと読める「あびき」という文字が、日本の戦争の歴史を紐解く入口になっている。

法華口駅前の広場でボランティアガイドさんの説明を聞く。
そのとき、この駅の駅長さんがやってきた。
「今日は本当にいいお天気でよかったですね」 と話された駅長さんもボランティア駅長だと言う。 太平洋戦争末期、姫路や神戸を空襲したB29の編隊がこの地の上空をとおり、恐怖をおぼえるすごい爆音に驚いたという話を聞かせてもらった。
 青空を見上げ、今も残されている戦跡をたずねるために、私達は歩きだした。