黒姫山古墳

以前にこのブログでも紹介した黒姫山古墳。
最近、桜珈琲に行ったとき、左のようなパンフレットが置かれていた。
天満橋での「よみうり天満橋文化センター・古墳講座」でも「黒姫山古墳」のことが取り上げられたので、もう一度行ってみることにした。
以前に黒姫山古墳に行ったのは、近くに大きな古墳があるから見ておこう、といった感じで訪れたのだが、古墳講座でこの黒姫山古墳で発見された甲冑の量は日本一ということを教えてもらったからだ。日本一の量を誇る甲冑の現物が近くの「堺市立みはら歴史博物館」にあるということも、桜珈琲のパンフレットでわかったので両方を訪れることにした。

古墳の周辺においてある「史跡黒姫山古墳概要」という表示を見ると、
「東西114m、高さ11m強の墳丘を持つ西面の前方後円墳で、墳丘の周りを濠と周庭帯(古墳を立派に見せるための区画)が取り巻いています。古墳が造られた時は、墳丘の斜面には人間の頭大の川原石が敷き詰められており、二段になった平坦面には褐色の埴輪が一定の間隔で立て並べられていました。
遠くからは白い石の山に立て並べられた埴輪の赤い色がコントラストを描いて見えたでしょう。・・・」

古墳の周囲を回ってみると、
写真のように埴輪が二段に並んでいるところが見える。
これは当時の様子が再現されていると思うが、木と草に隠れるように赤い埴輪が並んでいるのを見ると、妙にリアル感があった。

別の表示版には
「・・・・報告書によると、後円部頂の埋葬施設はすでに盗掘されており、形象埴輪(家・盾・靫(ゆきー矢をおさめる細長い筒)・短甲・衣蓋(きぬがさ)・動物など」の確認と須恵器片などの出土にとどまりました。前方部の調査では、竪穴式石室がみつかり、中から24領の短甲と冑(かぶと)のセットと鉄製の刀・剣・矛・鏃(ぞくー矢の先につけた刺さる部分)などが出土しました。この石室は遺体の埋葬はなく、副葬品を埋納した施設と考えられています。・・・」

上の写真がその石室部分。

石室入り口の両側に埴輪のレプリカが並べらていた。 右の写真はこれらの埋納物が展示されている堺市立みはら歴史博物館。

古墳の制作風景がジオラマで紹介されていた。やはりこの古墳も人力のみで造られたようで、牛や馬の姿はなかった。

短甲はすっかり錆びており、鉄はすべてが引っ付いているように見えた。鉄の板をつなぐのは初期は革紐であったが、時代が進むと鉄製の鋲で留めるようになったそうだ。鉄の製法の進歩がわかるそうだ。この当時は日本には製鉄の技術はまだなく、鉄は朝鮮半島から輸入していたという。朝鮮半島から馬も鉄も運ばれて来た歴史がある。

上の写真は出土した埴輪。レプリカではなく本物です、と受付の人が誇らしげに言う。
私が写真を撮っていたら、幼稚園の子どもたちが見学にやってきた。
「わー、これなに? なに?」と楽しそうな声。
小さくてわからないと思うけれど、本物に触れる機会があるのはいいことだ。

黒姫山古墳は古墳時代の中期、5世紀中頃、この付近の豪族であった丹比(たじひ)氏によって築かれたものといわれている。大仙古墳(仁徳天皇陵)と同時代のものらしい。古墳の周辺はきれいに整備されており、すぐそばに堺市立みはら歴史博物館があり出土した本物に触れることができる。
古墳時代の甲冑について興味が湧いてきたので、機会があればもう一度見学に行こうと思っている。