都七福神めぐり7

東寺にある毘沙門堂を目指す。

 

毘沙門堂は扉を閉じているため、毘沙門天の姿を見ることはできなかった。

家に帰ってから調べてみると、毘沙門天は通常は宝物殿にあり、年に何回か公開されるそうだ。

東寺のホームページには、次のような説明があった。

「鎖を編んだ鎧を着た兜跋毘沙門天。目を見開いた勇ましい形相は、武装した中央アジアの人物のようです。もともとは、平安京の入口である羅城門の楼上に祀られていたという兜跋毘沙門天。平安末期に人々の手で東寺に運ばれてきました。

兜跋毘沙門天の足元を支えるのは、地天女と二鬼。対面して右が尼藍婆にらんば、左が毘藍婆びらんばです。王城鎮護の役目を果たしていた兜跋毘沙門天ですが、いまは財宝と福徳の神様として信仰を集めています。」

高さ189センチというからかなり大きい仏像だ。

観光パンフレットには、
「北方の守護神。仏教を守護する神であり、毘沙門天を信仰すると十種の福を得るとされています。
菅原道真や小野道風も信仰したと言われています。」
「毘沙門天は弘法大師が入唐の際感得されたもので、無量の知恵で学業成就や安産の信仰をあつめています。」(写真も東寺のホームページより)

そうそう上杉謙信が毘沙門天を深く信じていたという話は有名だ。
勇壮な毘沙門天像を見ることができなくて残念だった。

講堂の立体曼荼羅を見ることにした。上の写真は入り口でもらったパンフレットよりの引用。
以前にも来たことがあるが、立体曼荼羅の向かって左端にある「帝釈天」を見たかったからだ。
「やっぱり男前だなあ」といっていると、
「知っている人はそういいますね。2番めに有名ですから」と言う声。
振り返ると館内の案内係の人のようだった。
「2番め?、では1番目は?」とおもわず尋ねた。
「阿修羅像です」
あーっ、興福寺の阿修羅像か、、、思わず声が出た。

帝釈天は仏教を守る四天王の一人。
そして阿修羅はもともとはインドで仏教に反対する側の神だった。
阿修羅と帝釈天は天上では大軍を率いて戦っていたかもしれない。
その阿修羅が仏教に帰依して、仏を守る神となった。
その二人の像が今は素晴らしい仏像として人気のトップを争っている。帝釈天も阿修羅もそんな時代が来るとは思っていなかっただろう。

ここまできたなら五重塔の見学もしておこう。
東寺のホームページには、弘法大師が五重塔建設で苦労した話が載っている。

「弘法大師空海は講堂の次に五重塔の大工事に着手しました。しかし、費用も人手も足りませんでした。そこで天長3年、826年11月24日、「東寺の塔を造り奉るたてまつ材木をき運ぶ勧進かんじんの表」を朝廷に提出します。

ここで弘法大師空海は、「桓武天皇が造営をはじめて30年が経過しているのにいまだ建築の事業が完成していません。東奔西走して探したところ東寺よりほど近い東山に塔の材木を見つけました。19日より僧と人夫で曳きはじめましたが、木材は大きく、曳く人々の力は弱く思うように運べません」と現状を説明し、材木運搬の協力を願い出ています。

五重塔は、落雷などによって4度焼失しましたが、そのたびに、弘法大師空海と同じように、多くの僧が奔走。五重塔再建という大事業を成し遂げてきました。いまの五重塔は、寛永21年、1644年に再建した、5代目にあたります。」

5回にわたって再建されていることにおどろく。
五重塔の入口付近にいるガイドさんが、耐震構造に匹敵する工法について説明していただいた。東寺の宮大工の技術力には驚くばかり。

七福神めぐりも東寺で六人の神様にお参りすることができた。
残すは萬福寺の布袋尊。バスは進む。