スパイスカレー(ミンチ)

本屋さんでスパイスカレーの本を買った。
それが写真にある「私でもスパイスカレー作れました!」

著者が印度カレー子さんで、漫画家がこいしゆうかさん、という面白そうなので買ってみたが、私自身がスパイスカレーということがよくわからなかったので、作りながら勉強することにした。

今回は作り方は本を見ながら、材料は家にあったミンチ肉をメインにすることにした。
材料は玉ねぎ、トマト、ミンチ肉、しょうが、にんにく
使うスパイスは、コリアンダー、クミン、ターメリックの三種類。

本のレシピは二人用なので、四人分のために多めに玉ねぎを用意した。

フライパンを熱し、サラダ油をひき、にんにく・ショウガをいれて香りを立てる。
強火でたまねぎをいためる。


レシピでは10分と書いているが、玉ねぎの量や火力によって様子を見なければならない。
ここのポイントはしっかりと炒めること。飴色ではなく、もっと焦げ茶色になるまでいためる。私は15分以上炒めた。多かったたまねぎも写真のように量が減ってくる。

トマトをざく切りにしていれる。私は紙パック入りのカットトマトを使った。このほうが簡単にできると思ったからだ。
カットされたトマトを木べらで潰しながら2分程度炒める。
ここでも量が多いので私はその倍くらい炒めた。

スパイスのクミン、コリアンダー、ターメリックを小さじ1ぱい入れるというのがレシピだが、4人分なので小さじ2はいにした。 塩を小さじ1いれる。これはレシビ通りにした。

ミンチを入れ、水100ミリリットルをいれて混ぜ、中火で沸騰させる。

沸騰したら弱火にしてフタをして約10分ほど煮込む。

この本によると、「インド由来のスパイスカレーは、少ない種類の具材をスパイスで炒める『炒め料理』」
「日本のカレーは欧風カレーという分類で、インドではなくイギリスからきたもの。小麦粉でとろみをつけ、いろいろな野菜や肉などのダシを使って長時間煮込む『煮込み料理』」と書いてある。
なるほど、わたしがこれまで作ってきたのは欧風カレーだったのだということで納得。

ライスはターメリックをいれたので、黄色く輝いている。 ポテトサラダとビール、インド料理を味わった、という感じで完食。

スパイスカレーを作ってみて、本屋さんやテレビで最近スパイスカレーが評判になっていることを知った。
これから挑戦してみよう。

 

 

 

ハンターズ・ムーン 10月の満月

 10月20日水曜日。満月が昇ってきた。 山の上に雲があるため、地平線から昇ってくる月は撮影できない。
この写真は17時38分ぐらいのもの。
「こよみハンドブック」のデーターでは、月の出は17時19分となっているが、現在地との経度の差、山と雲を超えての月の出だから時間の誤差はある。

10月の満月は、ネイティブアメリカンの言い方だと「ハンターズ・ムーン」と言うそうだ。
狩の季節ということかも知れない。

満月の模様も風景と一緒にとりたいのだが、満月の明るさは並大抵のものではない。
普通にシャッターをきると、月は真っ白になる。
露出をしぼると、街の風景が真っ黒になってしまう。
満月の写真はむずかしい。

2021年10月20日の月齢は
13.7 となっている。
あれ? 満月だから15lじゃないの?と思ってしまうが、そうではない。
前回のブログに平安時代の人たちの月と時間について調べたことを書いたが、それは現代のような精密な時計と観測の時代の感覚とはちがうということ、生活の時間感覚ではなく、物理法則と精密機械のある現在との差を考えておこうということだ。

国立天文台のホームページにこんな記述がある。

「月齢も月の満ち欠けに関連している.定義から月齢0.0が朔の瞬間であることは明らかであるし,平均約29.5日という満ち欠けの周期((朔望月) から,その半分の月齢14.8くらいが望(満月) の瞬間となることも見当がつくだろう.

ただし,月齢が14.8 なら必ず望(満月)になるとは限らない。これは月が地球の周りを楕円運動していることが原因である。・・・・中略・・・・定量的にどれくらい変化するのかを示したのが図3(図は略)で,
ここから望(満月)における月齢は13.9~15.6日と±1日弱もの変動があることがわかるだろう.十五夜が必ずしも満月にならない本質的な原因はここにある。。

詳しい説明は、国立天文台のホームページ(トピックス・月齢について)を参照されたい。

18時43分の月。露出をかなり絞っている。

23時51分の月。ほぼ天頂付近にある。データーでは満月になる直前の月だ。

次の日の朝。
5時1分の空。
この日は雲が多く、満足な月の表面の写真が取れなかった。

この道路はほぼ東西に伸びた道路。
西の空に沈んでいく様子が想像できる。

雲の合間をくぐって月の模様がわかる写真が取れた。
月の模様が時間を追って変化する・ウサギの耳が動いていくことがわかる。

満月の時にいつも話題になるのは、南半球の人はどんな月の模様を見ているのだろうということ。今回はNASAの映像があることが判った。

上の写真は北半球での満月間近な写真。

この写真は「南半球の満月間近な」写真。 月の模様の違いがわかるだろう。

うえの満月は私達がよく見る満月。ウサギの耳が右側上にみえている。
下の写真のウサギは、左側下に耳が見えている。私達が見ない月の模様だ。

ネット検索で、
Moon Phases 2021 – Northern Hemisphere 
Moon Phases 2021 – Southern Hemisphere

を検索すればこの画面に到達できるはず。
上の写真は動画を写真にしたもの。実際にYouTubeでみれば月の満ち欠けの様子もよくわかる。北半球と南半球での満ち欠けの違いもよくわかる。

11月19日は皆既月食に近い状態での月食が観測できるそうだ。
お天気が良いことを祈ろう。

 

 

月の満ち欠けと時間

最近読んだ本で面白かった本。 どちらも「月の満ち欠けと時間」についての説明があった。

「入門平安文学の読み方」保科恵(ほしな めぐみ)著 新典社選書

「重箱の隅から読む名場面」馬上駿兵(まがみ しゅんへい)著 新典社新書

著者は同一人物。馬上さんはペンネームらしい。

私達は太陽暦を使っているので、月の満ち欠けと時間について余り考えない。
しかし、平安時代の人たちは月の満ち欠けでおおよその時間がわかっていたらしい。
らしい、と思っていたぐらいで詳しく考えたことがなかった。
あらためて考えるきっかけとなったのが「入門平安時代の読み方」だった。
少し引用してみよう。

「『竹取物語』に、こういう場面があります。

 かかるほどに、宵うち過ぎて、子の刻ばかりに、家のあたり、昼の明かさにも過ぎて、光りたり。望月の明かさを十合わせたるばかりにて、在る人の毛の穴さへ見ゆるほどなり。

この場面は、8月15日に月の都の人々がかぐや姫を迎えに来るところです。「子の刻」というのは0時ですから、ちょうど月が南天した時分です。つまり、日付と時刻から、月の都の人々が天高く昇った満月からやってきたことが判ります。作品の本文には直接そういうふうには書かれていませんけれども、月に親しんでいた当時の読者であれば、そのことが当然のように判ったのです。誰もが同じように読めたわけですから、月の状態が言葉として明記されていなくても、そう書かれていると言って良いのです。現代のわれわれが読む場合でも、そのことを明確にしなければなりません。」

 なるほど、文に書かれていなくても、月の描写によって日と時間がわかる、そのことが平安時代の人々にはあたり前のことだったのだ。

月の満ち欠けがカレンダーになっていたから、基本的には日付と月齢は一致する。
満月は15日、新月は1日、月の初めは新月から始まるというのが基本。
そして月齢が同じなら、同じ時刻に月は昇り、同じ時刻に沈む。もちろん厳密には季節によって多少の違いがあるが、何時間も違うということにはならない。
それを表にしたのが上の図。

たとえば満月はだいたい夕方6時頃に昇ってくる。月の出だ。
そして翌日の朝6時頃に沈む、月の入りだ。
「竹取物語」のように、夜中の12時頃に南中する。天の真上に月が見える、ということだ。
今月は10月20日が満月。
大阪市立科学館の「こよみハンドブック」によると、
月の出は17時19分。月の入りは翌日の5時24分。
3,40分程度の違いはあるが、おおよそ18時頃に月がのぼり、朝の6時頃に月は沈むと覚えておけば、おおまかな情景が想像できる。

この本では、更級日記や源氏物語の例を上げて説明もあるし、芥川龍之介や谷崎潤一郎の作品にも、月とその時の時刻が正確に反映されいるものがあると紹介されている。

「重箱の隅から読む名場面」には、1980年代に書かれ向田邦子作「思い出トランプ」が、月の形と時間についての例として紹介されている。

その場面を引用しよう。

「英子が別れた夫の秀一と一緒に昼の月をみたのは、結婚指輪を誂えに出掛けた帰りである。
数寄屋橋のそばにあるデパートを出たところで秀一は煙草を買い、英子は、
『あ、月が出ている』
と空を見上げた。

ーその時に見えた月の様子は、こんなふうに描かれています。ー
ビルの上にうす青い空があり、白い透き通った半月形の月が浮かんでいた。
『あの月、大根みたいじゃない? 切り損なった薄切りの大根」

ーこの「昼の月」を見たあとで、英子は『切り損なった大根』の思い出話をします。・・・・ー

 秀一にこの話をしたのは、有楽町の喫茶店である。 」

「重箱の隅から読む名場面」の著者は「ここまでのところから、いったいどんなことがわかるでしょうか?」と問いかける。

青空に見える半月形の月、これがヒントだということはわかる。

新宿のビルの間からみえる青空、そこに見える半月形の月。
著者は7月ごろにみえる上弦の月だと考える。
ふたりで少し早めの昼食をし(二人揃ってではないかも知れないが)、デパートで結婚指輪を誂え、喫茶店に入ったのだろうと推理する。
そうすると7月の上弦の月、午後2時から3時ごろだったのではないか、
と上の図を見て考えられるということだ。
くわしい説明はこの本を手にとって読んでほしい。

月に親しんでいた太陰暦の暦を知っていたら、ここまで推理できるという例。そしてこの小説の作者・向田邦子さんもそのことを知っていて、この作品を書いたのだろうと想像できる。

「重箱の隅から読む名場面」の本の「おわりに」に、一番最後に宮沢賢治の「月夜のけだもの」が紹介されている。
「十日の月が煉瓦塀にかくれるまで、もう一時間しかありませんでした。
獅子は葉巻をくわえマッチをすって黒い山へ沈む十日の月をじっと眺めました。
そこでみんなは目がさめました。十日の月は本当に今山にはいる所です。」
これを読むと、どんな風景が浮かんでくるだろうか。
「黒い山へ沈む十日の月」「十日の月は本当に今山に入る所です。」月が山にしずむのなら、そろそろ夜明けか・・・・なんとなくそんな気がする。
しかし十日の月が沈むのは、上の図を見るとだいたい午前2時ごろなのだ。
そうか真夜中の話なのだ、とわかったら、この「月夜のけだもの」を読む時の印象がかわってくるだろう、と作者は書いている。

太陰暦(正確には太陽太陰暦)の知識を持っていれば、そして科学館の「こよみハンドブック」をもっていれば、平安時代の文学から現代の文学まで、幅広くそしてより深く読み取ることができるのだ。なるほど、そんな意識で小説を読んでみよう、と今は思う。