奥の細道を英語で12(最上川1)

After visiting the mountain temple,I wanted to ride a boat down the Mogami River.
This river often appeared in old Japanese poems.
We decided to wait for a good day to go down the river.
While we waited, local people came to talk to me.
They wanted me to give a lesson on haiku.
They said they had practiced haiku, but they knew their style was old-fashioned.
They wanted to learn the latest trends from me.
I started making many haiku with them.
I didn’t think something like this would happen, but it made me happy.

最上川のらんと、大石田と云所に日和(ひより)を待。
爰(ここ)に古き俳諧の種こぼれて、忘れぬ花のむかしをしたひ、 芦角一声(ろかくいっせい)の心をやはらげ*、此道にさぐりあしゝて、新古(しんこ)ふた道にふみまよふといへども、みちしるべする人しなければと、わりなき一巻(ひとまき)残しぬ。
このたびの風流、 爰(ここ)に至れり*

*最上川のらんと; 最上川の舟下りをしようと、
*古き俳諧の種こぼれて、忘れぬ花のむかしをしたひ; この地には古く俳諧の「種」がこぼれ、俳諧の「花」が咲いていたというのであろう。しかし、寛永・延宝・天和・元禄と、俳諧は激しい変化の渦中にあった。遥かなこの地では、その変化を知ることはできなかったという。
*芦角一声の心をやはらげ;芦角とは辺鄙な田舎という程度の意味。鄙びた俳諧だが、人々を慰めることができる、という意味。
*此道にさぐりあしゝて、新古(しんこ)ふた道にふみまよふといへども、; 情報の乏しい鄙にいると、俳諧道に入ってみても、今起きている伝統俳諧への批判を理解できないまま、古今の俳諧の道に迷ってしまう、の意味。
*わりなき一巻; 仕方なく、俳諧の指導書を書いて与えた。

本治さんの訳を引用する。

「最上川を舟で下ろうと考え、大石田という場所で天気が好転するのを待つことにした。
この地には古い俳諧につながるものが生きていて、本来のおもしろさを求める気持ちを、人々がまだ持ち続けてくれている。ほんの片田舎なのに、風雅の道で心をなぐさめもし、足先で行くべき方向を探るようにして、いま流行の俳諧に身を寄せるか、古来の道を守ろうかとまよっている。だが、こちらが正しいのだと教えてやる指導者がいない。そこで、やむをえず、歌仙一巻を巻き、それを残していくことにした。こんどの風流を求める旅は、はからずもこんな結果を生み出すことになった。」

*ここで出ている歌仙とは、もともと連歌の一つの形式だったそうだ。長句(五・七・五)と短句(七・七)を交互に連ねて全部で36句。これで一巻とするそうだ。
この形式を自由自在に使いこなし、元禄時代に俳諧という文芸の頂点を築いたのが芭蕉とその門弟だった(長谷川櫂「『奥の細道』をよむ」より)。
俳諧の流行があり、その最先端の芭蕉に教えを請う、というのが大石田での出来事だった。

芭蕉はこのように各地を回りながら、俳諧の最先端を広めていったとも言える。