奥の細道を英語で11(立石寺)

Sora and I were in Yamagata. The local people suggested we visit a temple called Ryushaku-ji.
It was built in the mountains in the Heian period.
We decided to go there.
The mountains were rocky and had many big old trees. Stones were covered with green moss.
Many of the temple buildings were closed and no one was around.
It was so quiet.
From cliff to cliff, I carefully walked up the rocky paths.
I prayed at each of the buildings, one by one.
When we went higher up, the view of the mountains and valleys was amazingly beautiful.
My mind became clear and refreshed.
I did say it was quiet, but actually there were many cicadas singing under the summer sky.
It was their time to live.
But there was a strong sense of silence at this moss-covered mountain temple.
The silence was more powerful than the cries of the cicadas.
It almost felt like the quiet air took in the cicadas’ songs.
I wrote a hiku.

        Into rocks they go
           Cicada cries of summer
                Silence all around

 *The local people suggested we visit a temple called Ryushaku-ji. ; 土地の人達は私達が立石寺というお寺を訪れるべきだと提案した。
 *moss; こけ
 *amazingly; 驚くほど
 *cicada; セミ
 *It alomost felt like the quiet air took in the cicadas songs.; まるで静寂な雰囲気が蝉の声を吸収してしまったかのように感じられた。(=It alomost felt as if….)

山形領に立石寺(りゅうしゃくじ)と云山寺(いうやまでら)あり。
慈覚大師(じかくだいし)の開基(かいき)にして、殊(ことに)清閑(せいかん)の地也。
一見すべきよし、人々のすすむるに依て、尾花沢よりとって返し、其間(そのかん)七里ばかり也。
日いまだ暮ず。
麓の坊に宿かり置て、山上の堂にのぼる。
岩に厳(いわお)を重て山とし、松柏年休(しょうはくとしより)、土石老(どせきおい)て苔滑(こけなめらか)に、岩上(がんじょう)の院々扉を閉(とじ)て、物の音きこえず、岸をめぐり、岩を這(はい)て、仏閣を拝し、佳景寂寞(かけいじゃくまく)として心すみ行(ゆく)のみおぼゆ。

           閑さや
                岩にしみ入る蝉の声

*松柏年休;松やひのき、槇柏などの年老いた樹木のこと。

橋本治さんの訳を見てみる。

「山形領に立石寺という山寺がある。慈覚大師が開かれた寺で、とりわけ清々しい場所だからぜひ見に行くように人々がすすめてくれた。そこで、尾花沢から七里ほどもどった。
日暮れにはまだ時間があったので、麓の宿坊に泊まる手はずをしておいて、山の上の僧堂まで登った。山は大きな岩を積み重ねたような形で、松、杉、柏など常緑の老木が生い茂り、地面にも石にもびっしりと苔がつき、岩の上に建てられたどの寺も扉を閉めていて、物音一つきこえなかった。
崖から崖へ、岩から岩へと巡り歩きながら、次々に寺を拝観して回った。景色はこのうえなく美しく、あたり一帯が静まりかえっていて、心が澄みきっていくのを感じたものである。

         静かさや岩にしみ入る蝉の声        」

長谷川櫂「『奥の細道』をよむ」からこの句のことを引用。
『閑さや」の句は古池の句と似た構造をしている。「岩にしみ入蝉の声」は現実の音、一方、「閑さや」は心の世界という次元の異なるものの取り合わせ。「岩にしみ入蝉の声」という現実の音をきっかけにして芭蕉の心のなかに静寂な世界が開けた。それが「閑さや」という言葉になった。この句は典型的な古池型の句なのだ。

この句については様々な議論がある。アブラゼミなのかニイニイゼミなのか、単数なのか複数なのかなどなど。でもこういった議論が巻き起こるのはこの句が魅力的だからかもしれない。
次回は最上川。