英語で楽しむ「あしながおじさん」の講座も最後の3回目。 ホワイトボードは松本先生の板書でうずめられている。 今回は「あしながおじさん」の最後の部分。 ジュデイがプロポーズを断ったところと、あしながおじさんに会うところ。
現在完了 三つの用法
松本先生が講座のたびに強調されるのが、現在完了形の用法。たしかに中学校だったか、高校で習っているが、日本の文法ではない語法なので、なかなか理解できないのがこの「現在完了形」。
I’ve refused to marry him. 私は彼と結婚することをすでに断った。
And now he has gone away. そして今、彼はすでに去ってしまった。
I’ve been in New York three times. ニューヨークに三度行ったことがある。
この in が大切。ついto にしがちだが、ジュディは何日か滞在しているのでここは in 。
I’ve always had a very special feeling toward you. 私はあたなに対して、特別な感情をずっと持っている。
my letters have been very full of Master Jervie for a very long time.
私の手紙は、かなり長い間、ジャーヴィ坊ちゃまのことで一杯だった。
I needn’t have been a bit afraid. 私はずっと怖がっている必要はなかった。
It ... for 人 to do 人が〜することは…だ。
このIt構文はよく学校の英語の授業で説明された記憶がある。 英語を使う人達はホントにこんな言い方をしているのかなあ、とずっと思っていた。
It didn’t seem right for a person of my lack of antecedents to marry into any such family as his.
祖先のない私のような人間が彼の一家のような家系に嫁ぐことは(ここまでが主語)、正しくないように思われる。 his=his family
Doesn’t it seem queer for me to belong to some one at last?
ついに私が誰かに属することは、奇妙に感じられませんか?
would that be a dreadful thing for me to do? 私がそれをすること(求婚を断った理由を告白すること)は、恐ろしいことでしょうか?
What seems to you the right thing for me to do?
私が何をすることが、正しいことだと思われますか?
for me とあると、つい「わたしのために」と訳してしまうが、主語として考えることが大事なのとよくわかった。それから、
なるほど、100年前の小説だから、身分の差や名門の家に嫁ぐというイメージが現在よりも強かったことが連想される。
過去完了 had + 過去完了 「大過去」=過去よりも古い過去
大過去ですか。習ったなあ、大過去、久しぶりに出会った言葉、大過去だ。
過去形 過去完了
おじさんがあなたに(ジャーヴィのこと)来させたと私は思った。
この場面の全文は、
And then – and then – I saw it was you! But even with that I didn’t understand.
I thought Daddy had had you come there to meet me for a surprise.
そのとき−そのとき−わかったんです。あなただと! でも、それでもまだ、わたしは理解できていませんでした。あしながおじさんが、わたしをおどろかそうと考えて、あなた(ジャーヴィのこと)を呼んだと思ったのです。(土屋京子訳 光文社)
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部屋にいるジャーヴィを見て、あしながおじさんがジュディを驚かしてやろうと、ジャーヴィにここに来るように頼んだんだろう、とジュデイは思ったと書かれている。
「思った」よりも、さらに前に「来るように頼んだ」のだから、過去よりも更に過去のことになるので過去完了(大過去)になっているというわけだ。
物語を読んでいくと、英語の文法も頭にはいってくる(気がする)。
左の本は、3回目の講座に行く前に発見した「あしながおじさん」の翻訳。多分いちばん新しい翻訳本だと思う。
新潮文庫 Star Classics 名作新訳コレクション 岩本正恵訳
平成29年6月1日発行となっている。
この本の解説で、おもしろいことが書かれている。
「Daddy Long legsはレディーズ・ホーム・ジャーナル誌に連載されたあと、1912年秋に単行本として出版された。この作品が「あしながおじさん」として日本で刊行された頃を描いた日本の小説の中でウェブスター作品に触れる登場人物がいる。北村薫の連作短編集「玻璃の天」(文藝春秋、2007年)の語り手の花村英子だ。女学生の彼女は(この作品は3つの短編が収められている。その中の −この部分は私の注)「想夫恋」で、遠藤寿子訳「あしながおじさん」(岩波文庫 1933年)と原書Patty Went to Collegeを手に入れた経緯を述べ、「あしながおぢさん」が、かつて「蚊とんぼスミス」という邦題で刊行されたことにも触れている。
さっそく図書館でこの「玻璃の天」という本を借りた。
たしかに「あしながおぢさん」のことが書かれている。
この話の舞台は昭和のはじめ。時代背景をよく調べて書かれている。
「想夫恋」で運転手のベッキーさんが「あれは、ある意味、探偵小説でもございますね」と「あしながおじさん」の小説のことを言っている。
何のことか?と思って読み続けると、なるほどなあ、と思わず声に出て感心した。
実は私もそれに近いところを感じていたのだ。
どんなことを?
それは「あしながおじさん」と「玻璃の天」をあわせて読むことの楽しみに置いておこう。ヒントは下の英文。
I wouldn’t make a very good detective , would I ?
わたしはいい探偵にはなれませんね。(新潮社 岩本正恵訳)
「あしながおじさん」の作者、ジーン・ウェブスターは綿密に計算し、腕によりをかけて、そして楽しみながらこの小説を書いたに違いない。
ジーン・ウェブスターの作品をもっと読みたくなって、図書館で「おちゃめなパデイー大学に行く」「おちゃめなパティー」を予約した。
さてもうすぐ「あしながおじさん」の地、ボストン、ニューヨークの旅だ。
松本侑子先生の優しい声での解説が楽しみ。そろそろ準備をしなくては。