教科書体と明朝体3

ひらがな

ひらがなについて考えてみよう。

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左の写真は一番私たちが目にすることが多い明朝体。
パソコンでフォントを変えてプリントしてみると、明朝体と言っても様々なデザインがあることがわかる。

年賀状の時には、様々なデザインの文字が年賀はがきの上で見られるようになった。どんなデザインであっても、ひらがなであることはわかるし、読むこともできる。
それは、私たちが文字に慣れたからである。鉛筆の文字でも、ボールペンや万年筆、筆で書いてあってもひらがなとわかるし読むことができる。人間の文字認識能力の素晴らしさだと思う。

出版会社は読みやすい文字にこだわってきたと思う。では「書く」という視点で見ればどうだろう。
初めて文字を習う子ども、鉛筆を持って初めて文字を書く子どもにとって、手本となる文字はどんな文字がいいのだろう。
鉛筆が学校で本格的に使われるようになったのは、1920年(明治10年)前後からだと言われている。それまでは毛筆であった。筆で書いた楷書が字のお手本だった。

教科書体を作っている会社のホームページを調べてみた。
まず「欣喜堂 活字書体設計」より

しおりhttp://www.kinkido.net/Japanese/shiori/shiori.html

 

続いてワープロソフトの一太郎の最新版に乗せられている教科書体を作った会社
ゆう

http://shop.tokyo-shoseki.co.jp/shopap/feature/theme0043/

 

かな文字の入門期の子どもたちにとって、書くという視点から作られた文字が教科書体だということがわかる。

中学校国語を出版している東京書籍のホームページには、小学校から中学校への移行について書かれている。以下にそのコピーを記す。

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小学校では,多くの教科書の本文書体に「教科書体」が使われています。教科書体は,筆遣いや字形を書き文字(筆写の場合の文字)に近づけたもので,国語や書写で学習する文字との齟齬がなく,文字の書き方を学習していく小学生が使用する教科書に最も適した書体といえます。一方,中学校では,多くの教科書の本文書体に「明朝体」が使われています。明朝体は,一般に最も可読性(読みやすさ)に優れているとされ,小学校に比べはるかに文字量の多くなる中学校の教科書に適した書体といえます。また,新聞や書籍をはじめ一般社会では,明朝体が圧倒的に多く用いられており,社会生活に慣れるという点でも,中学校から明朝体で学習していくことが適切だと考えられます。
しかし,明朝体は可読性に優れている反面,筆遣いや字形が書き文字とは違うため,文字の書き方の学習に適した書体ではありません。例えば,「しんにょう」や「心」「令」などの文字では,明らかに形が違います。また,「いとへん」は6画で書きますが,明朝体では折れの部分が2画に見え,8画で書くかのように見えてしまいます。中学校の国語では漢字を新たに1130字も学習しますが,これらの漢字を明朝体で学習してしまうと,筆遣いや字形を間違えて覚えてしまうことになりかねません。

http://www.tokyo-shoseki.co.jp/question/j/kokugo.html
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IMG_20140208_0001東京書籍のホームページには、「明朝体は読みやすさには優れているが、筆遣いや字形が書き文字と違うため、文字の書き方の学習には適した書体ではない」ときっちりと書いている。教科書体も出版社によってデザインの違いがある。しかしはじめて鉛筆を持つ子どもたちにとって、書き順や筆遣いがわかりやすいように工夫がされていることがわかる。見て、見たとおりに鉛筆を動かせば正しい文字がかけることをめざしているようだ。
さて、書き文字も年代によって多少の違いがある。
上の写真の下二つ、①と②は手書き文字。
①は普通見られる手書き文字の代表だと思う。
②は個性的。「そ」の一画目は離れている。「ふ」は一画目と二画目がしっかりとつながり、三角目と四画目は対称的に書かれている。「や」の二画目ははねずに一画目を突き出している。「せ」は二画目をはねずに止めている。
では②の手書き文字はまちがいなのか?
もちろんそうではない。間違いだと言ったら私が怒ります。
なぜなら②は私が書いたひらがなだから。私はこのように書くように習ってきた。これまで「このひらがなは間違っています」と修正された記憶もない。
私なりの理屈がある。「そ」は「曽」という漢字からできたので一画目と二画目が離れて当たり前。
「ふ」は「不」からできているので三角目と四画目が向かい合って当たり前。
「や」は「也」からできているので二画目が突き出て当たり前。
「せ」は「世」からできているので二画目をしっかり止めて当たり前。
これは屁理屈だと自分でも思う。たぶん小学校の時には教科書体のように書いていたと思う。ただたくさんの活字に触れているうちに多様な書体があることを知り、(今は懐かしい)ガリ版をきったり、原稿用紙のマス目を埋める仕事をしているうちに②のような書き方になったのだと思う。
書き文字にも多様性がある。大人のひらがなを小学校の入門期の文字で優劣を決める必要もない。
ただ言えるのは、はじめて書き文字・ひらがなにふれる子どもたちにとってはスタートは教科書体の文字がいいと思う。
そしてその教科書体も、より「書くときにわかりやすい」文字へと追求と努力が行われていることに驚き、ありがたいことだと思う。

 

 

 

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