地球の公転3

二十四節気(にじゅうしせっき)

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立春
(2月4日)、
雨水
(2月19日)、
啓蟄(3月6日)、
そして春分
(3月21日)と春が近づいている。
左の図は二十四節気の図。日本では江戸時代から使われていたという。
立春は二十四節気においては、1年を24に分けた時の第1番目に当たる。
(図はクリックすると拡大します)

IMG_20140206_0002 天文学的には、春分を0度として、地球が太陽の周りを315度回った時を言う。
あと45度まわれば(15度、約半月ごとに雨水、啓蟄、を経過して)スタート地点の春分に戻る。
それが地球が太陽の周りを1回まわりおえたこと、つまり1年たったことになる。

江戸時代の人々も円は360度を知っていた?

渋川春海1上の説明で、江戸時代では1年を24の節気にわけ、天文学的にはその間が15度ということがわかった。15度✕24=360度だから理屈にあっている。と今の私たちは考える。では、江戸時代の人々もこのことを知っていて、1年を24にわけたのだろうか。
左の図は、映画「天地明察」の上映にあわせて大阪市立科学館が特別展を開いた時の資料。この資料のように天文図の展示があった。私も特別展を見に行ったが、どうも360に分割しているようにみえる。館内では数えられないので、インターネットの資料を探してみた。

天文分野之図

上の写真と同じものではないが、渋川春海が作成したと言われている「天文分野之図」があった。
たしかに分割していることがわかる。
円周に白と黒の四角形がならんでいて、何等分かしている。
拡大コピーして数えてみた。
あれー? 360を越えた・・・。
365ある。もう少し詳しく見ると、子を◯で囲んである所の黒の四角はこれまでの四角より細い。そう、365と4分の1。
1年の長さ分にわけてあるのだ。

天文分野之図_2

 この図が書かれた1670年代は、円を360度に分けているのではなく、一年365日と4分の1に分けているのだった。

和算で有名な建部 賢弘(たけべ かたひろ、寛文4年(1664年)6月 – 元文4年7月20日(1739年8月24日))の時代になって、円を一年で分割するのではなく、360で分割するようになってくる。これは海外からの文献の輸入などによって知られるようになったのであり、日本で開発されたのではない。
伊能忠敬の日本地図作成の様子を映画やテレビで見る時がある。角度を測っている場面もあるし、そのような説明もある。この調査は1800年からはじまっているので、測っている角度は現在のものと同じ。私たちが円は360度と知っているのは、当たり前になっているが、それは明治以後の学校教育のおかげ。
江戸時代では、建部賢弘や伊能忠敬のような専門家レベルの知識だったのだ。
角度という概念は、明治以後の数学教育によって広がったと言われている。

 

 

 

 

 

 

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