田川市石炭・歴史博物館

ここは福岡県田川市大字伊田にある「田川市石炭・歴史博物館」。
1年以上の期間をかけてリニューアルされて、この4月に再オープンとなったそうだ。私はリニューアル前の記念館にきたことがある。その時は今見るような立派な建物や公園ではなかった。

実はここに来るまでは、「来たことがあると思う」という感じだった。しかし櫓(やぐら)と2本の巨大煙突を見て、やっぱりここだったんだ、と確信できた。

左の写真は、「旧三井田川鉱業所伊田竪坑櫓(きゅうみつい たがわこうぎょうしょ いだ たてこうやぐら)とよばれているもの。
この炭田は深さ300メートル以上あったそうだ。そこまで物や人を運ぶ竪坑(たてこう)につくられた巻き上げ機とそのための櫓(やぐら)がこれ。高さ28メートル以上ある。イギリス製で明治42年(1909年)のものだそうだ。

横にある二本の巨大な煙突は、高さ45.45メートル。竪坑の動力用の蒸気機関を動かすためのボイラー室に付属する排煙用の煙突として作られた。
櫓と煙突は、平成19年(1997年)に国登録有形文化財として登録されたもの。

地下300メートルといえば、通天閣三つ分地面の下にあるとうことだ。そんな炭鉱での労働は大変厳しいものだった。

ユネスコ世界記憶遺産 山本作兵衛コレクション

この田川市石炭・歴史博物館には、ユネスコ世界記憶遺産が収められている。 それが「山本作兵衛コレクション」だ。
「世界記憶遺産(世界の記録)」とは、世界において歴史的に重要なドキュメント遺産(documentary heritage)の保護と活用、および振興を目的に1992年(平成4年)に開始されたユネスコの主催事業。おもな登録例として、

◯フランスの「人間と市民の権利宣言」の原文
◯アンネ・フランクの日記(オランダ)
◯ベートーベンの交響曲第9番ニ短調作品
◯御堂関白日記
などがある。

「山本作兵衛コレクション」を代表するのが、炭鉱記録画。
明治中期から昭和中期までの筑豊における炭鉱内外の労働や、取り巻く生活、文化、社会情勢などが描かれており、当時の炭鉱社会を知る貴重なものである。

上の3枚はここで手に入れた絵葉書から。当時の様子がよくわかる。今のような照明のない炭鉱の世界は、真っ暗だったのだろう。想像するだけでも危険なことがわかる。NHKの朝ドラ「花子とアン」「あさが来た」で、九州筑豊炭田が出てくるが、実際の炭鉱はテレビで見るよりも、もっと危険で、厳しく、汗まみれだったのだろうなあと思う。

当時の住宅が再現されている。昭和10年代には5000戸を越える炭鉱住宅があり、最盛期には約2万1千人余りの人が生活していたと言う。

映画「幸福の黄色いハンカチ」で登場する北海道夕張炭田を連想する。
筑豊炭田が舞台になる映画は「青春の門」だ。大阪に帰ってきてからツタヤでさがしたが、どの巻も常設されていなかった。

左はここで買ったまんが、「炭都 田川の記憶」。私にはちょうどよい読み物だった。
ここで育つ子どもたちに、炭鉱の歴史や文化を知らせ、日本の近代化において、田川を含む筑豊炭田が担った役割を再発見してもらおう、歴史や価値に誇りを持ってもらおうというねらいで、作られたようだ。
たいへん分かりやすかった。
「2015年8月 第1版 第2刷」という奥付があったので、新しい本のようだ。
ここ田川に住む子どもたちがこの本で、自分たちの地域の歴史を学んでいるのかもしれない。

上がこの本の表表紙の下部を拡大したもの。
裏表紙にはかつてのこの町の写真があった。ほぼ同じ場所だ。

ここは「炭坑節発祥の地」としても知られている。 今も残る巨大な2本の煙突が、この歌の煙突だとも言われている。

宿泊地までのった車から見ると、畑は麦畑だった。
炭鉱は黒いダイヤともてはやされた。そこには今は黄金の麦の穂が一面に広がっていた。