個人所有だった犬山城

上の写真は駐車場から写したもの。下の写真はホームページよりの引用。
犬山城は木曽川のすぐそばに建っている。もらったパンフレットには、
「犬山城は織田信長の叔父である織田信康が天文6年(1537年)に木之下城を移して築城したと伝えられています。こののち江戸時代初期にかけて城主は目まぐるしく入れ替わりました。・・・江戸時代になり、元和3年(1617ー尾張藩付き家老成瀬正成が城主となってからは成瀬氏が代々受け継いで幕末を迎えました。
明治維新後には犬山城は廃城となり、天守の除く櫓や門の大部分は取り壊され大部分は公園になりました。
 明治24年(1891)の濃尾震災で天守閣は大きな被害に見舞われました。同28年、愛知感から修復を条件に旧城主である成瀬氏に譲渡されました。また、多くの市民からの義援金により修復工事が行われました。
 天守は昭和10年(1935)に国に指定され、同27年規則改正に伴い再指定されました。天守の創建年代はいくつかの説がありますが、現存する天守の中では最も古いと言われています。天守の建つ本丸を含め、城跡は平成30年(2018)2月13日Ⅱ国の史跡に指定されました。」
 「現在、犬山城天守は公益財団法人犬山城白帝文庫の所有となり、犬山市が管理を行っています。」
 犬山城の天守閣が個人所有だったなんて、全く知らなかった話だった。

犬山城の天守閣に行くまでに、2つの神社がある。一つは写真左の三光稲荷神社(さんこういなりじんじゃ)、もう一つは写真右の針綱神社(はりつなじんじゃ)。


三光稲荷神社はハートの絵馬で有名なところ。
着物レンタルもあって、着物姿のカップルが赤い鳥居をくぐっているのも三光稲荷神社の風景の一部になっている。
針綱神社(はりつなじんじゃ)は珍しい名前だなあと思った。ネットでホームページなどを見ると、「尾治針名根連命(主祭神、おわりはりなねむらじのみこと)」という記事があった。いくつかの説があるようだが主祭神から来ているのかもしれない。

三光稲荷神社の狐、針綱神社の神馬、ハートの絵馬、赤い鳥居と見どころが沢山。

天守閣からのながめ。 ここの階段がとても急。聞いてみると53度はあるそうだ。
正面の山が伊木山(いぎやま)、標高173mあるそうだ。
ライン大橋が架かっている。

天守閣の瓦に不思議なものを発見。

拡大してみると、桃の形。 帰ってから調べてみると、これは「桃瓦」といわれているもの。 天守閣に八つの桃瓦があるそうだ。 これは留蓋(とめぶた)というもので、瓦が接合するところに置いて雨水の侵入を防ぐ役目を果たしているそうだ。
八つの桃瓦を見るといいことがあるそうだ。知っていたら調べてみたのにと後から残念に思った。

天守閣には歴代の城主の写真が飾ってあった。 初代から12代の城主の顔写真。最後の城主はワイングラスを持っての写真、77歳まで長生きされたそうだ。

犬山城天守閣   高さ19m 内部4階 地下2階(石垣の中)
石垣の高さは5m、自然石をほとんど加工しないで積み上げた野面積み(のづらづみ)という工法で作られているそうだ。(もう少し詳しく見ておくべきだったとあとて後悔することの多いこと。)
1500年代に川のそばにある高台にこんな大きなお城を築くなんて、たいへんな苦労だったと思う。クレーンもダンプカーも大きな機材を運ぶ機械もなく、人力で築き上げるなんて、当時の人達の苦労と英知におどろくお城だった。