山陰歴史館と米子城の三角点

ここは米子市内の中心部にある「米子市立山陰歴史館」。米子市役所のそばにある。

米子の歴史に関わる貴重な品が展示されていたが、私の関心を引いたのは昔の教室風景だった。二人机がならんでいる。

昔使われた現物が並べられている。足らないものは新しく、昔の形を再現しているのも熱意が伝わる。

二人机は使ったことがある。しかし机の上がふたになっているのは、話には聞いたことがあるが、実物を見たのは初めてだ。

これは謄写版だ。私は大学でガリ版をきったことがあるが、今の大学生は知らないだろう。

これは石版と石筆。これも話には聞いていたが、見たのは初めて。 「ノートや鉛筆が普及していなかった明治から昭和初期にかけて使用された、小学生用の学用品である。石版はレート(珪酸室粘土板岩)製で、これに石筆(滑石やろう石を棒状にしたもの)で字や絵をかいた。」 という説明があった。
小説「赤毛のアン」で、アンがギルバートの頭で割ったのはこんな石版だったのだろうか?

これは「昭和初期の給食当番風景・戦後」と書かれている。

現在の小学校には給食服があると思うが、この写真、戦後のときはエプロンと頭にぼうし。
後ろには割烹着を着た給食調理人らしいおばさんがニッコリ笑って子どもたちを見送っている。
戦前に小学校に通っていた人の話によると、給食の用意は保護者がしていたということを聞いたことがある。
写真に写っている子どもたちのなんとにこやかなことか。
戦争が終わり、給食があるといことがうれしかったのかもしれない。

大阪にはこのような博物館、資料館があるのだろうか。あれば素晴らしい財産になるのになあと思う。

私がこの「山陰博物館」を見学しようとおもったのは、左のポスターのように「米子城ー城の歴史とその調査」の特別展があったからだ。

米子城は以前にブログで紹介したように、天守閣跡に「三等三角点」がある。
そのことが少しでも紹介されていないかなあ、と思ったのだ。

大阪城や姫路城、和歌山城には三角点が設置されている。すべてのお城に三角点があるわけでもない。名古屋城は大きなお城だが、城内には三角点はない。
米子城はお城は残っていないが、残っていない跡地に三角点がある。
私のブログには私の写した写真をのせているが、ここでは国土地理院の写真を紹介する。

上の写真が国土地理院のホームページにある米子城の三角点。

ポスターの米子城をよく見ると、「三角点」がはっきりと写っている。
「米子城の特別展」には、市民の撮った「米子城」の写真がたくさん展示されていた。しかしこのポスターのように「三角点」がはっきりと写っている写真はなかった。また、「三角点」という言葉はどこにも見当たらなかった。
館の人にも聞いてみたが、三角点が米子城にあることはご存知ではなかった。
国土地理院の写真を見れば、三角点があるのはすぐに分かるはずなのに、関心がないものは見えても見えていないのだろう。
残念なことだ。
私の三角点を探る旅はまだまだ続く(現在進行形)。