大仙古墳で古墳体験1

寺山南山古墳

左のようなポスターを見つけたので、古墳体験に行ってみようと思った。
ボスターには「世界遺産・百舌鳥古墳群 特別公開」とある。
「普段は入ることができない世界遺産の古墳に登る特別な体験ができます。学芸員の解説や出土品実物展示も」
 古墳の中に入れる体験はめったにない。以前に帝塚山古墳に入ったときも、「こんな体験はもうできないかも」と思っていたが、なんと世界遺産の百舌鳥古墳群の特別公開のチャンスにめぐりあえるとは。実際、世界遺産の古墳に入れるこんな機会は滅多に無いから絶対に行こう、と考える人は多かったようだ。

寺山南古墳は「履中天皇陵(りちゅうてんのうりょう)」のすぐそばにある。
堺市博物館で道順聞くと、日本庭園を超え、駐車場を抜けるとあるということだった。
この辺は何回か来ているところだったが、世界遺産に指定されているとはしらなかった。ふだんは網の柵で囲まれているため、網越しに眺めるだけだったので、それほど気にかけなかったのだ。

上の図は当日の説明で紹介されたもの。
履中天皇陵の直ぐ側にあったことがよく分かる。
下の写真は、上の図の左にある駐車場を古墳側から見たところ。
斜めに走る細い白い線は、ここまで環濠があったという印だそうだ。上の絵では堀は一つだが、その後の調査で二重の堀があったことがわかったそうだ。その外側の堀とこの寺山南山古墳の境がこの白い線というわけだ。

世界遺産の古墳の上に登る。 なんとここには民家が建っていたと言う。古墳の頂上に上がる道のような感じのところは、民家に続く道だったそうだ。
30人のグループで15分程度の説明。私は一番最初のグループで見学することができたが、そのあとにいくつものグループが見えた。
「こんなにも古墳好きの人がいたんだ!」とびっくりしてしまった。

上と右の写真はこの寺山南古墳から発見された埴輪。
一番右側の埴輪にある黒い焼け焦げたように見えるのは、この埴輪が窯で焼かれたのではなく、野焼きのような形で焼かれたからだと考えることができるそうだ。
ということは、かなり古い時代のものだと推定できるということだ。大仙古墳から発見される埴輪にはこのような焼け跡がなく、野焼きではなく工房のようなところで造られたー寺山南古墳より新しい、と考えることができるということだ。

これは参加者に配られた古墳カード。
発掘の時の様子がよく分かる写真だ。古墳全体に写真のような石が積み重ねて覆われていたそうだ。今のような土の木の茂った山ではなく、白く石で敷き詰められた方墳だということだ。
カードの裏にデータが書かれている。その一部を紹介する。
「世界遺産2019年7月6日登録。北東辺・南西辺 44.7m x 39.2m
時代 5世紀初頭。
墳丘は二段に築かれテラスには円筒埴輪列を巡らせています。・・・墳丘の形を復元すると墳丘の高さは5m弱と推定されます。履中天皇陵古墳の外壕に食い込む位置にあり、陪塚(ばいちょう)と考えられます。」

さて次の古墳に移動しょう。