教科書体と明朝体1

教科書体井上
これは昭和14年(1939年)の「小學國語読本 巻八」の一部。教科書体活字が作られたのは昭和10年(1935年)発行の国定教科書からといわれている。これまでは木版によるものだったが、東京書籍と日本書籍、大阪書籍が文部省と折衝し活字書体を創ることになった。その時、書道家の井上千圃さんの筆耕が版下として採用されたという。それが上の教科書である。教科書専用として制作されたため、教科書楷書体、教科書体とよばれるようになったという。

参考 欣喜堂 活字書体設計より
http://www.kinkido.net/Japanese/shiori/shiori.html
字游工房「游教科書体M 総数見本帳」
http://shop.tokyo-shoseki.co.jp/shopap/feature/theme0043/

明朝体1一方明朝体は、明代から清代にかけて成立した書体。仏典や四書などの印刷で用いられてきた。
日本では黄檗宗の鉄眼道光(てつげんどうこう)禅師が一切経(大蔵経)を復刻したことで広まったと言われている(1681年)。
しかしこれ以後も楷書体が使われることが多かった。一般的には一字一字がつながった連綿体といわれる草書体が使われていた(いわゆる古文書でみられるもの)。
日本で明朝体が本格的に使われるようになったのは明治以降の金属活字の発達によるものと言われている。
(左の写真はウィキペディアー明朝体ーからの引用)

小学校で使われている教科書体
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IMG_20140128_0001教科書体は小学校の教科書で使われている。文字を習い始めている子どもたちにとってわかりやすい、書くときの見本となる文字としての役目をはたしている。文字経験を積んだ中学校、高等学校の教科書の多くは明朝体の活字でつくられている。
文部科学省の「小学校指導要領 国語」には「漢字の指導においては、学年別漢字配当表に示す漢字の字体を標準とすること。」と書かれている(第4章指導計画の作成の取扱い)。
別表として1年から6年の漢字が示されている。上の写真は1年生の分だけをコピーしたもの。そしてそこに使われている字体が教科書体である。ここには小学校1年から6年まで学習する漢字1006文字が教科書体で示されている。それ以上の漢字や平仮名、カタカナの字体は示されていない。教科書会社は過去の教科書で使われた細身の毛筆楷書体をもとに、現代の鉛筆やペン字などの硬筆のスタイルの教科書体を作り出してきた。そのため、同じ教科書体と言っても、教科書会社によって字形がちがうこともある(もちろん文部省の示す教科書体の範囲内で)。

印刷文字と書き文字

毛筆で字を習う時代から、活字で印刷された文字があふれる時代になり、私たちの意識の中に「活字で印刷された文字がすべての文字の手本」という考え方が支配的になってきたのではないだろうか。漢字を書いていて、はねるのか、とめるのか、つきぬけるのか、どちらの線が長いのか、などとわからなくなると辞書を調べて確認する。逆に「辞書ではこうなっているから、はねてはダメ」とか「ここはくっつけて書かない。活字のようにはなして書きなさい」という言い方を聞いたり、した経験はないだろうか。
文字は手書き文字がさきにあり、それが活字に発展したのに、活字が先にあったかのように活字が文字の基準になってきてはいないだろか。このことをかなり早くから文部省は憂いていたようだ。

IMG_20140129_0002これは前回紹介した「常用漢字表」のまえがきにある「(付)字体についての解説」から「第2 明朝体と筆写の楷書との関係について」の部分。ここにある「印刷文字と手書き文字におけるそれぞれの習慣の相違に基づく表現の差と見るべき」ということを認識しておかないと、漢字嫌いの子、文字嫌いの子を生み出していくことに力を貸してしまうことになる。

前回の「明朝体と手書き文字について」のクイズに答えるための前提を紹介していると、長くなってしまった。
次回にはクイズのことを書いてみたいと思う。