姫路城の三角点

三角点を探る旅 45


ここは姫路城。白鷺城ともよばれる白いお城だ。
ここに三角点がある。以前来たときは工事中だったのでそれを確認できなかった。
あいにくのお天気だが、観光客は多い。前に来たときよりも外国からの観光客が多いように思えた。

天守閣に向かって歩く。 天守閣までの道は急な坂道だ。

11月というのに、桜が咲いていた。
観光に来ていたたくさんの外国人が、この桜の木の下で写真を撮っていた。
今年の異常気象のおかげだろう。
この桜は、来年の春にももう一度花を咲かせるのだろうか?

そんなことを思いながら坂道を登る。

天守閣の手前にある広場、ここに三角点がある。

隅にあるベンチの後ろ側にある。

 「この下に 三角点の標石あり」という石がある。
この四角い石を動かすと、

穴が空いている。丸い石のようなものがフタのようにふさいでいる。この丸い石をのけてみよう。

やっぱり穴が続いていた。腕を入れて中の土を取り除く。

腕の届くかぎり伸ばして土を取るが、私の腕の届く範囲のむこうに三角点の標石があるようだ。周りの人の視線を感じてこのへんでやめとおこう、と原状復帰する。

「この下に三角点の標石あり」のベンチからはこんなふうに天守閣が見える。
三角点が設置されてから、何回も改修され、盛土がされたのだろう。そのため三角点もどんどん地面の下になっていったのだろうと思う。和歌山城の三角点もそうだった。

上の写真は、国土地理院のホームページで調べた姫路城の三角点。
標石の写真はなく、私が腕ん入れた穴に棒が差し込まれた写真だった。写真は平成17年のものだ。そうすると姫路城の改修前も深い穴の底に標石があるのだろうと想像される。
とにかく姫路城に三角点があることが確かめられた。心残りだった三角点が一つ解決された。

 

 

 

 

三角点を探る旅 その 16

天守の三角点は?

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さて姫路城にやってきた。

NHKのドラマ、黒田官兵衛にちなんでの特別展もやっている。桜がまだ咲いていなかったので、お花見客は少ない。

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天守はすっぽりとおおわれて、その姿は見えない。
パンフレットによると、「天正八年(1580年)、羽柴秀吉は黒田孝高(官兵衛)の姫路城に入り、天正九年(1581年),三重(さんじゅう)の姫路城を築きました。関ヶ原の戦いの後、姫路に入った徳川家康の女婿・池田輝政は、慶長六年(1601年)、秀吉の築いた天守などを取り壊し、石垣などは活かして、慶長十四年(1609年)、五重の姫路城を完成させました」とある。

パンフレットの地図(下の地図)をみながら、二万五千分の一の地図と比べてみる。
三角点はどうも、パンフレットの地図にある「備前丸」の隅のほうにあるようだ。もしそうだとしたら、工事による立入禁止区域内になる。でも隣の「二の丸」というところには行けるので、そこから備前丸の中を見ることができればなにか情報を得ることができるかもしれない。ここは行かねばわからない。

img_20140330_0001二の丸に来て、諦めた。
備前丸というところのそばにきたのだが、見上げるばかりに高い所に備前丸はあった。のぞけるわけがない。
黒田官兵衛の資料が展示してある建物のそばにいる係の人に聞いてみた。
「天守にはいつ入れますか」
「来年の3月27日からですね。」
「えーっ、来年ですか」
「そうです。一年先です」
天守の覆いを取り外し、修理のためのクレーン車の作業台となった高さ20メートルほどのコンクリート製の台座の撤去作業がはじまるということだ。修理は終わっても、周りの作業台などの撤去にそれぐらいの時間がかかるということだった。
mg_7831天守の修復作業で、三角点はどうなってしまうのだろうか。発見できるだろうか。不安はあるがそれはどうしょうもない。
千姫とその娘の勝姫に一年後の再開を約束して、次の三角点探しに出かけることにした。

 

 

 

 

 

水準点めぐり9

姫路城そばの水準点

img_20140329_00012二万五千分の一の地図を見ると、姫路城の周りには、三角点も水準点もある。
まず姫路城の東にある水準点を探すことにしよう。

mg_7814JRの姫路駅を降りると、目の前に姫路城の姿が見える。でもただいま工事中のため、天守閣の全容は拝めない。
ホームページによると、姫路城大天守保存修理工事は平成21年10月から始まり、概ね5年間の工事。壁面の修復や瓦の葺き直しなどの修理工事 を実施し、平成26年1月から、素屋根や構台などの仮設物の撤去を開始し、平成27年3月に終了予定ということだ。だから現在は、仮設物の撤去中。入場制限もあるかも知れない。
そんな心配をしながら、水準点を探す。
学校のマークはあっても、地図の上には学校名までは書いていない。
この付近、と探したのが、姫路市立東光中学校。

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mg_7818門の直ぐ側、向かって右側のフェンスにそってなにか標識がある。
あったあった、水準点の立て札だ。その足元に水準点があった。

mg_7822「一等水準点」と書かれている。
お城の周りだから、一等水準点なのかなあ、と思ったりする。
ここも学校の敷地内だからか、綺麗に保存されている。
ここの中学生も、地域の歴史の勉強をするときに、この一等水準点についても勉強するのだろうなあと思う。
ウィキペディアによると、「水準点(すいじゅんてん、benchmark)とは水準測量に用いる際に標高の基準となる点のことである。測量法で定められている測量標の一つであり、永久標識に分類される。水準点には国土地理院が基本測量として設置・管理する「~等水準点」と、地方公共団体が公共測量として設置・管理する「~級水準点」とがある。」と説明されている。一等、一級の違いは管理者によるというわけだ。

現在、姫路市立東光中学校の建っているこの地には、姫路高女として知られていた兵庫県立姫路高等女学校があったそうだ。
東光中学校のホームページの沿革を見ると、

1945年(昭和20年)6月22日 – 姫路空襲で姫路高女の校舎が焼失。

とあった。その記念碑が校舎正門の西側に建っている。

さて、姫路城に行こう。
姫路城の天守閣には三角点のマークがある。工事中だけれど見ることができるだろうか。