応天の門・宝塚歌劇

宝塚大劇場で月組公演「応天の門」があったので見に行くことにした。

「応天の門」は原作が漫画で(灰原薬作、月刊コミックパンチ連載)単行本にもなっている。私も第1巻を読んだので、それが宝塚の舞台ではどうなるのか楽しみだった。

それでは「応天門」とはどこにあるのだろう。
平安京を例に取ってみると、「大内裏の内側にあった門で、朝廷内での政務・重要な儀式を行う場であった朝堂院(八省院)の正門である。朱雀門のすぐ北にあり、朱雀門・会昌門と並ぶ重要な門であった」とウィキペディアにあった。

左の図のように、大極殿に通ずる朝堂院の入り口にある。
(クリックすると拡大図が現れるはず)
歴史的には「応天門の変」が有名で平安時代前期、貞観8年(866年)に応天門が放火され、犯人探しは混乱し、藤原氏による伴氏や大伴氏、源氏などの他氏排斥事件に利用されたといわれている。

物語「応天の門−若き日の菅原道真のこと」も、藤原氏がまだ政治的な実権を握っておらず、陰謀術策がうごめく時代に設定されている。

物語の内容はパンフレットによると、
「・・・京の都では月の子(ね)の日に百鬼夜行が通りを闊歩し、その姿を見たものを取り殺すという怪事件が頻発していた。
 幼き頃から秀才との誉れ高き文章生・菅原道真は、ひょんなことから知り合った検非違使の長・在原業平にその才気を見込まれ、この怪事件の捜査に協力することとなる。・・・その背景には、鬼や物の怪の仕業を装い、暗躍する権力者たちの欲望が渦巻いていた・・・・」

いわば権力者と闘う歴史サスペンスと言えるだろう。

菅原道真を月組トップの月城かなとさん、在原業平を鳳月杏(ほうづきあん)さん、二人を助ける唐渡りの女店主を海乃美月さんが演じる。
月城かなとさんの着ている服がすばらしい。この時代は唐の国をモデルにしていた。だから菅原道真が着ている服は唐風の服。
ボスターや雑誌表紙の菅原道真の衣装を見ると、すばらしい刺繍がされている。
なんと細かくて色鮮やか。これだけでも見る価値はある。
もちろん他の登場人物の衣装もとても素晴らしい。この衣装を作ったスタッフ、職人さんたちに感謝、感謝。

有原業平と菅原道真は20歳ほどの年の差があるが、友好関係はあったという説もあるそうで、この「応天の門」はそういう設定で作られている。

左の写真は「太宰府境内美術館」であった「応天の門展」のポスター。
境内美術館のHPは以下の通り。

<tophttps://keidai.art/lookback/540

原作の漫画では左のポスターのように年の差がリアルに表されている。宝塚の舞台では、だれもが美男美女なので目がくらんでしまいそう。菅原道真が屋根の上で月の光で本を読む場面は漫画にも舞台にも登場するが、宝塚の舞台では菅原道真のかっこよさが見事に表されている。
 在原業平は歌人として有名だが、実際には左近衛将監という地位にもついていた時期がある。歌劇「応天の門」では在原業平は検非違使の長ということになっているが、これは原作者のフィクションだろう。
学問の優秀な若者と都の安全を守る美男子というコンビが活躍する物語なのだから多少の遊び心がある。

最後近くのシーン、在原業平から高子にあてた手紙。そこに書かれていた歌は、

    月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ 

          我が身ひとつは 元の身にして

          (出典:「古今和歌集」「業平集」「伊勢物語」他)

大変有名な歌だ。ここに登場するとは・・・。高子の嬉しさが伝わってくる。

エピローグは応天の門の前。菅原道真、在原業平、昭姫たちが集まっている。
プログラムには「・・・陰謀術数渦巻く応天門の内に棲む鬼たちと道真との闘いはまだはじまったばかりー」とある。

史実でも藤原家の横暴、菅原道真の太宰府への左遷などがあり、権力や権力者との闘いは時代はかわって姿を変えも今も続く。
どの時代でもこのような闘いはあるのだと思う。華やかで美しいエンターテイメントの姿を借りながら、私達に時代の本質を見ることを望んでいるような歌劇だと私は思った。(この公演は3月6日まで。3月25日からは東京宝塚劇場で上演される)