大分駅付近の三角点

三角点を探る旅32

大分駅前に四等三角点があると、国土地理院の地図にのっていた。

JRの大分駅から歩いて数分の、高架付近にあるようだ。
別府への移動の時に、三角点アプリで見つけたので余り時間がない。
急いでその場所を探す。私に与えられた時間は30分少々。

この付近にあるのだが、見つからない。

道路に何か赤い表示が埋め込まれているが、国土地理院という表示はなかった。
道路そばに、かなりのスペースが空いているので、ここに家やビルがあったのかもしれない。建物に手をいれる時に、三角点や標準点が移動されたり、知らぬうちに撤去されていることも多い。今回はその例かもしれない。残念。

大分駅前の広場には、大友宗麟とフランシスコ・ザビエルの像があった。
私は知らなかったが、大分市は「南蛮文化発祥の地」なのだ。
駅前の表示版に次のような説明があった。

「私たちのまち大分市は、戦国時代の終わりごろ日本を代表する国際色豊かな貿易都市として繁栄しました。九州の雄「大友宗麟公」は、聖フランシスコ・ザビエル神父を豊後府内に招き、海外との貿易を積極的に進めました。府内のまちは海外の品々が溢れ、異国の人々が生き交い、西洋の医学や天文学、音楽、演劇をはじめとする南蛮文化がいち早く花開きました。・・・・後略・・・・」

ここのフランシスコ・ザビエル像は、兵庫県立美術館に保存されているザビエルの肖像画より、ポルトガルで見たフランシスコ・ザビエルに似た像だった。

大分といえば「とり天」。ホテルや駅には「とり天ガイド」が置かれていたのにびっくり。 なぜ大分にニワトリなんだろう。九州でも日の出が早いので、その象徴としてニワトリとか、ニワトリの唐揚げが日本一だからとか、諸説色々あるらしい。
駅前のこのニワトリ。作者は「せんとくん」の籔内佐斗司(やぶうちさとし)さんということだ。

さて「大分駅」を見ていて「どうしてこの漢字で<おおいた>とよむのだろう?と考えてしまった。私の知識では<分>が<いた>と読めるはずがない。
大阪に帰って調べてみると、大分県立図書館のホームページに下のような説明があった。

Q.「大分県」の県名の由来を知りたい。

大分県のホームページには、『大分ガイド[O-BOOK]』からの引用として次のように紹介掲載されています。

・・・「豊後国風土記」は、”おおいた”について景行天皇に由来を求めています。天皇がここに来たとき「広大なる哉、この郡は。よろしく碩田国(おおきた)と名づくべし」とし、これがのちに”大分”と書かれるようになったといわれます。 しかし、実際の大分平野は広大とは言いがたく、むしろ地形は狭く複雑であり、「多き田」→「大分」との見解が最近の定説です。これが”とよのくに””おおいた”の由来です。・・・

県名の由来は意外に難解です。

『大分県史[近代篇Ⅰ]』によれば、明治4年廃藩置県時、「県の中心部に位置した大分郡からとったもの」となっています。その「大分郡」は、『豊後風土記』によれば、8世紀前半古代律令制度成立過程で、地方行政単位として、国・郡・里が整備されていく時、存在していたことがわかっています。では「大分」をオオイタとよむようになったのはいつか、また、なぜそう訓読するのか、その意味は、となると諸説あるのです。

これまで『日本書紀』・『豊後風土記』史料の「景行天皇九州巡幸説話」が定説との観がありましたが、『大分歴史事典』(後藤宗俊氏解説)によれば、事実には程遠く、確かな文献に拠る限り、「大分」の方が古く、「碩田」説話は「大分」地名の意味付けに後から作られた説話というべき、と考証しています。であれば、「大分」の字義の解釈が問題となります。半田康夫氏は、『大分県の風土と沿革』で、「分」は「段」と共に「キダ」と訓まれていたとしています。渡辺澄夫氏も『大分市史』昭和30年刊で、「キダ」は「段」で、きれめ・きざみ・だんの意、「分」はわかち・わかれの意で、分離の意味において両者はあい通ずる故、「オオキダ」は大きく(大いに)きざみ分けられた所と解される、と述べています。地形が錯綜している事から起こったのではないかというのです。「大分」の字義解釈が諸説ある中で、この説が現在比較的有力です。

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「おおいた」という音が先にあり、どんな漢字を当ててきたのか、それが地名の由来なのだろう。「分」と「段」、ともに「ギダ」と読んだことから、大段→大分となったということらしい。確かに県名、地名は難しい。

難しいことはさておいて、大分名物の話題。

大分に来たからには、本場の「とり天」を食べてみたかった。最近大阪でも、大分のとり天、という名前のお店が難波や天王寺で見る。

やっぱり名物はその土地で食べなきゃと思い、大分駅ビルにあるフードコートでビールと本場とり天で至福のときを楽しむ。
あれ?「ぼてぢゅう」の文字が。「ぼてぢゅう」といえば大阪のお好み焼き。大阪と大分のコラボレーションでしょうか。どちらも商魂たくましいと思う。

さて、肝心の三角点。大阪に帰ったから地図をよく見ると、大分城に三等三角点のマークがあった。ああもう少し丁寧に調べていたら、時間があったら、と思うことしばし。三角点や水準点探しはこんな結果に終わることが多い。ああ残念…。