大仙古墳で古墳体験3

収塚古墳(おさめづかこふん)

次は長塚古墳をめざす。
線路沿いにある古墳だが、人気抜群のようで予約カードが配られていた。
私がもらったのは、13時15分のカード。
なんとお昼を食べてから来てください、という感じ。
それではと収塚古墳に足を伸ばす。地図でわかるように百舌鳥駅の直ぐ側にある。

なんとここも長蛇の列。
係の人が申し訳無さそうに、「30人で15分で回しています。回転を早めますのでもう少しお待ち下さい、、、」と言っている。

古墳に登る前に係の人から、この古墳で発見された埴輪の説明があった。
盗掘やら破壊、開発などで完全なものはなかなか発見されにくいようだ。
表面に模様が入っているのがよく分かる。

ビジターセンターでもらった古墳カード。ここで用意したカードはなくなったので、ビジターセンターでもらってくださいということだった。予想したよりも参加者が多かったということだ。
カードの裏面に書かれていた解説を一部引用する。
「後円部径42m、前方部幅27m。周囲に馬蹄形の壕を持つ帆立貝形前方後円墳です。・・・壕から出土した円筒埴輪や須恵器の特徴から仁徳天皇陵古墳の築造よりわずかに遅れて築かれており、陪塚の一つと考えられています。」

下の写真はポスターにあった収塚古墳の部分をコピーしたもの。

古墳を再現したらこうなる、というのをタイルの色を変えて舗装してあったのだ。
古墳に登るために並んでいた広場のようなところが、この古墳の方円部だったのだ。
古墳に登ってみると、残念ながら木々が生い茂っているため仁徳天皇陵を見ることはできなかった。案内の人が「木を切って見えるようにするにしても、これから議論が必要です。まだまだ古墳の整備は完成していないのです」と言っていた。

陪塚(ばいちょう、ばいづか)とは?

仁徳天皇陵のまわりにはこんなにもたくさんの陪塚と呼ばれる古墳がある。 この地図の外にもある。 (この資料は「世界遺産暫定一覧表記載資産状況報告書」よりの引用。https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/isanbukai/sekaitokubetsu/3_01/gijishidai/pdf/shiryo_4_2_9.pdf

古墳の説明をされた人によると、
「陪塚、ばいづか、ばいちょう、と読み方がありますが、宮内庁が指定している古墳を『ばいちょう』、それ以外を『ばいづか』と呼んでいるようです。」
同じ漢字でも読み方が違う。これも歴史的な背景があるようだが私にはそれ以上のことがわからなかった。
知らなかったことがたくさんあることを教えてくれる古墳めぐりだ。
さあ次は長塚古墳だ。