利晶の杜で薬膳茶

利晶の杜で、左のポスターのような薬膳茶の講座があった。

薬膳には興味があったし、『薬膳が初めての方、大人向けの講座です。』と書かれていたので、応募することにした。

この講座は「タマノイ酢」が応援していて、今回参加してみて、タマノイ酢が堺市に本社をおいているとを知った。
「タマノイ酢の薬膳スペシャリストが伝授します」というキャッチフレーズにも興味が湧いた。

「こどものための薬膳」というテーマで、大人の人に薬膳を通して子どもの成長を考えてもらうということが狙いのようだった。
募集は20名だったが、参加者は20名を切っていた。
ウェルカムドリンクとして、バナナと黒糖のビネガードリンクが出された。さすがタマノイ酢。
暑い日だったので、クーラーのきいた部屋でのビネガードリンクはたいへん美味しかった。

各テーブルには写真のように、薬膳茶のセットが用意されていた。

オリジナル薬膳茶として並んでいたのは、
「棗(なつめ)、陳皮(ちんび)、山査子(さんざし)、蒲公英(たんぽぽ)、
山薬(さんやく)、枸杞(くこ)、蜂蜜(はちみつ)、菊花(きっか)」の八種類だった。
一つずつ味を確かめたり、混ぜ合わせてみたりして味を楽しむことができた。
入れる薬膳によって甘みを感じたり、スッキリした感じがしたりして面白かった。
写真にあるカップケーキのようなものは、「オートミールのキャロットマフィン」という薬膳レシピの一つだった。
レシピがあったので、家で作ってみることにした。

人参をすりおろす。150グラム、結構な量だ。
ボウルに卵二個、よくときほぐして蜂蜜大さじ3,水大さじ2を加えて混ぜる。
オートミール150グラム、ベーキングパウダー小さじ2、シナモンパウダー少々を加えてよく混ぜ合わせる。

にんじん、くるみ30グラム、レーズン40グラムを加えて混ぜる。

口径7センチ、深さ5センチのマフィン型を用意する。
クッキングシートを12センチ角に切り、4つに折る。折り目に3センチぐらいずつ切込みを入れ、マフィン型に敷いておく。こうすると焼き上がったとき、中のマフィンが型にくっつくことなく取り出すことができる。
実際には写真のように少し小さめの型も使ってみた。

大きい方の方には約90グラム、小さい方の型にはその半分の45グラムの材料を入れるとほぼぴったりだった。

180度に予熱したオーブンで約25分焼く。 実際には10分おきくらいに様子を見て、グリル皿の位置を変えながらむらなく焼き上がるようにした。

にんじんがたっぷりはいっているのに、にんじん感はなかった。
クルミとレーズンがお菓子感をだしていて、食べやすい。しさも食べごたえがあった。これが薬膳料理なら、これからも作ってみようかと思った。

 

 

千利休屋敷跡

「さかい利晶の杜」1周年

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左の写真は千利休屋敷跡。

「さかい利晶の杜」のすぐそばにある。

「さかい利晶の杜」ができる前の様子が、読売新聞に書かれていた。(2014年10月5日)

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幹線道路から外れた一角に、その屋敷跡はある。
堺市の阪堺電軌・宿院停留場近くに広がる敷地。豊臣秀吉に茶頭として仕え、わび茶を大成した千利休が、かつて暮らしていたとされる。

 「茶道の流派を超えた、聖地のようなところですね」と京都市上京区の茶道資料館の橘倫子学芸員は話す。屋敷での詳しい暮らしぶりは伝わっていないが、柵で囲まれたスペースには、茶の湯に使ったという「椿の井」と呼ばれる井戸があり、今も水が湧き出る。

 ただ、住宅街に溶け込むひっそりとしたたたずまいに、通り過ぎる人も多い。

  •   NPO法人・堺観光ボランティア協会の川上浩理事長(68)は「案内をして『利休がいたのと同じ空間に今、立たれているんですよ』と話すと、驚いて感動されることもあります」と言うが、「ガイドが一緒じゃないと中には入れませんし、一人でぶらりと来ても楽しめないですよね」と笑う。

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そんな場所が今、変わろうとしている。屋敷跡の西側に来春、市の文化観光施設がオープンするからだ。
 利休の茶の湯と、与謝野晶子をテーマにした「さかい利晶のもり」。3階建てで、京都にある国宝の茶室「待庵」も再現する。待庵は昨年公開された映画「利休にたずねよ」にも登場。亭主と客が対峙たいじする様子が描かれた。そんな、「緊張感の中で生まれるコミュニケーション」を感じてもらおうという仕掛けだ。

  • 建設が進む「さかい利晶の杜」。堺観光への期待もかかる

 屋敷跡も、所有する茶道裏千家淡交会総本部が一般公開する計画があるという。堺の歴史に詳しい太成学院大非常勤講師の中井正弘さん(73)は「和・敬・清・寂を重んじた利休の生き方や、心の持ちようは今の人たちにも響くはず」と期待する。

・・・・(略)・・・・
 
  ◆千利休屋敷跡

 井戸の屋根は、京都・大徳寺山門の古い部材を用いて建てられたとされる。江戸後期には、酒造業を営んでいた加賀田太郎兵衛が利休をしのんで建てた「懐旧庵」があったという。

 利休は1522年に、堺の豪商の長男として誕生。17歳から茶の湯を学び、のちに武野紹鴎に師事して佗茶を大成した。(以下略)

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「幹線道路から外れた一角」「ひっそりしたたたずまい」と書かれていた場所は、今はすっかり様相が変わっている。
屋敷の塀も復元され、前の道路も立派な敷石がひかれた道路になっている。
「さかい利晶の杜」のすぐ隣りにあるので、「さかい利晶の杜」を訪れた後は、「千利休屋敷跡」を見学しようという流れになっていると思った。 

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私が訪れた時は、ボランティアさんの方が、丁寧に説明してくれた。

堺観光ガイドには次のような説明がある。

「千利休は大永2年(1522年)、堺今市町(現在の宿院西1丁)の豪商魚屋(ととや)の長男・与四郎として生まれました。17歳の時北向道陳に茶湯を学び、のちに武野紹鷗に師事しわび茶を大成させました。茶の湯をもって信長に接近し、その死後は秀吉の茶頭として仕えながら、北野の大茶会を取り仕切るなど天下一の茶匠として権勢を振るいましたが、小田原の役後秀吉の怒りにふれ自刃しました。現在の茶道千家の始祖であり「茶聖」と称せられています。
屋敷跡には椿の井戸が残っていますが、椿の炭を底に沈めていたといいます。井戸屋形は利休ゆかりの大徳寺山門の古い部材を用いて建てたものです。平成27年のリニューアル後は、敷地内も見学できるようになりました。」

http://www.sakai-tcb.or.jp/spot/spot.php?id=92

ボランティアの方に聞いてみると、以前は金網のフェンスで中は見ることができるが、今のようには入れなかったという。それが「さかい利晶の杜」の建設と共に整備されたそうだ。

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千利休屋敷跡で、井戸や井戸からの水を引いた手洗い場をみると、まわりの空間が千利休がいた時代に戻されていくような感じになる。
静けさの中に歴史を感じるところ。こういった歴史を感じさせる空間と場所は現代には必要だと思った。

利晶の杜1周年

 

「さかい利晶の杜」のホームページを久々に見てみると、開館1周年の文字が。
早いものだ。でも、「さかい利晶の杜」はしっかりと堺市民の心に根付いたと思う。
さて、次は機会を見て茶の湯体験をしてみたいものだ。