青島・蘇州の旅 9

青島 小魚山公園と桟橋

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青島のホテル・ウェスティンの朝食も、今日の夕食のことを考えてごく軽く。 ここのモーニングビュッフェは品揃えが多い。さすが一流ホテルのレストラン。

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バスに乗って向かうは小魚山公園、ドイツ風の町並みの見学と青島ビール工場。

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朝の通勤風景は大阪と変わらない。車も人も走る。

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ここが小魚山公園(しょうぎょざんこうえん)。JTBのホームページには、

青島市の中心部の小高い丘の上に位置する小さな公園。緑豊かな園内には覧潮閣や碧波亭、壁画廊、展望台といった建物が点在しており、閣楼に登ると青島の異国情緒あふれる町並みと美しい海岸の眺めを楽しむことができる。

とある。かつて漁師が小魚を干していたことからこの名前があるらしい。

小魚山公園2

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ここはヨーロッパか?と思うような風景が広がっている。
見える町並みはドイツ軍が占領していた時のものだという。
「青島日本人会」というホームページに青島・ドイツ・日本の関係が説明されている。http://www.qingdaojs.org/qd-nihonjinkai/qdinfo/basic.html

青島の歴史についておさらい

 1891年、時の清朝は、国防上の理由から、それまで一漁村に過ぎなかった青島に桟橋など軍事施設を建設、兵を駐屯させたのが青島の発展の始まりとされています。それ以前は、現在の市の中心部より郊外の即墨市、膠州、膠南などのほうが栄えていました。
 青島市の概要こうして始まった青島の歴史ですが、1898年ドイツの租借地になり、ドイツは青島を中心とする膠州湾一帯を99年間の期限で租借、軍港、鉄道、鉱山開発などを展開、山東半島一帯に影響力を行使しました。と同時にここを模範的な植民地とすべく、ドイツ風の建築や上下水道の整備など、都市建設を行いました。青島のシンボルになっている青島ビールも1903年、ドイツ統治下で誕生しました。
 その後第一次世界大戦が勃発するや、1914年、当時、日英同盟を結んでいた日本は、連合国の一員としてドイツに宣戦布告、青島攻略に乗り出します。1ヶ月余りの先頭の末、青島駐屯のドイツ軍を降伏させ、青島を支配下に置き、1919年のベルサイユ条約により青島におけるドイツの権益を引き継ぐことが認められます。ドイツの降伏により青島ビールも日本資本下(大日本ビール)に置かれることとなります。
 この決定に反発した中国の民衆は1919年5月4日、北京の天安門で大規模な抗議活動を起こし、山東省における日本の権益の中国への返還を要求、これが日本製品排斥運動や半日運動につながります。5月4日に発生したということで
「五四運動」と呼ばれます。青島市で発生した訳ではありませんが、当時のスローガンは「还我青岛!(青島を返せ!)」であったそうです。現在の青島市庁舎前の「五四広場」はこの運動を記念して名付けられています。
 やがて日本は1922年に青島を中国(北洋政府)に返還しますが、その後も青島に影響を維持し続けます。1938年、日中戦争が勃発すると、日本は再び青島を占領下に置きます。終戦前は4万人を超える日本人が青島に住んでおり、総領事館もあり、日本人学校も複数設置されていました。俳優の三国連太郎、中村八大なども戦前青島に住んでいました。
 1945年、日本の敗戦とともに、青島は国民党政府の支配下に入ります。当時、青島には米軍西太平洋艦隊の司令部が置かれ、国民党主席の蒋介石が度々青島八大関の「花石楼」に滞在していたそうです。
 1949年、人民解放軍が青島に入城して青島が「解放」、改革開放政策の導入に伴い、1984年に開放都市となりました。
 2008年には北京オリンピック・ヨット競技の会場になっています。

なるほど。中学・高校の歴史で習ったのかもしれないが、ほとんど初めて知る事実がいっぱいある。近い国との関係をもう少し知っておかねば、と思う。

このドイツ人が建てた住居は、今は中国人の住まいとなっている。そのほとんどは一軒の建物を数家族によってシェアされて使われているらしい。それでも青島の住宅状況はおいつかず、いまも高層マンションがどんどん作られていると説明があった。

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ここは公園近くにある迎賓館。 1905年にドイツ総督の官邸として建てられたもの。建物も内部の装飾も当時のものが残っており、歴史的・文化的に貴重のものらしい。したがって写真撮影は禁止。外観のみの写真となった。

中国人の観光客も多く、日本の京都や奈良の感じなのかもしれない。毛沢東や蒋介石も来たとガイドさんの説明。中国人らしい車椅子の観光客の人もいたが、スロープやエレベーターもなかったようだ。詳しいことはわからなかった。

続いて向かったのは桟橋。

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インターネットで調べてみると、

1891年、清政府が軍需物資の供給のため、埠頭を建設した。全長200米、幅10米、中国唯一の海上軍需物資供給線となった。ここが出発点で、ドイツ軍の青島占領で長さが350米に伸ばされ、1931年には国民党政府により440米に改修され、桟橋南端に半円形の防波堤を増設し、そこに「回瀾閣」という八角亭を建設したそうだ。

私たちは桟橋には行かず、対岸から眺めるだけ。
このあと飛行機で蘇州に行くという時間的制約もあるからだと思う。

ここは有名観光地のようだ。たくさんの外国人もきている。この桟橋に向かい合うように古い戦艦を海上博物館にしたものもあった。

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なによりも私たちの目を引いたのは新婚カップルの写真撮影。上の桟橋の写真の下に見えている白い衣装はウエディングドレスを着た花嫁さん。

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中国ではこういった結婚式用の写真アルバムにかなり力を入れているらしい。日本の北海道に来て雪景色の中の花嫁姿を写真に撮るのも人気らしい。
バスに乗って青島ビール工場に出発する。

 

 

 

青島・蘇州の旅 5

紅いコーリャン その1

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ホテルのモーニングはビュッへスタイル、日本でいうバイキング。その品揃えにはおどろくほど。でもここは朝食はぐっと控えめにする。

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食事を終えて部屋に戻ってTVをつけると、
左のような画面が。昨夜にはきがつかなかった。ヨーロッパのホテルで見た画面の漢字番だ。天気、日時と曜日、温度と歓迎の文字が並んでいる。
英語のMrが尊敬的◯◯先生、となるようだ。テレビの画面を写しているので、文字が流れているので全部写っているのでない。

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午前中のバスツアーのために、前回紹介したHana Tourのバスに乗り込む。写真は駐車場から本線の道路に出るところ。広い道路がもう満員、大変な混雑だ。
以前は自転車とバイクの国だったが、今はそれが車に変わっていると説明を聞く。
青島の町の、バスから見た朝の風景を幾つか紹介しよう。

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広い交差点にはおまわりさんも(緑のゼッケンの人)。赤い旗を持った人もいる。
交通安全のボランティアなのか、職員なのかはわからない。

IMG_1047こんな若者もいる。

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横を走っている乗合バス。なぜ写真に取ったかというと、IMG_1048

ジャージ姿の学生らしい人。女子高生か、女子大生か。
Tシャツに「青春」の文字。
Tシャツにジャージ姿が珍しかったし、胸に「青春」とは。中国語でも青春は日本語の青春とおなじニュアンスを持っているのか、現地ガイドさんに聞くのを忘れた。

青島の中心街は大きなビル、高いビルがひしめきあっている。
道路も広いが、そこにいっぱいの車が走っている。日本車も気をつけていると走っているがわかる。後日にそのことは書くつもりにしている。

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日本の新幹線タイプの電車。今回の旅では電車を見ることは少なかった。

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郊外出ると、高層マンションが広がっているようすがわかる。またこの広い土地にも建設が始まっている。

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紅いコーリャンポスター私たちがめざしているのは、映画「紅いコーリャン」にゆかりのあるところ。

映画「紅いコーリャン」は1987年の中国映画。
今から30年前の映画。
ベルリン国際映画祭で「金熊賞」をとり、日本でも有名になった。

私はVHSのビデオで見た記憶がある。主演女優のコーン・リーのデビュー作。
コーン・リーはこの映画の後、中国映画界のスターとなった。

私たちが見学したこの映画に関係する二つの場所を紹介する。

(上の写真はインターネットで見つけた映画「紅いコーリャン」のポスター。)

 

 

 

青島・蘇州の旅 4

青島・建設ラッシュの町

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町中では、高層マンションの列、まだまだマンション不足というので建設ラッシュ。
バスからは工事中の風景があちこちに見える。

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住宅の近くに大きな煙突のある工場も建っている。

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大気汚染が心配になるが、それはどう受け止められているのだろう。

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ガソリンスタンドが目につく。「加油」とかいてある。なーるほど。

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動いているバスの中からの写真なのでピンぼけになったしまった。
これは授業が終わって学校から出てくる中学生たち。お迎えの車も多い。
時間は午後6時をすぎている。中国の中学校には放課後の課外活動がないため、ずっとこの時間まで勉強時間。ふーむ、よく勉強するなあ。

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上の写真は、ここではないが別の場所にあった中学校の建物。なかな立派。
外務省のホームページに「世界の学校を見てみよう」というページがある。
そこの中華人民共和国を見ると、
「中国の学校は,小学(6年),初級中学(3年,中学校にあたる),高級中学(3年,高校にあたる)に分かれており,小学と初級中学の9年間が義務教育です。中国では,大半が公立学校です。」とある。そして北京のある中学校を取り上げてその内容を紹介している。
「授業は月~金曜日の週5日制で,授業時間は8時00分~16時40分。毎日7コマ(1コマは40分)。中国の学校は9月入学の2学期制で,1~2月(春節期間)に約4週間の冬休み,7~8月に約7週間の夏休みがある他,国家の規定に基づく労働節(5月),国慶節(10月)等の休みがあります。学校が定めた制服と運動服があり,生徒たちは,学校にいる間,ほぼ運動服を着て活動しています。学校独自の校則はない一方,北京市が,小中高校生の守るべき規則を定めています。」
ガイドさんの話では、課外活動が無いように言っていたが、地域によって違うのかもしれない。ここに「生徒たちはほぼ運動着を着て活動しています」とあるので、私が見た下校風景の中学生もジャージ姿だったのが納得できた。

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6時をすぎると急に日が暮れてくる。夕食のレストラン会場の開海(KaiHai)に到着。

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用意されているテーブル、食器も洒落ている。日本の中華料理の店とは雰囲気がちがいますね。

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大きな大皿に料理が山盛りになって登場するのかなあ、と思っていたら大違い。
写真のような中型のお皿に盛り付けされて料理が次々とやってくる。
日本人が食べるのにちょうどいいぐらいの量。最初は全部写真に取ろうと思っていたが、食べ始めるとそれはできなかった。料理に目が奪われてしまって食べることに集中したため。ごく一部のみの料理の紹介となってしまった。

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青島に二泊。宿舎となったホテルは青島威斯汀酒店(ザ・ウェスティン青島)。
ホテルの直ぐ前に地下鉄の駅ができるらしい。工事が朝早くから夜遅くまで急ピッチで進んでいる。見上げるような高いビル。天気は曇り、月も星も見えなかった。
中国一日目の夜が更ける。